「茶だ。熱いから気をつけろよ」
「あ、ありがとうございます……」
リビング、とも取れる部屋で、僕は椅子に座らされた。目の前の机に湯気のたつお茶を置いて、魔女さんも僕の向かいの椅子に腰掛ける。
改めて部屋を見渡すと、やはり僕の中の魔女のイメージとはかけ離れていた。多少散らかってはいるもののやけに子綺麗なうえに普通の部屋だ。
「そういえば名前を聞きそびれていたな。私の名前はアンジェ。お前の名は?」
「ユウナ……です」
「ふむ、いい名前だな。若干女寄りな名前ではあるが、響きが良い」
ずずず、とお茶を啜りながら、アンジェさんは小さく息を吐く。それを見て僕も同じように、お茶を口に含んだ。
ちょうどいい温度と、ほんのりと苦い感じ。初めて飲むお茶だが、これまだ飲んだもので一番美味しい気がした。いろんなお茶の、良い部分だけを取り除いて合わせたみたいにも感じる。
「美味いだろう。数百年前の話にはなるが、私が他の者の茶の記憶を拝借して練り合わせたものだ。まあ何を言っているのか分からんと思うがな」
本当に何を言っているのかわからない。まず玄関先でも言っていたけれど、この人は今何歳なのだろう。発言を真に受けるなら最低でも二百年以上は生きていることになるとは思うけれど……。
「さて、そんなことより本題に入ろうか。忙しい、とは言ったが私の人生にはほぼ無限に近い時間がある。そんな果てしない時間の間のほんの暇つぶしというやつだ。何があったのか、話してみろ」
「話さなきゃ……ダメですか?」
「何があったのかも知らないような自殺志願者を殺したら夢見が悪くなるだろう。魔女なんて呼ばれていても私はれっきとした人間だ。今後生きていく上でそんな心のモヤを抱えるなんて、ごめんなのでな」
「そうですか……」
正論だと思った。アンジェさんが人の心のない噂通りの化け物のような存在であればこんな時間など必要ないだろうが、話していれば分かる。たまに理解できないことを口走ってはいるが、この人は普通の人間だ。何も思うところなく人を殺せるほど、心は死んでいない。
心を落ち着かせて、僕は身の上話をした。突然全てを奪われたあの日のこと、そしてその後のこと。長々とした僕の話を、アンジェさんは顔色ひとつ変えずに、たまにお茶を飲みながら聴いていた。
「随分と悲惨な経験をしたものだな。たしかに、自殺を考えても仕方がない」
僕が話し終えると、ふぅ、と体の力を抜いて伸びをしながら、アンジェさんは言った。
「だが……お前を殺す気は、無くなってしまったな」
「えっ……?」
当然のことを言っただけだとでも言わんばかりに、アンジェさんは僕の目を見てそう告げると、その理由を語り始める。
「悪いが、話を聞くだけでは情報が少なかったのでな。お前の記憶に干渉してありのままの情景を見させてもらった。その上で、お前は死ぬ必要など全くない。そう判断したということだよ」
記憶に干渉した? 突拍子のないことを言い出したのは一旦置いておいて、僕に死ぬ必要がないと言うのはどういうことだろうか。
目の前で仲間が殺されたのは全部僕のせいなのに。あの場にいたのが僕よりもっと強い剣士なら。初めに不意打ちで殺されたのが僕だったら。僕がみんなに……関わらなければ。誰一人、死ぬことはなかったかもしれないのに。
「お前が対峙したのは合成生物。俗に言うキメラだな。それも四重、五重に肉食動物が絡み合って獰猛化してる。剣を習い始めて半年でどうこうできる相手じゃない」
「で、でも……」
「ドーレは立ち向かっていた、か? 安心しろ。女を庇わず正々堂々正面からやり合っても瞬殺されていたさ」
名前は伝えていなかったのに、ドーレの名が魔女の口から発せられた。どうやら僕の記憶を覗いたというのは本当らしい。
キメラと呼ばれたあれが相当な強さだったのも、ドーレですら敵わない相手だったことも。きっと本当なのだろう。
でも────やっぱり僕だけが生き残ったというのは、罪だ。
「納得いかないか?」
