「さっきも言ったと思うけど、あたしの親はみごや館のオーナーで、ホテルの管理はあたしに任せられてるわ」
「掃除しないのは管理人の意向か?」
「う、うるっさいわね、掃除したいなら勝手にしなさいよ。あたしは止めないわよ?」
「その台詞もさっき聞いたけどな」
少し恥ずかしそうに、伊流院は頬を膨らませてみせる。それ以外は特に話すことがないのか、そのまま黙り込んでしまった。どうやら怒らせてしまったようだが、伊流院の性格上すぐに機嫌を直してくれるだろう。だから放っておいても大丈夫だよな。
「……それで、彼方は?」
標的を伊流院から彼方へと変更してみる。隣の部屋同士なのだから、この場を借りて今以上に打ち解けておきたいのが本音だ。
すると彼方は、俺の声が届いたのか、ゆっくりと顔を上げて目を合わせてきた。彼方の紅い瞳に見つめられると、どこか落ち着かなくなってくる。
「とま、つ……かなた」
「……いや、うん。名前はもう知ってるんだけどな」
名前の他に教えるつもりがないらしく、伊流院と同じように黙り込んでしまう。下の名前で呼ぶのを先ほど許されたばかりだが、彼方との距離がまったく縮まっていないように思えるのは気のせいではあるまい。彼方はまるでその紅い瞳を見られたくないと必死に視線を逸らしているかのようだ。
そうこうしているうちに、お皿に盛り付けられていた料理はいつの間にかきれいさっぱりなくなっていた。話が盛り上がったのかそれとも盛り下がったのか微妙なところだが、時間が経つのが随分と早いように感じる。中学校までは女友達なんて一人もいなかったけど、だからだろうか、正直この二人と話をするのがとても楽しい。もちろん、そんなことは口が裂けても本人には言えない。伊流院の性格から察するに、今よりも更に調子に乗って俺への態度や対応が悪化していく姿が想像できる。
「ふぅ、お腹いっぱいだわ」
「けっこう量もあるし、美味しかったな」
「そうでしょ? 安く済ませたいときはあたしを連れて竜宮城に行くのをオススメするわ。あんたもあたしの友達になれたことに大感謝することね」
伊流院の中ではすでに友達として認定されているようだ。
いや、嬉しくないと言えば嘘になるが、他の奴にもこんな言い方をしているのだとすれば、伊流院は友達づきあいが苦手なようにも思えてくる。口下手ではないにしろ、本音と建前が混ざっているようなものだからな。
なんにせよ、上京初日にして友達ができたのは素直に喜ばしいことだ。しかもそれが女性なのだからこれからの高校生活に期待せざるをえない。一応、一つ屋根の下に住んでいるわけだし、会いたいときにいつでも会いに行くことができるというのは非常に大きなアドバンテージを得た気分だ。オマケに隣人も可愛いし、文句の付け所がない。
「おばさーん、ごちそうさまね。また明日食べに来るわ」
伊流院と彼方が食べ終えて、竜宮城の外に出る。俺も外に出ようとしたが、何者かに肩を掴まれた。振り向いてみると、エプロン姿のおばさんが笑顔でもう片方の手の平を広げているではないか。初対面の俺にいったい何の用があるのかと、問い尋ねるのもバカらしい。お昼を共にした二人はすでに竜宮城の外に脱出し、捕まってしまったのは俺一人だ。というかこれはもしかして伊流院に嵌められたのではないだろうか。
「あっ、はい。財布出しますんでちょっと待ってください」
つまり俺は三人分の会計を一人で支払う羽目になったわけだ。安く済ませたいときは自分を連れて竜宮城に行けばいいとかほざいていた奴に大感謝しそうになった俺が間抜けだった。いくら一人分の食事代が安くなったとしても、その代わりに伊流院の食事代も払ってしまえば何の意味もないじゃないか。
「遅かったわね、ほら行くわよ?」
支払いを済ませて外に出てみると、両手を腰に当てた状態で足のつま先をパタパタさせる伊流院が出迎えてくれた。伊流院と一緒に竜宮城から逃げ出した彼方は、そ知らぬといった感じで遠くを見つめている。何気にあくどい性格をしているよな。
まあ、いい。詐欺にでも遭ったと思えば納得できるさ。
それに三人で飯を食べるというのもなかなかに充実していた。三人分の食事代を俺が支払う対価として十分見合っているだろう。でも二度目は絶対に割り勘にしてやるけど。