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【1-1】一芸一能

 今時の高校受験には一芸一能推薦枠というものが存在するのをご存知だろうか。


 学力の差によって合否を分かつ一般入試とは異なり、何か一芸に秀でたものを持っているのであれば、誰にでも受けることが可能な受験制度のことだ。


 どんな些細な特技でも構わないし、何か思い当たるような文化的な活動をしたことがあれば、それを一芸と謳って一般入試とは別に推薦を貰い、一芸一能入試に挑むことが可能だったりする。これは意外にも入試の穴場的な存在となっていて、勉学の分野において最下層を彷徨い続ける非常に残念な人間に与えられた一縷の望みであると言えるだろう。当然のことだが、俺もその恩恵にあやかろうと試みた無粋な人間の一人に数えられてしまう。


 名の通った有名な高校で一芸一能入試を受ける場合、最大の敵は芸能人だ。

 彼らはその存在自体が一芸として秀でているので、その他の一芸で挑まなければならない受験生たちは、書類選考で落とされないように必死のアピール戦法に打って出る必要がある。たとえそれが嘘や偽りで塗り固められていようが、確かめようがないものを題材にすれば証拠は何一つとして出てこない。頭はすこぶる悪いくせに、その代わりと言っては何だが、悪知恵を働かせるのだけは得意だった。


 だからだろうか、数少ない合格者枠を手に入れるために、書類選考で他の受験生よりも一歩前に進むのはある程度予想通りだった。


 書類選考に通って一つ目の壁を突破した後、受験生を待ち構えているのは面接と小論文の二つの壁だ。一芸一能入試では学力で合否を決するのではなく、一芸と面接に重点を置く学校がほとんどなのだが、小論文はテーマが毎年変わって運任せな面があるので、面接においてどれだけ口八丁で貫くことができるかに懸かっている。


 一芸一能入試の面接で嘘と言う名のジャブを織り交ぜながら、笑顔と明るさを存分にアピールしたわけだが、どうやら面接官を騙しとおすことに成功したらしい。一芸一能入試から一ヵ月後、実家の郵便受けに合格通知書が届いていた。


 ……さて、なんだか今までの流れを振り返ってみると物凄く性質の悪い性格をしているように思われても仕方ないが、あくまでも受験に合格するために最善の策を取っているだけに過ぎないので勘違いだけはしてほしくない。勉学では他の人間に敵わないが、これでも一応それなりの一芸に秀でていたりするのだ。その一芸というのが〝ジャズダンス〟だ。


 小学四年生の頃から地元のダンススクールに通い、レッスンに励んできた。何度か舞台に立つこともあったが、一番後ろの列が定位置なので、はっきり言えば下手くそだ。


 振り付けを覚えなければ舞台には立てないわけで、初見で覚えるなんて器用な真似はできないし、物覚えが悪いので振り付けを完璧に踊れるようになるまでに膨大な時間がかかってしまい、挙句には他のレッスン生と比べて身体が硬いのは致命的と言えよう。


 それでもどうにかして舞台に立ちたいと苦悩し続け、やがて思い浮かんだのが、ターンを習得することだった。


 ターンというのは、その名の通り回ってみせることだ。フィギュアスケートのように、回転数によって難易度が上がっていくのだが、地に足をつけたままターンできるので、腕や身体の反動を利用すれば面白いほど回転することができる。ただ、軸足で全体のバランスを取らなければならないので、回転数が多くなれば自然とぐらつきやすくなってしまう。


 バランス感覚も大したことはないのだが、ターンは勢いに任せて回ればいいだけだったので、振り付けを覚えることやストレッチをして身体を柔らかくすることよりも優先して練習した。


 バカの一つ覚えみたいにターンばかり回っているものだから、他のレッスン生から奇異な目で見られることもあったが、取り柄になりそうなものがこれしかなかったのだから文句は言わせない。その結果、踊るのは下手くそなのにターンだけは完璧な四回転を回れる人間が一人出来上がっていた。


 受験が終わってから暫く経ち、中学校を卒業し、地元を離れる時がやって来た。四月から通うことになる沢城高校は東京にあるので、実家から通うのは不可能だ。地元を離れて一人暮らしをするために上京した。


 料理は作れないし、洗濯も今までに一度もやったことがなかったので、空港のゲートをくぐるまでの僅かな間に、父さんと母さんは心配そうに何度も声をかけてくれた。別れの場というのは哀しくなりやすいものだが、妹の視線が携帯の画面に向けられていたのがほんの少しだけ残念だった。


 飛行機に乗り込み、空の旅を満喫せずに惰眠を貪っているうちに、呆気なく東京に着いてしまった。電車には乗らずにバスを乗り継いで目的地へと向かい、これから高校を卒業するまでの三年間お世話になるであろうアパートの大家さんとの待ち合わせ場所に到着する。


 辺りを見回してみるが、特にそれらしい人物は見当たらない。バス停のベンチに女の子が一人座っているみたいだが、さすがに彼女が大家さんということはないだろう。


 すぐそばには地元よりも活気に満ちた商店街があるし、地図によればアパートから学校まで徒歩十分圏内のはずだから、立地条件としては悪くない。出だしは好調といったところだろうか。そんなことを考えながら時間を潰していると、ベンチに座っていた女の子が近づいてきた。


 目の前で立ち止まり、俺の顔を一瞥する彼女は、服装をチェックするかのように視線を動かしていく。その視線が戻ってきて目が合うと、彼女は眉根を寄せた。


「あんたが蜷川明良?」


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