「…………」
カーテンの隙間から差し込む日光が、僕の顔を照らす。
だるい上半身を起こし布団をめくると、少し肌寒かった。もう十一月だ。
「早く準備しなきゃ」
水を飲み、味のしない安物のパンを温めて口に入れる。何回か咀嚼して飲み込んでから着替えを始めて、顔を洗い、歯を磨くとすぐに登校の準備は出来上がった。
いつも通りの、ただの朝。これでいい。″人生最後の朝″だからといって、何も時別なことは必要無いのだから。
「行ってきます」
誰もいない、無機質な二人部屋で小さくそう告げて。僕は扉の鍵を閉めた。
◇◇◇◇
ウルウォグ騎士学園。僕の通う学園の名だ。総勢六百人にもなる生徒が存在するこの学園では、僕らは剣の技術と心の在り方を実戦、座学の両面から学ぶ。午前は座学を行い、午後には実戦。そしてこの午後の実戦訓練は、男子のみから成るこの学園と対となるベルナード魔術学園の女子生徒と合同で行われる。
男は剣術、女は魔術。この振り分けは、生まれたときから決まっていることだ。
なぜならこの世界では、魔術を使うための力────魔素を持って生まれるのは女のみ。男は強くなるために剣術を学ぶしかなく、女は魔術を学ぶしかない。生まれたときから、進む道は決まっているのだ。
そんなこの世界で僕は男として生まれ、剣を学んでいた。……今となってはもう、どうでもいい話だけれど。
「なあ、アイツまだ生きてるぜ」
「すげえメンタルだよな。よく顔を出せるもんだ」
一つ、二つ、三つ。歩いていくたびに、僕に向けられる視線の数が増えていく。そのどれもが軽蔑と嫌悪によるもの。この向けられて当たり前の視線にはもう、とうの昔に慣れている。
(それに……どうせ今日で最後だ)
あの日。僕が仲間を、剣の心を失った日。食べられる寸前のところで教員の人たちに助け出されて、僕は無様にも一人生き残ってしまった。
成績優秀者五人に付きまとっていた糞だけが、だ。あの場の五人誰もが、僕より生きるべき人たちだった。
教員からの攻撃を受けながら逃亡したらしいあの化け物に殺されたみんなのことを想い、葬儀では何十、何百もの生徒が涙し……僕を憎んだ。どうしてお前が生き残ったんだ、と。
「っ────」
「よっしゃ命中! 今日はいい日になりそうだ!!」
僕の頭を、大粒の石が揺らす。ジンジンと鈍い痛みとともに額の端が出血し、制服の肩を赤が染めた。
「おいおい、やめとけってぇ。石はもっと小せえのにしとかねえと!」
「おお、しまったつい。まあでも大丈夫っしょ。あの的相手なら!」
「違いねえな! ぎゃははッ!!」
今日はついてないな。いつもはたいがい当たっても肩か背中くらいな彼の石の、それもちょうど尖ったところが額を直撃してしまった。まあ、僕が痛いだけだしいいか。
血のにじむ傷口をハンカチで抑えながら、僕は教室へと向かう。
誰とも会話せず、真っ赤になってしまったハンカチをゴミ箱に捨て、ガーゼで圧迫しながら止血。すぐに出血は止まらなかったが、数分もすると完全に止まり、絆創膏を貼った。
(今日は机も椅子もあるけど……机の中は、触ったらダメか)
大体いつも机か椅子どちらか、もしくはその両方が無いのだが、今日は珍しくそのどちらもが揃っていた。まあ代わりに机の中が画鋲と謎の液体で地獄絵図になっていたけれど。
「じゃあ、授業を始めるぞー。まずは教科書の二十五ページから────」
先生のいないところでは横行する僕への仕打ちも、授業さえ始まってしまえばさっきまでのが嘘だったかのように消える。
全員、真剣に先生の話を聞いていた。剣とはどう在るべきか。どのようにすれば、強く在れるのか。午後の実戦に向けた知識収集を真面目に行っているのだ。
みんなが死んだ直後のクラスの雰囲気は、こんなに落ち着いてはいなかった。悲しみに暮れる人、怒りや憎しみを吐き出せないでいる人。でも今ではそんな人たち全員の鬱憤の受け皿が用意されたおかげで、こうして入学当初のようなクラスに戻っている。
────だがその受け皿は、今日で姿を消す。
◇◇◇◇
「ではこれより、合同戦闘訓練を始める! いつも通り六人班を形成して並んでくれ!」
