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【二章】

「……えと」

 架織乃家の居間に案内されたオレは、さてこれからどうすればいいのかと思案する素振りを見せてみる。居間には、薄型テレビと向かい合うようにコタツを挟み、二人掛け用のソファーが置かれていた。真ん中に穴の空いた座布団がカーペットの上に二つほど並んでいるが、さてオレに突きつけられた選択肢はどちらが正しいか。

 一、胡桃に言われたとおり、二人仲良くソファーに座ってイチャイチャしてみる。

 二、んなことすれば訓夏に十中八九罵倒されるからチキン野郎よろしく座布団だ。

「さて、どっちだ?」

「……何がですか?」

 うげっ、本人に聞かれてるじゃねえかバカ野郎。つーかテレビでけえな、何インチあるんだよこれ。テレビから三メートルは離れて見やがって下さいって言われるぞ。いやまてよ、ということは距離感的にソファーに座るのが正解ってことになるのか……とかなんとか考えている場合じゃないよな。

「いや、独り言だよ独り言、ははは」

「気持ち悪いって言ってもいいですか?」

「言ってもいいですかじゃなくて既に言ってるよねっ」

 嫌いだと言われ、更には気持ち悪いとまで言われてしまった。……泣いてもいいかな。

「どうでもいいですけど、早く座って下さい」

「うっ、そうだな」

 とっとと座れこの優柔不断野郎とでも罵られているかのような気分だぜ。

 こんな状態でソファーに座れるほどオレの心は強くできていない。たぶん、硝子っぽいね。

 というわけでオレが座ったのは座布団でした。チキン野郎で悪かったな、胡桃。

「……では、わたしも」

 小声で囁くように言葉を紡ぎ、訓夏は深呼吸をする。

「――……ごふっ、かはっ……くぅ……っ」

 と、何故か咳き込んでいる。っていうかどうして深呼吸を始めたのか意味不明だぞ。

「訓夏、大丈夫か?」

 苦しそうに口元を押さえ、訓夏は喉を鳴らした。まさか重い病気にかかっているなんてことはないだろうな。変態と罵られるだけならともかく、そんなバッドエンドは御免だぞ。

「なんでこっちを見るんですか、バカですか。余計なお世話ですよ」

 目を細め、オレの顔を睨みつける。心配したのにこの仕打ち、オレはマゾじゃねえ。

「そ、そっか」

 心配する必要がないなら、まあそれはそれでいい。健康な方がいいからな。

 ようやく落ち着いてきたのか、訓夏はオレに隠すことなく溜息を吐いてみせる。それから小さく頷いて、何事かを自分に言い聞かせるかのように座布団を手に取った。

「えっ、あの……訓夏?」

 驚愕すべきは、その後の不可解な行動だ。訓夏は、座布団をわざわざオレのすぐ隣に並べ直して、ソファーに座るのと同じぐらいの距離感で体操座りをする。ドウイウコト、ねえこれどういうこと? もしかして期待してもいいってことなのか。いやいや何をだよ。オレは変態か。

「……なんですか、麦茶が来るまで黙る甲斐性もないんですか」

「すんませんっ、黙りますっ」

 どんなキーワードが訓夏の逆鱗に触れるか分からない現状において話し掛けるのは災いの元になりそうだ。せっかく可愛い子がすぐ隣に座っているというのに黙っていることしかできないなんて情けない、というよりは勿体無い。おあずけ状態の犬になった気分だよ。

 一方、麦茶はまだ来ない。訓夏と二人きりによる気まずい空気が居間に流れつつあるわけだが、胡桃はいい加減に台所から姿を見せたらどうなんだ。出待ちしてんじゃねえだろうな。オレが我慢できなくなって訓夏に手を出したところに、シニカルな笑みを口元に張りつけたまま「さあ、そろそろキミを殺そうかねえ」とか言いながら包丁を持ってきそうな性格をしている奴だからな。突飛な言動には行動もついてくる。慎重になれ、自分。

 とりあえず、話題を見つけろ。数秒前に黙れと言われたことは都合よく記憶の中から消去することにしよう。手を出すのは我慢する(というよりもそんなことは絶対にしない。何故ならばオレはチキン野郎だからなっ)が、口を出すのは我慢できない。これから暫くは一つ屋根の下で暮らすことになるんだから、今のうちに訓夏と打ち解けていなければ後々の生活に影響が出そうな気がしないでもない。んじゃあ、まずは天気の話題でも振ってみるか。……うん、晴れですがそれが何か? で終わるな。ついでに「黙ることもできない屑野郎なんですか」とか追撃されそうだ。もう少し話を膨らませることができる話題はないものか、たとえば……、ああ、これでいいか。

「訓夏、今って春休みだよな? もしかして部活にでも入ってるのか」

 すると、訓夏はオレの言葉に肩を揺らした。反応はしてくれるみたいだ。

「……TCG研究会に、入っています」

「TCG研究会? ひょっとして、カードゲームが好きなのか」

 こくん、と頷く訓夏。……おお、素直な姿を見ると思わずぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られるな。だが今は耐えろ、胡桃がどこにいるのか分からない。……いや、台所か。

「へえ、奇遇だな、オレもTCGは好きなんだよ。訓夏はどのTCGで遊んでるんだ?」

 焦らずにじっくりと時間をかけるように話題を作り、オレは訓夏の表情を確認してみた。

 少しばかし赤みがかった黒髪は、姉の胡桃とはまったく異なる印象を与えてくれる。

 グラデーションボブって言うのかな、なんか後ろ髪が短くて、前下がりに髪の毛が長くなっているのが印象的だ。俯けば前髪で表情が隠れ、顔を上げれば元通りになる。その髪型がとてもよく似合っていて、存在感を一際際立たせているようだ。無論、容姿端麗なのは一目瞭然で、姉と二人並んで外を歩くだけで注目の的になることは間違いないだろう。ぱっちりとした瞳を長い睫が化粧するかのように整わせ、目元に力強さも加えている。

