言われるがまま、俺は壁の穴を覗いてみる。しかし二〇一号室の部屋の中は暗かった。どうやら電気を点けていないらしい。しかしおぼろげに光が見えている。蛍光スタンドでも点けているのだろうか。
「どうだい、なにが見えるかな?」
「あー、いや、これはパソコンか……」
目を凝らしてよく見てみれば、デスクトップのウィンドウが暗闇に明かりを灯している。カリカリとした起動音も耳に届く。
暗闇に目が慣れてきた俺は、二〇一号室の部屋の中でもそりと動く物体を視界に映した。言わずもがな彼方だ。座椅子にもたれてパソコンの画面と睨めっこしているではないか。
ついでに言うと、眼鏡はかけていない。
「着替え中じゃなくて残念かい、蜷川?」
「いや、別にそんなこと期待してないから」
と言いつつも、本当は少し残念だと思っていたりする。言葉では否定しておいたが、来宮は人の心を読む能力に長けた印象があるので、はっきり言えば俺の考えなど容易に想像できているだろう。それをネタにからかわれる未来は遠からず訪れるはずだ。
「暗くてもよく分かるさ、キミが残念がっている様子がね。私でよければ見せようかい?」
ほらな、すぐにからかわれた。
「いつか襲うぞ」
「それは面白い。私のファンクラブの全会員を敵に回してもいいのならどうぞご自由に」
クローゼットの中で談義していると、どうやら彼方が声に気づいてしまったらしい。
彼方はこちらに視線を向ける。慌てて身を引くと、来宮と頭をぶつけた。
「うっ、随分と攻撃的なアプローチじゃないか」
おでこを擦りながらも、あくまで俺で遊ぶことに余念がないようだ。幸いにも壁の穴から姿を見られるようなヘマはしなかった。だが、彼方の部屋でパタパタと足音が聞こえたかと思えば、ドアの鍵が開く音が聞こえた。その数秒後、俺の部屋のドアがノックされる。
「お客だよ、蜷川」
「……言われなくても分かってるよ」
クローゼットから這い出てのそりと立ち上がり、軽い立ちくらみに耐えながら部屋のドアを開いてみる。当然のことだが、ドアの前に立っていたのは二〇一号室の住人だ。
「な、なんか用か?」
俺は何もしていないと白を切るには明確な証拠が残りすぎているので、彼方の視線を真正面から受け止めることができない。そそのかされたとはいえ、覗いたのは事実だからな。
「……明良、覗いた」
「いやあの確かに覗いたけどこれは来宮が――」
「やっぱり、変態……」
引っ越ししてから僅か半日、俺は三人の女の子から変態と呼ばれる経歴を持つことになった。
「ほう、そうだったのかい、やはり私が睨んだとおりキミは変態だったんだね?」
追い討ちをかけるような言葉をありがとう。
彼方は怒りを表現しようとして失敗したのか、可愛らしく頬を膨らませている。せめて俺を睨みつけるぐらいのことはしてもらわないと怖くないぞ。むしろ苛めたくなる。
「なあ、戸松。そんなに怒らないでやってくれるかい。蜷川はさ、戸松の秘密が知りたくて覗いたんだよ。どんな下着を身につけているのかとか、寝顔はどんな――」
「来宮、お前は何も言わなくていいから、とりあえず黙ってくれるかな」
火種を作るのが来宮の仕事なのかとお尋ねしたい気分だ。
「あのさ、……ごめん、覗いて」
彼方に向けて頭を下げると、すぐ横から苦笑が聞こえた。来宮が笑いを堪えているのだろう。
「う、う……っ」
肝心の彼方はというと、何か言いたげな様子だったが、口を開かずに二〇一号室へと閉じこもってしまった。これは本格的に嫌われてしまったかもしれないな。
「どうしてくれるんだよ、まったく……」
「どうしてほしいんだい、キミは? 私に慰めてほしいのかな?」
言葉のキャッチボールが続かない相手には何を言っても無駄なようだ。
「仕方ない、また明日謝るか」
「ふむ、それがいいさ。私も今日はキミをいじることができてとても楽しかったよ。男を手玉に取るというのもたまにはいいかもしれないね。また明日遊ぼうじゃないか」
「だから俺で遊ぶのはやめろって言ってるだろ」
「くくっ、それはできない相談というものだよ、ねっ?」
来宮はアニメに登場するヒロインのように、無垢な笑みを満面に咲かせてみせる。
それはまさしく、一目惚れしてもおかしくないほどの破壊力を秘めていた。
一瞬、胸がときめきそうになった自分が悔しい。むしろ愚かしいね。自分で自分を殴りたくなってきた。
「今の笑顔はキミ専用だからね? それじゃあばいばい!」
アニメ声でそれだけ言い残し、来宮は二〇三号室へと戻ってしまった。
「……ファンになっちまいそうだな、マジで」
改めて、俺は現役アニメ声優の実力のほどを見せつけられたのだった。
今夜は悪夢を見そうな気がするよ。