女性だけど性格がキツくて、鬼教官と称されるギュルグ先生の声の元、戦闘訓練が始まる。
この訓練では実際に徒党を組んだ敵、ならびに群れを成した魔獣などを相手と想定し、六人で班を作り戦う。
班の男女比は自由だが、基本的にどこも男女三人ずつで形成することが多い。僕の班だってそうだった。
「おい、さっさと来いよ。″元″一位グループの出来損ない」
「……はい」
そしてそんな仲間を失いはや一ヶ月。僕は剣士として生きていくうえで″致命的な欠陥″を負い、成績は下位のグループの数合わせ要員として利用されていた。
出来損ない、肉の盾、役立たず。僕に相応しい言葉だと思った。
だって、僕はもう────
「では次、チームF、チームG。用意!」
ギュルグ先生の号令を合図に、敵のチームFの六人が戦闘準備を整える。
男四人、女二人。剣士である四人が二人ずつで固まり、中央後ろに魔術師二人を置く構え。一見魔術師に盾が無く諸刃の剣のような陣形にも思えたが、違う。
四人のうち内側の二人は、常に魔術師を守ることに意識を割くようだ。故に二人の間隔は狭く、こちらの遠距離攻撃にもすぐに対応できる形を取っているらしい。
一方で僕の所属するチームGは、男三人女三人。僕を先頭のど真ん中に配置して、その後ろに魔術師三人を固める。その上で両脇に剣士を二人。だがその間隔は異様に広く、僕を剥き出しにして攻撃の的にするかのようだった。
チームを取っ替え引っ替えしている僕だが、こういう陣形を取られることは多い。要するに魔術師を肉の壁として守らせつつ、そこに攻め込んできた剣士を両脇の二人が迎撃するというやり方だ。これは僕一人に負担が偏っていて、相手の魔術も剣もその両方を一身に受けかねない。しかしその代わりに、チームとしては僕の利用価値などそれくらいしかないのだから、仕方ないとも言える。
「始め!!」
あくまで訓練であるこの授業では、真剣は使わない。構えられているのは木剣で、試合が始まると木と木がぶつかる音が響く。
みんな、この試合で結果を残すために努力している。剣士は身体を鍛え、魔術師は魔素量の底上げと魔術の精度を高めるための練習を。それらの努力を披露する場が、ここなのだから。
だけど……僕に披露できるものは、何もない。
「ねぇ、ちょっと! コイツまた……!」
「放っておいて集中して! 早く詠唱を!!」
あの日以来、僕は────一度も、剣を振れていない。
例え木剣であろうと、柄を握り剣先を見るだけで、あの日の光景が蘇る。
無惨に殺され、人間から肉へと変わり果てていく仲間の姿。脳内でフラッシュバックするそれは、僕の剣の意志をかき消していく。
「氷慧魔術来るよ! 迎撃!!」
「赤き紅蓮の弾丸よ、顕現し敵を穿て! ────ファイアボール!!」
まるで遠くで鳴っている音をぼんやりと聞いているかのように、僕の呼吸音以外の雑音はほとんど鼓膜を揺らせない。視界は曇り、薄れ、身体の震えだけが増大する。
明確な欠陥だ。戦闘中に剣を振れないどころか、動くことすら叶わない。猛烈に襲ってくる嘔吐感と頭を内側から捻り潰すかのような頭痛に身体は拒否反応を起こし、震える手先から木剣が落ちて姿を消す。
「オイ、お前ら援護! 二人で四人相手はキツすぎる!!」
「分かってるわよ!! あぁ、もう! なんで五人で戦わなくちゃいけないのよ!!」
学園側はこの症状に配慮し、あの事件から一週間の療養休暇を与えた上で、実戦の中でトラウマを乗り越えるという目標を課して僕をここに立たせている。
だが何度繰り返しても結果は同じで、どれだけ意志を強く保とうとしても、剣を握ればたちまち僕は記憶に襲われた。
もう、そろそろ学園から猶予を与えてもらう期間は終わりだ。何度訓練に出てもこのザマなのだから、あと一週間もしないうちに退学処分を言い渡されるのではないだろうか。
「そこまで! チームFの勝利! 負けたチームGは反省点を挙げ、用紙を提出するように!!」
最後の最後まで、人に迷惑をかけた。でも何かの形で挽回するなんてことは、欠陥品の僕には出来ない。
これ以上誰かを巻き込むのには、もう耐えられない。
こんな僕の人生の幕切れは、せめて静かに、誰もいないところで終わらせたい。
もう、疲れた。