 日焼けしないのかそれとも肌を露出しないように気をつけているのか、訓夏の肌は不健康な印象を与えかねないほどに真っ白に澄んでいた。そのせいか、それほど運動が得意なようには見えない。ほんの少し走っただけで息が上がってしまい、頬に赤みが差す姿が容易に想像できる。身長は百四十五から百五十センチぐらいで、年相応と言ったところだろう。胸の膨らみ具合は服の上からでもはっきりと認識できる。……でかい、とてつもなく。姉の胡桃が悔しそうに下唇を噛んでいる姿が脳裏に浮かんでくるほどに、めちゃくちゃ大きい。抱きつかれた時にあの胸の感触を味わったが、あれは悪魔の実だ。理性を破壊する殺人兵器だ。

 そういえば、まだオレは二人が何歳なのかすら知らないんだよな。幼さが残る顔立ちの訓夏はオレよりも年下だと思うが、胡桃は想像がつかない。話の種に聞いてみるか。

「……奇遇じゃ、ありません」

 妄想に身を焦がしていると、訓夏が眉を潜める。なんだ、オレの視線が厭らしすぎて視姦と間違われたか。せめて目の保養と言ってくれないかな、男には必要不可欠な行動だからさ。

 はぁ、と溜息を吐いた訓夏は、諦めたように言葉を続ける。

 その際、学生鞄の中からデッキケースを一つ取り出した。

「〝トキの迷宮〟ですよ」

 TCGの名前を聞いて、オレは「ああ、」と頷いた。

「懐かしいな、子供の頃に遊んでたよ。昔はずっとカードゲームばかりしてたっけ……」

「……もう一つデッキがありますから、やってみますか?」

 思わぬお誘いに身を乗り出しそうになったが、どうにか堪えてみせる。

「あー、いや、遊んでたのは何年も前のことだし、ルールを忘れちまったからさ」

「そう、ですか。……残念です」

 学生鞄からもう一つデッキケースを手に取り、コタツの上に置く寸前で手が止まってしまった。ううむ、悪いことしちまったかな。

「ああ、ところでさ、訓夏は何歳なんだ?」

 このままじゃ気まずいので、話題を変えることにしよう。だが、つまらなそうにデッキケースを仕舞いこむ訓夏は、オレと目線を合わせることなく呟く。

「十四歳ですよ。虹ヶ丘中学校の三年生になります」

 ということはオレより一つ年下ってことか。

「……比念は虹ヶ丘高校ですよね、四月からわたしと一緒に登校できますよ」

 虹ヶ丘は中高一貫校だ。実際にはまだこの目で見たことがないからどんなもんか分からないが、同じ敷地内に校舎が建てられているらしい。多少の不安もあったわけだが、訓夏が虹ヶ丘中学校の生徒でよかった。知り合いが一人でもいると胸が軽くなる。

「おう、そういうことになるな。朝寝坊しないように毎日起こしてくれると助かるよ」

 冗談混じりに笑いながら言ってみる。が、

「比念が、そう言うなら……」

 ぼそりと、訓夏は視線を合わせないまま返事をする。

 ……うん、空耳かな。でなければ今この瞬間、オレは毎朝(胡桃の)妹が起こしに来てくれるフラグを地力で勝ち取ったことになるぞ。よくやった、オレ!

「くくっ、残念ながらくんかたんは私のものだ。キミには渡さんよ、釣枝」

 話が盛り上がっているのか否か不明だが、ようやっと胡桃が姿を現した。御盆にコップを三つ、麦茶を持ってきてくれた。こいつ出待ちしてやがったな。

「さあ、私が丹精込めて注いだ麦茶を飲んで疲れを癒すといいさ」

 コタツにコップを置いて、胡桃はソファーに腰掛ける。隣には訓夏、そして背後には胡桃がいる。モテ期ゲージが振り切れてないよな、これ。

「戴くよ」

 コップを掴み、麦茶を一口。此処に来るまでに随分と道に迷ったからな、喉を潤すことができて一息つけた。

「……飲んだね? 私が注いだ麦茶を飲んだね、釣枝?」

 にへらっ、と表情を緩めたのは胡桃だ。

「飲んだけど、それがどうした? 意味深な台詞でオレを驚かせるのが目的か?」

「ははは、またまたご冗談を。驚かせるのはついでに決まっているだろう?」

 ついでかよ。それとは別に何か目的があるみたいだが、いったい何を企んでいるのやら。

「風の噂という名の私の両親から聞いた話によるとだがね、キミは超常現象的な能力を扱えるらしいじゃないか?」

 胡桃の台詞に、オレはコップをコタツに置いた。

「……それは漫画の話か?」

「だとすればキミに質問することは何もないんだがね、嬉しいことに現実の話だよ」

 釣枝、この話題に関してはキミが一番理解しているはずだろう、と付け加えて、胡桃は美味しそうに麦茶を飲んだ。

 どうやらこいつに隠し事はできそうにないな。まったくもって食えない性格をしていやがる。誰に似たんだかな。……ああ、そりゃ胡桃の両親に決まってるか。

「誰から聞いたって?」

「風の噂という名の私の両親だが?」

「直訳するとお前の両親ってことか」

 胡桃の両親が知っているということはだ、つまりオレの両親が秘密を喋りやがったってことになるわけだ。家族以外に知られるのは面倒だからとあれほど口を酸っぱくして言い聞かせたのにこのざまか、がっかりだよ。此処に住まわせてもらう代わりにネタを提供したとか言われたらグレちまいそうだ。

「それで? キミはどんなことができるんだい? さあ、ほら、早く教えたまえよ」

「……サイコメトリーって知ってるか」

 これ以上粘っても無駄だ。いずれは言わなきゃならないだろうからな。

 胡桃の口撃に観念し、オレは自分の秘密を暴露する。

「ふむ、聞いたことがあるね。とある漫画の主人公がそんな能力を持っていたかな?」

 胡桃と訓夏に向き合い、オレは左手の袖を捲くってみせる。左腕には、色や大きさの異なるカラフルな数珠を嵌めていた。

「釣枝、キミにとって最近の流行は数珠ってことを私たちに言いたいのかい?」

「違う、そうじゃない。この数珠がなければオレは頭がおかしくなっちまうんだよ」

「既におかしい……いや、失敬。……で、何がどうして数珠を嵌めているって?」

 今、さらっと酷いこと言いやがったよな、オレの耳は節穴じゃねえぞこんちきしょう。

「サイコメトリーって言ったけど、正確には〝接触反応〟って能力なんだ。対象となる物体に左手で触れるだけで、その物体に関するデータが映像として脳裏に浮かび上がってくるわけだ。……人間や動物のように命ある生き物には行使することができないんだが、無生物であればどんな物でもオレは能力を行使することが可能だ」