「はい。僕の仲間の誰が戦っても殺されていた。仮にそうだったとしても……生き残るべきだったのは、僕じゃなかった。僕みたいな腰抜けだけが助けられて生き長らえ続けるなんて、絶対に間違ってます」
「そうか。それで?」
「それ、で……?」
「お前が死んでどうなる? 他の奴らはそれで生き返るのか? あの世とかいうやつが実在していたとして、死後お前がその四人の元に会いに行って……祝福してもらえると思うのか?」
してもらえるわけがない。僕が死んでみんなが生き返るなら、喜んで死ぬ。でもそれが出来ないから、僕は死んでみんなに謝りにいく。
許してもらえるなんて思ってはいないけれど、それでも。せめてみんなと同じ死に方をして、あの日生き延びてしまったことの罰を────
「違う。お前はそこがズレているんだ。謝りに行く? 腑抜けたことをぬかすなよ。今のお前が天国なんかに行けると思ってるなら、大間違いだ」
何を言い返せずに黙っている僕を殴りつけるかのように、強い言葉が浴びせられる。
「その日助けられてからお前は、学園の指示で一週間療養していたな。その期間、お前が何を考えていたか。私は知っているぞ」
やめて
「悪夢として夢の中を侵食するほどに頭に残っているその光景を思い返すたび……お前は、安堵していたんだ」
やめろ
「私の前で嘘をつく必要はないぞ。お前が恐れていたのはその日の惨状にじゃない。仲間が皆殺しにされた中で自分だけが生き残れたことに安堵している、お前自身の意地汚い心に恐怖したんだ」
やめろ……
「死にたい。そう思うようになったのは復学してしばらくしてからのことだったな。周りに″自分は要らない人間だと教えてもらって″いた。何重にも自己暗示をかけ続け、刷り込んでいたんだよ。どうしようもない自分をこの世から消すための、理由を────」
「やめろ!!」
無意識のうちに、立ち上がって叫んでいた。思いっきり机を叩いて、お茶をこぼして。湯呑みが割れる音を聞いても、僕の心はぐちゃぐちゃなままだった。
何に激怒したのか、もう自分でも分からない。アンジェさんに浴びせられ続けた言葉のどれが本当で、どれが本当じゃなくて。どれが意識してやったことで、どれが無意識にやったことなのか。もう僕は、分からなくなっていた。
「僕は……僕は……ッッ!!」
「間違っていないよ。お前のしてきたことは、何も」
「っ……!!」
僕が声を大にして叫ばなければいけない……それでも叫ぶことができなかった言葉を、アンジェさんは僕の目から溢れる涙に手を当てて、言った。
「わけがわからなくなったのは、お前が苦しんで苦しみ抜いた何よりの証拠だ。人間というのはな……結局は自分が一番かわいい生き物なんだよ。家族だって、兄弟だって、仲間だって。所詮は全員他人なんだ」
「っ……ぁ……」
「自分だけ生き残った? 上等じゃないか。この先の人生、どう使おうがお前の勝手だが……今ここで自殺することは、死者への冒涜だ。人生から逃げる言い訳のために、仲間のことを利用するな」
「うっ、ぁ……! あぁ……っ!!」
「さあ、選択の時だ。お前は、お前のためにどう在りたいのか。決めるんだ」
キツい言い方をしてくるけれど、その根には優しい何かがある。僕を殴りつけていた言葉はいつの間にか、僕の身体を優しく包んでくれていた。
もう涙で顔はくしゃくしゃで、アンジェさんのが顔もぼやけている。それでもこの人が僕を想い、優しい顔をしていることだけは、よく分かった。
「死んだみんなに、僕が生き残ってくれてよかったって思ってもらえるような……強い人に、なりたいです……ッ!」
「……よく、頑張ったな。お前の気持ちは、ちゃんと伝わったぞ」
「ひっ……ぐ。ぅあ、ぁ……っ!!」
その後のことは、よく覚えていない。涙が枯れて、頰がじんわりと痛くなってもずっと、泣き続けて。そんな僕をそっと抱きしめてくれたアンジェさんの胸の中で、僕は……気づけば疲れ果てて、眠ってしまっていた。