「着いたわよ」
「公園にか?」
視界に映っているのは、それなりの広さをほこる公園だ。中央には小さな噴水がある。
「公園に住みたいならどうぞご勝手に。あたしは絶対に嫌だけどね」
伊流院は公園の中に入り、向かい側へと突っ切っていく。立ち止まっていても仕方がないので、俺も公園を突っ切った。すると新たな景色が視界に飛び込んでくる。桜の木に隠れて姿が見えなかったが、そこには古びた外装の建物があった。
「これが……」
「そう、これがみごや館。これから三年間、あんたが住むところよ」
「……ゴミ屋?」
「みごや!」
「廃墟……じゃないよな?」
「それ以上言ったらぶっ飛ばすわよ」
以上のようなやり取りを交わした後、伊流院と一緒にみごや館の中に入った。
廃墟は言いすぎたかと思ったが、すぐにその考えを改める。
理由は言わずもがな、外装に負けずとホテルの中も酷かったからだ。
「なあ、やっぱり廃墟じゃ……」
「う、うるさいわね。三年ぐらい掃除してないだけじゃない」
「なん……だと……!?」
埃の溜まったロビーをズカズカと歩いていき、伊流院はカウンターの引き出しの鍵を開けた。
引き出しの中にあったのは、各部屋の合鍵のようだ。それとは別にもう一つ鍵を取り出すと、伊流院はそれを俺の顔に向けて下手投げで放る。
「おわっ、と」
「二〇二号室の鍵よ。あんたの部屋だから」
銀色の鍵には二〇二の文字が彫られている。これが俺の部屋の鍵か。
ようやく一人暮らしを実感できそうだな。大きな荷物はすでに届いているはずだから、今日は部屋の掃除で一日が潰れそうだ。
「ほら、こっちに来て。部屋まで案内するから」
伊流院に案内されてロビーの奥へと進み、階段を上がって二階の廊下に出た。ロビーが吹き抜けになっているので、手すり越しに下の様子を覗くことも可能だ。小まめに掃除をすれば、案外住みやすいかもしれない。
「ここが二〇二号室よ」
ドアのプレートには二〇二と蜷川の文字が記されている。先ほど受け取った鍵を鍵穴に挿し込んで、ゆっくりとドアを開いた。カーテンは閉まっているみたいだが、日の光が暗闇を幾分か和らげている。
「隣の二〇一号室のカナも沢城高校の生徒だから、あとで挨拶しておくといいわ」
「へえ、そうなのか。……ん? その言い方からすると、ひょっとして伊流院も同じ学校だったりするのか?」
「言ってなかった?」
「言ってないし聞いてない」
「あたしと二〇一号室のカナは、来週から沢城高校の生徒よ」
二〇一号室に住むカナという人物だけじゃなく、まさか伊流院も同じ学校に通うとは、これは如何なる偶然か。いや、同級生が近くにいるのは何かと心強いから構わないのだが、ひょっとしてみごや館は沢城高校御用達の寮なのか。因みに沢城高校というのが、俺が一芸一能入試で合格した高校の名前だ。全生徒数が千五百人を超えるので、それなりに大きな学校だ。
「それじゃ、あたしは下にいるから」
バス停からみごや館に着くまで持っていてくれた荷物を床に置いて、伊流院は階段を下りていった。
いつまでも廊下に立ち尽くしていても時間の無駄なので、部屋の中に入ってみる。電気のスイッチをオンにすると、ドアの横に洗濯機が、そしてその奥にキッチンがあった。キッチンの反対側にはドアが二つあり、バスルームとトイレは別々になっているようだ。冷蔵庫はあらかじめ購入しておいたものだが、一人暮らしには十分な設備が整っていると言えるだろう。
部屋の奥に入って、もう一つ電気を点けてみた。壁際には洋風のベッドが配置されており、小さなテレビが板張りの床に置かれている。季節感を損なわないデザインのコタツがふてぶてしく真ん中を陣取り、部屋の角にはダンボールが山積みになっていた。あの中には衣類や勉強道具の他に漫画や小説などが詰め込まれているはずだ。部屋の掃除が一段落したら本棚と机を買いに出かけてみるか。
「と、その前に」
荷物を置いて一息つく。
隣人に挨拶しておかないと伊流院にぶっ飛ばされそうな予感がするので、今のうちに挨拶を済ませておくとするか。つまらないものという名の贈り物すら渡せないのが好印象を与えるとは到底思えないが、仮にも同級生になるのだから挨拶ぐらいしておいた方がいいだろう。これからの高校生活を順風満帆に過ごしていくためには第一印象が肝心だからな。
いや、だとすれば俺と伊流院の第一印象は酷いものということになりそうだ。
部屋の外に出て、隣の二〇一号室の前に立つ。軽めの深呼吸で息を整えて、程よい緊張感を持ってドアをノックした。伊流院は隣人の名をカナと呼んでいたから、二〇一号室の住人は女性なのだろう。ちょっとした期待感に胸を躍らせるが、反応がないのでもう一度ノックしてみる。すると部屋の中から足音が聞こえてきた。