 右手で数珠を触りながら、更に説明を続けていく。

「んで、オレが未熟なのが原因かもしれないけど、この能力を行使するのを抑えることができないんだ。我慢ができないってわけじゃない。左手で触れると、まるでそれが自然の摂理であるかのように、オレは接触反応によって視ちまうんだ……」

 ある意味、この能力は呪いのようなものだ。こんな能力があるから、オレは人と接するのが苦手になっちまったんだからな。……いや、苦手になったというよりは意図的に避けていたという方が正しいか。

「……では、今もその左手で何かに触れれば、視えてしまうのかい?」

 胡桃の問いに、オレは首を横に振ってみせる。今はもう、心配することはない。

「いや、それがそうでもないんだ。何故かっていうと、これを嵌めているおかげだな」

 左腕に嵌めたカラフルな数珠がよく見えるように、二人の顔に近づける。

 一見、何の変哲もない数珠に見えるが、実はこれ、凄い効力を持っているんだよな。

「何でもかんでも視えちまうせいで気づけばノイローゼ寸前にまで陥ったオレを見かねた両親がな、どっかの神社でお坊さんに頼んで作ってもらったんだとよ。その時のオレはまだ五歳ぐらいだったのによ、視えないようにするには左腕にこの数珠を嵌めろって言われてな、まあ初めは半信半疑だったけど、嵌めてみると、途端に何も視えなくなって大喜びだ。これでようやく普通の生活が送れるってな?」

 二人の前から腕を引き、肩を竦めてみせた。まるで冗談のような話をしているのだから、おどけてみせたくもなる。全てが事実なんだけどもな。

「ふむぅ、……ということは釣枝、キミはひょっとして、既にサイコメトリーなどできない人間になってしまったのかい?」

 否定する。それは解釈の違いだ。

「言ったろ? 数珠を嵌めていなけりゃ、オレは頭がおかしくなりそうだってさ」

「いやだからキミの頭がおかしいのは言われなくとも知っているのだが?」

「泣くぞこら」

「どうぞご自由に、キミが泣く姿などぞくぞくしそうだねえ」

 真面目な話をしているってのに、ほんの少し気を抜いただけで話が脱線する。オレの隣に座る訓夏は一言も喋らずに黙って話を聞いてくれてるってのによ。マジで泣きたくなる。

「とにかく、今まで説明したことをまとめれば理解できるとは思うがよ、オレの能力は、この数珠を嵌めている時は抑えることが可能……というか完璧に視えなくなっちまって、逆に数珠を腕から外せば、触れたものを接触反応で視ることが可能ってわけだ」

「なるほどなるほど、つまりその数珠はキミの能力を一時的に封印しているわけだね?」

「そういうことになるな」

 ようやく話が繋がった。冗談でもオレの頭がおかしいだなんて言われたくないっての。

「……ああ、因みにもう二つほど聞きたいのだがね、数珠を外した時のキミは、今でも無差別にサイコメトリーをしてしまうのかい? あと、視えるものの有効範囲……つまり時を遡って過去を視ることはどの程度可能なのかねえ?」

 何かを思い出したかのように、胡桃は質問を追加する。

「いや、それはないぞ。長いこと数珠を嵌めていたのが原因か分からないけどよ、数珠を外してる時に接触反応するには精神を集中する必要があるんだ。それと二つ目の質問についてだが、やろうと思えば一年前でも十年前でも視ることができるな。まあ、当然のことながら過去に遡れば遡るほど時間も掛かるし、精神的な負担も大きいがな」

「……ふむ、では特定の場所において特定の記憶を映像として映し出そうとするには、果たして如何程の時間を必要とするのかな?」

「なんか随分と限定的な質問だな? ……えっと、視たい記憶が初めから決まっていて、その記憶が過去に残っているとすれば、ものの数秒で視ることができるぞ」

「よし、分かった。キミは今日から死ね」

「えっ」

「それが嫌なら死ね。――じゃなくて高校卒業までの三年間、私と共に湯船に浸かり同じ部屋で寝るがいい。さあ、どっちがいいか選択したまえ」

 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。

 オレと会話してる最中に頭の螺子(ねじ)が取れちまったんじゃねえだろうな。

「おい、胡桃。いきなりどうしたんだよ」

「おやおや、説明を所望すると?」

 当然だ。説明を省かれても意味が分からない。

 出会ってまだ一時間も経たない相手から〝死ね〟と言われるなんて、想定の範囲外に決まってるだろうが。オレはまだ人生を謳歌してないからな、死ぬなんてとんでもない。いつかオレのことを理解してくれる女性と出会えるまで死んでたまるかってんだ。だとすれば後者を選択することになるわけだが……おっと、誰か来たようだ。ゲフンゲフンッ。

 ニヤリと意地悪そうに口角を上げ、胡桃が口を動かす。

「くくっ、まるで空っぽのような頭で考えてもみるがいいさ? これから先、キミは我が架織乃家で生活していくつもりなのだろう? つまりそれはだね、私やくんかたんにとって、何時如何なる時もキミに襲い掛かられて純潔を奪われやしないかと冷や冷やしながら一つ屋根の下で過ごさなければいけないという意味になるわけだよ。勿論、仮にキミがくんかたんに襲いかかろうものならば、私の全存在を賭けてキミを亡き者にする算段なので問題はないのだがね。但し、たとえキミが私やくんかたんに襲い掛かる度胸も甲斐性もない情けない野郎だとしても、残念なことにキミにはサイコメトリーがある。数珠を外してお風呂に入る時、ちょっとした気の迷いから、その力を乱用でもしてみたまえ? すると驚くことにキミの脳裏には私とくんかたんのあられもない姿がモザイク無しでこれでもかと映ってしまうわけだよ。さて、キミはそんなことが我が架織乃家において許されるとでも思うかね? 否、断じて許すまじ行為だ! 私のあられもない姿は視られても構わないというかむしろ視るがいいが、くんかたんのあられもない姿を見てもいいのは私だけだ! だから今から見せてくれくんかだgかpうぇざっ」

