「あ、あの、……わたしも、踊れる」
踊れる、と彼方は告げた。それは俺にとって深い意味を持たせてくれる。
「おおっ、やっぱりか! 彼方もダンスが踊れるんだな?」
「やっぱりってどういうことよ?」
伊流院がすかさず口を挟んできた。
そうだな、今なら俺がジャズダンスを習い始めた切っ掛けを話すのも悪くないだろう。
「ずっと前になるんだけどよ、家族旅行で東京に遊びに来たとき、夏祭りを見に行ったんだ。中央の広場に舞台が作られててさ、そこで踊ってた女の子が彼方にそっくりだったんだけど、あれはやっぱり彼方だったんだな」
「本当なの、カナ?」
「……う、たぶん」
ぎこちなく、彼方は頷いた。自分の過去についてあまり話したがらないようだが、その日、舞台で踊った奴らの中で彼方が一番上手だったのは誰の目にも明らかだったし、観客を沸かせていたのは嘘偽りのない事実だ。今もダンスを踊っているということはつまり、あの頃よりももっと上達しているはずだ。
「彼方が踊ってる姿を見て、俺はジャズダンスを習い始めたんだ。目の色が紅かったから最初は別人だと思ったけどよ、まさか再会できるとは思わなかったぞ。……そうだっ、彼方も沢城高校なんだから一緒にジャズダンス部を創らないか?」
口早に喋っている間に、彼方の表情が二転三転する。
だが俺には彼方が何を訴えようとしているのか理解できないし、それ以上に今はとにかく彼方と再会できたことに感謝していた。だからだろうか、
「む、無理……。ジャズダンスは、もう、……踊らない」
あの頃とは雰囲気がまったく異なる彼方にいったい何があったのか、そして俺の不用意な発言が彼方を傷つけてしまったことに気づいていなかった。
「え……、だけど今もダンスを踊ってるんだろ?」
彼方は否定しない。だとすれば何故、踊らないと言うのか。
みごや館の住人であり、沢城高校の生徒が四人集まった廊下に沈黙が流れる。
「……アニメが……、好き……」
「アニメ?」
「だ、……だから、ジャズダンスじゃなくて……、踊ってる」
「……それってつまりどういうことなんだ?」
これ以上聞かずとも、もはや全て理解しているが、確認の意味を込めて追求してみる。少々意地悪すぎたかもしれないが、俺の落胆は計り知れないのだから我慢してもらいたい。
すると彼方は、残酷な時の流れを象徴するかのような単語を、恐る恐ると呟いた。
「今の、わたしは、アニソンダンサー」
くつくつと笑みを零すのは、二〇三号室の住人だ。みごや館の管理人はというと、何も言わずに溜息だけついている。二〇一号室の住人は真顔で言っているのだから嘘をついているわけではなさそうだ。そして今日から二〇二号室の住人となった俺は、現状を受け入れるのに必死で頭がおかしくなりそうだった。いったい何がどうなってこんなことになったんだろうな。
俺が憧れていた彼女はジャズダンサーだった。すでに過去形なのは気にするな。
そしてその彼女――戸松彼方は、紅い瞳を持つアニソンダンサーになっていた。
……ここ、笑うところか?