 絶賛、キャラが崩壊してる姉が此処に一名。

 そして、姉の口を塞いで窒息死させようと目論む妹が一名。お前ら仲いいだろ、絶対。

「つまり胡桃、お前は変態ってわけか」

「そういうことさ」

「そういうことさ、じゃねえよっ」

 清々しそうな笑顔できっぱりと肯定するんじゃない。対応に困るだろうが。

 説明が終わり一段落したところで、胡桃はブツブツと呟きながら頷いている。時折、口元が緩んでいるのは気のせい、ではないか。絵的に怖いぞ、胡桃。

 その一方、訓夏はというと――おわっ、オレの顔をずっと見てるじゃねえか。眉間に皺を寄せちゃって可愛い顔が台無しだ、と言いたいところだが、不公平なことに可愛い奴はやっぱ可愛い奴のままだ。

「な、なんだ、訓夏? オレの顔に何かついて――」

「ません。お姉ちゃんの戯言に鼻の下を伸ばす比念を観察してるだけです」

「うぐっ、面目ない……」

 これは軽蔑されちまったかな。いやいや、それ以前に訓夏の名前を憶えていなかった時点でオレに対する好感度は大暴落済みか。

「……お、お姉ちゃんには……譲らないんです……」

「ん? ごめん声が小さくて聞こえな――」

「死ねと言いました」

「酷いっ」

 姉妹揃ってオレを亡き者にするつもりかよ!

 こうなったら意地でも胡桃と一緒に風呂に入ってやるんだからな! ……あれっ。

 因みに、オレが二人に説明した内容には、二つだけ嘘が混じっている。それは接触反応における対象の有無と、その行使力についてだ。サイコメトリー可能なのは無生物のみと説明したが、実際には命ある生き物にも行使することができる。……だが、それだけは絶対に言えない。家族にさえ秘密にしている。――何故かって? そんなもん、人の心を覗きたくないからに決まってんだろ。人間って生き物は、誰しも二つの顔を持っている。表と裏、それぞれに異なる顔を張りつけていやがるんだ。上辺では、如何にも親切で頼りがいがあって誰にでも優しく接するような万人が認める完璧な人間を演じていたとしても、それは表の顔でしかない。

 そう、誰でも裏の顔は酷いもんさ……。接触反応を好きな時に行使できるようになったオレは、その能力を遊び半分で同じ学校の奴らを対象に何度も試してみた。

 バレないように、ちょっとだけでいいんだ。指先が触れるだけで相手の心の中を全て丸裸にできる。何でもお見通しのオレには、もはや誰も隠し事なんてできなかった。

 幼い頃、オレの周りにいた奴らもまだガキだったから裏表がない奴も多かった。でもそれは小学校までだ。中学生になったら、クラスメイトはおろか学校中の奴らが全て嘘吐きで腹黒い人間にしか見えなくなっちまった。

 好奇心ではなく、相手の秘密を見つけるのが目的で、接触反応を行使する。その度に、オレはどす黒いものを見せつけられてきた。自業自得だってことは理解しているさ。

 好きになった女の子の心の中を覗いてみたくて能力を行使してみれば、表面上ではいつも笑顔を振りまいていたというのに、裏では嫌悪しか生み出さないような素顔を見てしまうことがあった。視なけりゃよかったよ、人の心の中なんて……。

 クラスで一番仲がいいと思っていた奴が、オレのことをどう思っているのか知りたくて接触反応を試みたこともあったな。結果は勿論、裏切りだ。心の中ではオレの存在を鬱陶しいと思っていたのを知ってしまった。

 まあ、なんだかんだ言っても全てオレの責任なわけだし、人の心を覗くような人間が聖人君子であるはずもない。オレは自分自身が人間として腐ってやがることに気づいていたし、同時にそれは誰にでも持ちえる感情であることを悟った。

 最後にサイコメトリーしたのは、中学一年生の頃だったかな。それ以降、一度だってオレは人の前でこの数珠を取ったことはない。家族の前でもな。……ああ、いやまてよ、そういえば一度だけ行使したことがあったか。

 中学三年生の夏に、紛失物を見つけるために久しぶりに数珠を外して、Hさんに変態紳士と罵られて不登校になったことがあったっけ。入学して間もない時期にHさんの本性を知って、幻滅して、そんな自分自身にも吐き気がして、今となってはいい思い出だ、バカらしいけどな。

 そしてもう一つ、接触反応の行使力についてだ。

 二人には、数珠を嵌めてさえいればオレが接触反応を試みても完璧に視えなくなると説明したが、それは嘘だ。数珠の効力はとっくの昔に無くなってるんだからな。

 数珠を嵌めたおかげで、初めのうちは何不自由ない生活を送ることができていたんだが、いつまでもこのままではいられないからな。数珠を外した状態でも生活していけるように、訓練することに決めた。それは数年がかりになったが、感覚的に少しずつ習得していくのが徐々にではあるが実感できるようになった。精神を集中させてみたり無意識の状態でも接触反応を行使しないように限定的に意識してみたり、正直、言葉で説明するのは難しいんだが、とにかくオレは無意識的な接触反応の行使を克服し、そして意識的に行使可能になったってわけだ。つまりは、訓練さえすれば、この能力を鍛え上げることも可能だ、ということになる。……まあ、精神的にも肉体的にもとんでもなく疲労しちまうから最近はサボってるんだけどな。

 話の続きだが、接触反応を無意識に行使しないようになった頃、オレが通っていた小学校で〝トキの迷宮〟が流行り始めた。そういやオレも遊んでたっけな、と思い出して、オレの玩具を没収しては隠す専用の押し入れの中からデッキケースを探し出した。小学生になったオレは身長が伸びて、押し入れの中に上って入れるようになっていた。

 だが、何故かな。デッキケースに仕舞ってあったカードの束は、水浸しにでもなったんじゃないかと疑りたくなるほどに皺くちゃになっていた。川にでも落っことされたのかもしれないが、対戦には支障がないので我慢するしかない。

 クラスメイトの奴と対戦するためにデッキを調整する必要があったオレは、皺くちゃのカード一枚一枚をチェックすることにした。が、これがいけなかった。山札を切る時、どのカードがどの位置にあるのか、接触反応を行使すれば全てを知ることができるんじゃないか、と考えたオレは、それがイカサマよりも卑怯な手であることを知りつつ、実行に移す。そして、数珠の紐が切れた。紐を結び直しても、数珠の効力は戻らなかった。きっと、紐が切れた瞬間に効力を失ってしまったんだろう。

 それから月日が経ち、オレは高校生になったが、数珠の紐が何故、切れたのか。その理由は今もまだ不明だ。日常生活する上で不便なことはなくなったから、どうでもいいんだけどな。

 オレの家族には、数珠の効力が切れたことを教えているが、同時に数珠がなくとも能力を抑えられるようになったことも知っているので、見た目以上に影響はなさそうなのが救いか。それも全てはオレが一つ目の嘘を吐いている故、なんだけどさ。

「釣枝、キミがどういう人物なのかこれで理解することができた。……なるほどね、だから我が両親はキミの同居に賛成したんだねえ」

 頷き終わったのか、またもや意味深な言い方で胡桃が興味を齎(もたら)す。こいつと一緒にいるだけで反応に困らないな、まったく。

「どういう意味だ」

「我が架織乃家がアンティークな品物を暴利な値段で売りさばく骨董屋もとい、ごみ屋敷であるのは周知の事実だが、それは表の姿でしかないのだよ。……実はだね、此処には怨念やら呪いやら悪霊やらが取り憑いた曰くつきな品物がたっくさん眠っているのさ」

 胡桃はオレの説明に対抗するかのように、あくまで現実っぽさを欠いた話を進める。

「両親はそういった類のものが大好物でね、海外へと出向いては購入し、家に持ち帰ってくるのさ。そのほとんどが元々は高価な品物なわけだが、曰くつきのせいで買い手がつかない。そのままでは売り物にもならないし経営を悪化させるだけだが、両親は〝祓い〟を生業としていてね、憑いているものを祓い、高額で売りさばいていたってわけさ」

 くくっと喉を鳴らし、オレの反応を窺う。訓夏は相変わらず黙ったままだ。

 信じてくれと言われても、はいそうですか、と簡単に信じることができないのが今の世の中だ。祓い師の存在など一般的じゃねえからな。でも、オレは自分自身が非日常的な能力を持っていることを知っている。

 オレが口を挟まないでいると、胡桃はもう一言だけ付け加えた。

「だがね、我が両親は今現在、海外にいるわけだよ。曰くつきの品物を求め、どんな遠い場所にでも足を伸ばしてしまうのが原因さね。品物を見つけては送ってくれるのはありがたいんだが、残念なことに私とくんかたんでは祓いができない。……でだ、憑いた品が徐々に増えていき保管するのも大変になっていたところに釣枝、キミが来たわけだよ」

 なんだか境遇が似ていやがる。オレの両親も海外で仕事をしているから、家ではいつも一人だった。こいつらは二人いるけど、それでもやっぱ親がいない状況ってのは何かと不安になるだろうな。

「……つまりオレは、お前らの両親に代わってそいつらを祓えってことか?」

「うむ、その通りだね。家賃や食費などは心配せずともいいよ、キミはただ祓い続けてくれればいいからさ」

「いや、オレにできるのは接触反応であって、祓いとかはできないぞ」

 家賃は両親が払ってくれるから問題なく、毎月僅かだが仕送りをしてくれるから食費の心配をする必要もない。両親様々だ。それに加え、オレはこの能力を人前で使いたいとは思わない。

 万が一、数珠を外している時に胡桃や訓夏に触れてしまったら、オレは此処にいることさえ拒んでしまうだろう。それは嫌だ。……だが、

「その点は問題ないさ。接触反応によってどんなものが憑いているのか、キミには視ることができるのだろう? だとすれば祓う方法が異なるだけであって、解決策を導き出すのも容易だと思うのだが」

「簡単に言ってくれるなよな、……ていうか二人はどうなんだ? 両親が祓い師ってことは、似たようなことができるんじゃないのかよ」

 祓いができなくとも、オレと同じように別の能力を持っている可能性がないわけではないはずだ。両親が祓い師を生業としているんだからな。

「残念ながら私は無力で、か弱い人間さ。何もできないよ。……だが、」

 ちらり、と視線を横に向ける。胡桃の視線の先には、訓夏がいた。

「くんかたんには、ある! 私が持ち得ない最強最大の超人的能力が!」

「夕飯抜きにします」

「だがくんかたんは地球上でもっとも私に優しい人間であるからして夕飯の代わりに夜食を用意してくれるはず! 問題はない!」

「夜食も抜きですね」

「格なる上は冷蔵庫の中に仕舞ってあるくんかたんのお菓子をこっそり食べ――」

「食べたら一生涯口を利きません」

「ごめんなさい」

 胡桃に続けと言わんばかりに、訓夏がけん制する。

 聞き役に徹していたのに、話題の中心に自分が来ると同時にこれだ。まさか胡桃の口からごめんなさいという言葉が聞けるとは思わなかった。妹には頭が上がらないのか。

「なあ、訓夏はオレと同じような能力があるのか?」

 しゅん、と反省の色を見せる胡桃にではなく、訓夏に直接訊ねてみる。訓夏はあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、胡桃を睨みつけた。目線をそらしつつ、胡桃は反論する。

「一つ屋根の下に住んでいれば、いずれはバレてしまうさ。今のうちに言っておいた方が、くんかたんとしても都合がいいのではないかな?」

「……ぅ」

 歯がゆそうにスカートの裾を掴み、顎を両膝につけて俯いてしまう。

「あ、いや別に言いたくないなら無理しなくても――」

「匂い……、です」

 オレの言葉を遮り、ぼそりと呟く。

「……匂い?」

「嗅覚が、普通の人より……少し、いいです」

 犬か、と突っ込みそうになったがなんとか我慢する。

 俯いてはいるが、頬は真っ赤に染まっている。気持ちは分からないでもない。自分の秘密を他人に教えるのは恥ずかしいからな。ついさっき、オレも経験したところだ。

「えっと、それじゃあ……祓いとかはできないのか?」

「できません。……けど、一度憶えた匂いは決して忘れることはありません。たとえそれが九年と四十八日間前の匂いでも、です」

「そ、そっか……」

 祓いには役に立ちそうにないか。というか何が九年と四十八日前なのか分からない。

「……まだ、気づかないんですね」

「ん?」

 オレの反応を見るや、またもや訓夏は落胆してしまう。なんだなんだ、オレはまた訓夏を傷つけるようなことをしてしまったんだろうか。

「さて、釣枝。祓いができればあっという間に憑きものを祓えるだろうが、キミにできるのはサイコメトリーだからね、どんなものが憑いているのかを確認し、どうすれば祓うことができるのか、その答えを導き出すのは手間が掛かるだろう。これから暫くは苦労をかけるとは思うがよろしく頼むさね」

「んー、そういうことなら仕方ないか。やれるだけやってみるよ。……それにしてもなんで胡桃だけ何もできないんだろうな?」

「ぴきぴきー、それは暗に私を貶しているのかな?」

 笑顔が怖いぞ、胡桃。あと、擬音を口で言うな。

「ああ、すまん、そういう意味じゃなくてだな、胡桃の両親は祓いができるんだろ? それに訓夏も……その、匂いに敏感? なわけだし……」

 名前を口にすると、訓夏の体がピクリと反応し、髪が揺れた。

「こほんっ、その件についてだが……私にはまだ愛すべき異性がいないからだろうね」

「……は?」

 訓夏を気にした素振りを見せず、胡桃は唇の両端をニンマリと上げた。

「架織乃家の裏には岩屋山という裏山があってだね、そこには岩屋神社があるのさ。地元民でも滅多に足を運ばないほど寂れた神社なのだが、そこで異性同士が愛を誓い合うと、岩屋神社の神様とやらが祝福してくれることを風の噂と言う名の昔話を両親から聞かされたことがある。つまり我が両親はそこで愛を誓い合ったがゆえに祓いとしての力を授かったのだろうね」

 岩屋神社か、なんか聞き覚えがあるような無いような、記憶が曖昧だな。

「ふーん、……え? ということは訓夏にもその、そういう相手がいるってことか?」

 オレと胡桃、二人の視線が訓夏へと集中する。訓夏は顔を上げて、小さく頷いた。

「います。……でも、秘密ですよ」

「まあ見付け次第、私が殺すつもりなんだがね、ははは」

「さり気なく怖いことを言うなよな、胡桃」

 視線をオレに向けたまま言わないでもらいたい。

「釣枝、そういうキミこそサイコメトリーというなかなかに優れた力を持っているじゃないかね。ひょっとして、キミも岩屋神社で愛を誓い合ったことがあるんじゃないか?」

 そう言うと、今度は二人の視線がオレへと集まる。

「岩屋神社か、……確かに、昔行ったことがあるような気がするんだが……でもオレにはそんな相手はいないしな」

「ふぅ、溜息しかでません……」

 訓夏が項垂(うなだ)れた。何故だ。

「では早速だがキミの力を拝見させて頂こうじゃないか。血湧き肉躍るとは、まさにこのことか! と思いたくなるほどゾクゾクさせてくれたまえよ?」

「期待するのは勝手だけどな、別に大したもんじゃないぞ」

 ガッカリされても困るだけだしな。オレの話を聞いているのかいないのか、胡桃はソファーから腰を上げ、鼻歌混じりの声を上げながら部屋を出て行く。いったい何をするつもりなんだかな。オレの能力を見るんじゃなかったのか。胡桃がいなくなり、今度こそ正真正銘二人きりになってしまったわけだが、これも僅かな間に過ぎない。間違いなく、胡桃はすぐにでも戻ってくるはずだ。長すぎず、かといって短すぎない、微妙な待ち時間が非常にもどかしい。場を持たせるために再度、適当な話題を訓夏に振ってみ――…。


 スンスン……。


「……ん?」

 これから毎朝、パジャマ姿の訓夏がオレの部屋まで起こしに来てくれるのか否かの真偽を確かめるべきか、悶々としながら頭を悩ませていると、隣から鼻を啜る音が聞こえてきた。……いや、そうじゃないな。これは匂いを嗅ぐ音だ。

 お行儀良く隣に座っているであろう訓夏を、そっと横目で確認してみる。

「――ヒッ」

 訓夏の顔が、すぐそばにあった。驚きすぎて悲鳴を上げちまったぞ、おい。

「あ、……ぅ」

 何をしていたのか不明だが、不可解な行動を取っているところをオレに目撃された訓夏は、恥ずかしそうに頬を染め上げていく。

「えと、……あー」

 何をしてたんだ、と問いかけてみたい。だがそれを躊躇わせるかのような瞳を向ける訓夏は、必死になって何事かを訴えかけている。今にも泣き出しそうな表情を見ていると、ついつい苛めたくなってしまうが、これは好きな子に意地悪する男の子の心理と同じか。

「――おや、くわぁぃい私の妹を苛めているのはどこのボンクラかな?」

 と、そこに胡桃が姿を現した。いつの間に戻ってきたのか不明だが、せめて足音ぐらい響かせてほしいね。先ほども然り、姉の方は出待ちするのが趣味なのかとお尋ねしたい。

「オレはボンクラじゃねえよ。……で、何を持ってきたんだ?」

 視線の先に映るのは、小さめの巾着袋が一つ。

「この中にはだね、私にとってくんかたんの次に大切な宝物が入っているのさ。それを今からキミに触れてもらい、何が入っているのかを当ててもらおうと考えているわけだよ」

「当てるだけでいいのか? それだと接触反応しなくてもいいじゃねえか」

「触れるだけなら外側から見ても分かるだろう? だから構うことはないさ」

 言われてみれば確かにその通りかもしれない。中身に触れるだけで、まさぐらないようにすればいいだけの話か。触れた瞬間に能力を行使するだけで正解に辿り着くだろうな。

 単純に、純粋に、明解に、二人がオレの能力について納得できるだけのものを見せ付けるだけでいい。それで満足しようがガッカリしようがオレには関係ない。まあ、余所余所しくなったり避けられたりするのは精神的に厳しいけどな。

「よし、それじゃあ……」

 数珠を外し、巾着袋の中に手を突っ込んだ。さて、いったい何が視えるのやら。

「わくわく、どきどき、そしてにやにや」

「……あのさ、期待してくれるのはオレとしても嬉しいんだけどよ、胡桃は口を閉じてくれると嬉しいぞ」

「おや、キミの口で強引に閉じるだと? そんなことが法律で許されているとでも思っているのかい?」

 そんなことは誰も言ってねえ。

「それともキミが指摘する〝口〟とは、上ではなく俗に言う下の……キミ、早く私を止めたまえ。暴走しすぎてキミに襲い掛かるかもしれないじゃないか。はあはあ」

「暴走したまま、どっか遠くに行ってくれ」

 想像力が豊かすぎるぞ。そのほとんどが変態的な方向性なのが残念だが。

「乙女にこんなことを言わせるとはキミも罪を作りたがる男なのだね」

 もういい、とりあえず無視だ。これ以上長引くと訓夏に睨まれかねない。いや、既に全力を持って睨まれているな。殺気が漏れてますよ、訓夏さん。

 改めて、紛れた気を指先へと集中させてみる。

「……ん、これは……脱衣所か?」

 巾着袋の中には、何か布状の物が入っていた。まず、それを手で掴み、それから能力を行使してみると、とある記憶がオレの脳裏に映像として流れ込んでくる。

 脳裏に浮かび上がってきたのは、脱衣所だった。

「誰か……着替えて……お、おお……、おおおおぅ……こ、こいつはでか……って」

 はっ、と我に返る。真っ赤な鼻血が垂れてた。

 オレが視た記憶の断片、それは訓夏がブラジャーのホックを外すシーンだ。

「くく……、視たな釣枝。この代償はキミの体で払ってもらうからそのつもりでいたまえよ?」

 計画通りと言いたげな笑みを張り付けているのは、胡桃だ。

「おまえっ、最初っからそのつもりだったな!」

「いやまさか本当に視えるとはねえ、キミが鼻血を吹き出すまでは真偽が定かではなかったわけだが、初心な反応を見ているとどうやらキミの力は本物らしいね」

 オレを試すのは構わない。証拠を見せるために能力を行使したんだからな。だが、だからと言って、視せていいものと悪いものの区別ぐらいはちゃんとつけてくれ。嬉しすぎるぞ、この野郎。もっと視せやがれ。

「お姉ちゃん、比念は何を視たんですか」

「知りたいかい、くんかたん?」

「知らせるなっ」

 知られたら訓夏に抹殺される。

「……比念はわたしに隠し事をするんですか」

「ぐっ、いや……そういうつもりじゃ、なくてだな、世の中には知らない方がいいことも多少なりとも……ある、とオレは考えているわけであって……」

「釣枝が視たのはだね、くんかたんの脱衣シーンだよ」

「うおぉいこら待てぃっ」

 速攻でバラしやがったな、裏切者がっ。

「わたしの……です、か?」

 ゆっくりと、訓夏が視線を向ける。

 怖い。この緊迫したかのような空気が肌を突き刺しやがる。

「あ、ええええと、その……だな、うん……、視ました。ごめんなさい」

 殴られるのを覚悟し、歯を食いしばる。しかしながら訓夏の手が出ることはなかった。

「そう……、ですか。わたしの……脱衣シーンを……比念が……」

 あれ、なんかそれほど悪い反応じゃなさそうだな。と思ったのも束の間、オレと胡桃から注目を浴びていることに気付いた訓夏は、途端に眉根を寄せ上げて一言付け加える。

「比念は変態ですね」

 なにこの落差。ああそうだよオレは変態だよ悪いかこんちきしょーめ。変態と罵られるのは慣れてるんだよ胡桃のバカ野郎が。

「たっ、確かにオレは訓夏がブラジャーのホックを外すところを視ちまったさ、だがこれはあくまでも胡桃に言われたから視ただけであって視たかったわけじゃないんだよっ」

「酷いです。見たくないのに、視たんですか……」

 言い方が悪かったせいで、また訓夏を傷つけちまった。どうすりゃいいんだよ。

「言い訳なんて見苦しいね、釣枝。真っ正直に認めたらどうだい、ボクは変態という名の紳士だよ、ってさ」

「オレはどこぞのクマ吉かっ」

 今にも手錠を掛けられそうな雰囲気だ。

「ところでお尋ねしたいのだがね、キミはどこまで視たんだい?」

「……え、え?」

 言葉に詰まった。確信に迫ろうとするな、この話はこれで終わりにしてくれ。でないとオレが架織乃家から追い出されてしまうだろうが。

「巾着袋に入れていたのは私の宝物でもある、くんかたんのブラジャーなわけだが、キミが視たのがくんかたんの脱衣シーンということはつまりくんかたんがブラジャーを取って上半身裸になったところも視たのでは――ああっ、ちょっと何をするんだいくんかたんっ、

それは私の宝物なのだから取り上げるなんて殺生なことをしないでくれっ」

「お姉ちゃんも変態です」

「ふふふ、くんかたんはそれが最高の褒め言葉だということを理解しているのかな?」

 開き直るな、変態め。

「言っておくがな、鼻血を出して集中力が切れたせいで、特に見たかったところは視れなかったからな」

「特に見たかったところを詳しくっ」

 訓夏と共にブラジャーを引っ張り合い中の胡桃が追撃を仕掛けてきた。くそっ。

 口は災いの元とはよく言ったものだ。

「それを言ったらオレに残された最後のプライドが崩壊しそうだから拒否だ!」

「キミにプライドがある……だと……?」

「なにそのオレにはプライドの欠片すらないですよ的な視線は!?」

 そんな目で見ないでくれっ。

「で、くんかたんの脱衣シーンを視た感想はどうだい、釣枝?」

「でかかっダゴフッ――」

 言い終わる前に、訓夏の蹴りがオレの顔面を捉えたのは言うまでもない。殺人的な威力の蹴りをありがとう、訓夏。おかげでオレのプライドはズタズタです。

「うぐぐっ、鼻血を出してるのに顔を蹴るなんて酷いぞ」

「変態が悪いんです。比念は変態です」

「そうだぞ、釣枝。変態が全て悪いのだよ」

「そもそも誰のせいで鼻血を出してるのか説明してもいいかっ?」

 四つ角を作りそうになりながら胡桃に文句をつける。それと胡桃、お前にだけは言われたくないぞ。何せオレとお前は変態なんだからな。

 とりあえず顔面が痛い。それと鼻の骨が曲がってないか心配だ。っていうか訓夏も座った状態からよくもまあオレの顔面に蹴りを入れることができたよな。普通に驚いたぞ。

 ただ、その際、見えてしまったものに関しては口を堅くすべきだろう。一点の穢れすら見当たらない純白のアレを、オレの目に焼き付けてやったんだからな。やはり脳裏で視るよりも直に見た方が何倍も有難味がある。

 訓夏め、全力で放った蹴りの代償は大きかったということを後悔するがいい。

「比念はお姉ちゃんよりもド変態です」

 ふしゅー、ふしゅー、と恥ずかしそうに息を荒げつつ、語尾を強めに言い捨てる。その姿がまたなんとも言えず可愛らしく、もっと叱られたいと一瞬ながら考えてしまった。

 ……女の子に詰られるのに快感を覚えたら人生終了か?

 いや、ただのMだから何ら問題はないよな。多分。それもどうかと思うけどさ。

 胡桃は自分で自分の肩を抱き寄せ、嬉しそうに身を捩る素振りを見せつけている。お前は何がしたいんだよ。弄りたいのか弄られたいのか分からない奴だな。

「因みにだが釣枝。今までに説明したことはほぼ全て私の作り話だから忘れるがいいよ」

「……は?」

 言い忘れていたことを思い出したかのように、ポンッと手を叩き、胡桃が口を開いた。

「我が両親に祓いの力があるのは事実だがね、だからと言って曰くつきの品々を安価で買い取り暴利を貪っているのも偽りではないのだよ。そしてくんかたんが匂いに敏感であることも、更には私が変態淑女であることも確かなことだねえ。さて、今の説明でキミは私が言いたいことを理解できたかな?」

 自分のことを堂々と変態淑女であると公言してはばからない姿勢は評価してやろうじゃないか。オレが変態紳士で胡桃が変態淑女、そして訓夏が……犬、かな。

「……えっと、つまり全て事実ってことか?」

「今、言ったことはね。くくっ……」

 意味深な台詞でオレを惑わせないでくれ。裏がありそうで怖いだろうが。

 するとここで、訓夏がぼそりと呟いた。

「神社のくだりも……事実、ですよ」

「ん? 神社がなんだって、訓夏?」

「耳が腐りやがれって言いました」

「ひぃっ」

 恨めしそうにオレを睨みつける胡桃の妹の考えてることが全く理解できませんっ。

「ついでに言うとだね、私がキミと共に寝食及び入浴を共にしても構わないというのも嬉しいことに事実だから両手を上げて喜ぶといいよ」

「それは遠慮しておく」

 非常に残念だが、訓夏に軽蔑されたら此処に居づらくなるからな。……くっ。

 いや待てよ、訓夏には既に軽蔑されていると言っても過言ではないわけだ。それはつまりオレが胡桃と共にあんなことやこんなことをする羽目になっても今更どうってこともないわけであって……いかんいかん、どうやら本格的に頭がおかしくなってきたらしい。刑務所の中からクマ吉が手招きしてやがる。

「そういえば二人の両親の代わりに祓いをするってのは事実なのか?」

「あ、それは嘘さ」

「嘘かよっ」

 手間が掛からずに助かったけど、拍子抜けしそうだ。

「でもよ、それだと曰くつきの品物を祓うことができないんじゃないのか?」

「安心したまえよ、ワトソンくん。我が両親は祓い済みの品々しか送ってこないのさ」

 それを早く言え。無駄にオレを驚かせようとしやがって。

 接触反応でどうやって祓えばいいのか真剣に考えそうになった時間を返してもらいたい。

「まあ、中には祓い忘れた品が無きにしも非ず……だがね?」

 胡桃は片目を閉じ、唇の端を意地悪そうに上げる。

 もう嫌だ、こいつの相手をするのは疲れたよ。今日はぐっすりと眠らせてくれ。

「さあて、キミのおかげで中々に有意義な時間を過ごすことができたね。心から感謝するよ、釣枝。くくくっ、いやご苦労さま」

「ただの暇つぶしかよ」

「何か問題でも?」

 悪びれた様子もないのが胡桃らしい、か。

「サイコメタラーくん、これから先、探し物がある時には宜しく頼むよ」

「メタラーじゃなくてメトラーだからな」

「ははは、どうでもいいよ」

 オレの秘密を暴露したってのに、このあしらわれ方はあんまりだ。所々に棘のある言葉をぶつけるのは姉も妹も同じってことかよ。オレの心を傷つけるのは止めてくれ。でないとマジで一緒に風呂に入ってやるからな。

 ……と、ここでオレの腹が鳴る。

「おや? オナラのような音が――」

「オナラじゃねえっ」

 朝ごはんを食べてから何も口にしてなかったからな、そろそろ昼飯を食べておきたい。

「比念、お腹空いたんですか」

 腹の音を耳にし、訓夏が問いかけてくる。

「ああ、昼飯はまだ食ってないからな。ここら辺で飯を食えるところってあるか?」

「あります。一つだけ」

 一つだけか。案外少ないけど一つもないよりはいいだろう。

 今後、その飯屋にはほぼ毎日お世話になりそうだ。

「丁度いい、今から案内してくれないか?」

「分かりました……。それじゃあ、ここに居てください」

「おう、分かった。……ん、どこに居ろって?」

「ここに、です」

 居間に、ってことか。いやいや、何故に居間にいなくちゃならんのだ。

「……わ、わたしが……作りますから」

 すると、訓夏は座布団から立ち上がり、深呼吸をした。

「訓夏が? それってつまり、手料理ってことか?」

「それ以外に何がありますか?」

 きつめの口調で言い返され、オレは口を閉じて首を横に振る。

「だから、少しの間……待っててください」

 待っててください、だと?

 やばいな、訓夏が可愛いすぎて出し損ねた鼻血が噴出してきそうだ。

「くんかたん、大切な姉の分も宜しく頼むさ」

「比念に手を出さないなら、考えます」

 条件にオレが混ざってますよ、訓夏。

「うぬぅ、どうにか譲歩できないかね? 釣枝に手を出せないというのは私にとって非常に辛いものがあってだね……」

 ブツブツと呟きながらソファーから腰を上げ、訓夏の後を追って台所へと向かった。

 可愛らしいカーテンで遮られた先から、架織乃姉妹のじゃれ合う声が聞こえてくる。主に姉の方が妹にちょっかいを出す形式なのが姿を見ずとも耳だけで判断できるのは何故だろうな。乱入するのは難しそうだ。

「前途多難だな、こりゃ……」

 とりあえず今は昼飯にありつけるのを心待ちにしておこうじゃないか。

 訓夏の手料理を、な。


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