「部屋の片付けもほんの少しばかしではあるが済んだからね、ほらこんなところで立ち話もなんだ、二階に上がるといい」
「おお、そんじゃあお言葉に甘えることにするか」
店内に戻ってドアの鍵を閉め直した後、お姉ちゃんと比念は暖簾をくぐって階段を上っていく。そしてその後を、わたしは無言のままついていく。
あっという間に階段を上りきり、比念は居間に案内された。
「麦茶を持ってくるから、キミとくんかたんは二人仲良くソファーにでも座ってのんびりまったりイチャイチャしながら待っているといいさ」
と言い残し、お姉ちゃんは台所へと足を向ける。とはいえカーテンを引いてしまえば台所からわたしと比念の姿は丸見えだ。たとえ面白いことを期待されていようとも、わたしはその期待に応えるつもりはない。だって、バレたくないから……。
※
きたです北ですキタです着たです喜多ですキタデス! ……遂に来たです!
比念がうちにやって来たです! くふぅううううっ!
神様よくやりました! ずっとずっとずーっと祈って信じて良い子にして待っていた甲斐があったってもんです! ありがとうございますです! いったいどれだけこの時が訪れるのを待っていたことでしょうか! 今この瞬間に辿り着けた自分を褒めてあげたいです! いやいや当然のように褒めちぎってやるです!
自分ッ、よく耐え抜いたですっ、比念がいない間ずぅっと我慢し続けていた自分をべた褒めしてあげなきゃこの想いは爆発するに違いないですよ!
うちに同居するって話を聞いた時から毎日毎日胸がドキドキしっ放しで破裂しちゃいそうになってましたけどこれでようやく一安心できそう……なわけないじゃないですか! むしろ比念がそばにいるってだけで心肺停止状態に陥りそうで今からむちゃくちゃ不安と期待で胸が満員電車並みに窮屈になってるですよ!
それよりははは早く座ってください、比念が座るまでわたしが座れないんですからね!
ソファー? それとも座布団? んなもんソファー一択に決まってるです!
ソファーに座ればわたしと密着することができるんですから考える意味もないし時間も勿体無いですよね? ああもうっ、さっきはお姉ちゃんの言いなりになるつもりはないとかやせ我慢してみせたけど無理です! やっぱ無理なんですっ!
比念がそばにいるだけで倒れそうだからソファーに座らなくちゃ死んじゃうです!
だからほら早く座れってんです! 優柔不断な態度がマイナスになるのが比念には分からないですかっ?
『さて、どっちだ?』
……は? 殺しますよ? いやいきなり意味不明なこと言い出さないで下さいよ、そうしないと比念の寿命が縮む可能性がなきにしもあらずですからね、わたしの手によって!
どっちとか言われなくてもソファーに決まってますよね?
……え、……あ? ……いや、いやいや、なんで? ねえなんで? ななななんで比念はソファーじゃなくて座布団に座ってんですっ? わたしと密着するのが嫌だからですか? ももも勿論そんなわけないですよね? 単に恥ずかしいだけですよね? 分かってます、分かってますからそんなに恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ比念。座布団を選択された以上、仕方ないけどわたしも諦めるです。ソファーに二人仲良く座るのは、ね。
だから我慢して座布団に座ってあげますよ、比念の隣でね! そうっと、さり気なく、感づかれないように座ってあげるんです! わたしのことを思い出してくれるまでは笑顔なんて見せてあげないんですから早く気づいてください。わたしだってものすごく辛いんですから! でもまあ座布団っていうのも案外いいかもしれないですね、座布団を置く位置によってはソファーに座るよりも密着することが可能ですし、ひょっとしたら比念は予めこうなることを予期していたですか? ううっ、やはり比念は何を考えているのか分からないですね、表面は紳士っぽい態度で繕っていますけど、わたしには既に裏の顔を見抜かれていることをお忘れなく! 既にあの時、比念の変態性について理解しているんですからね! ええそうですとも、紳士とは名ばかりの変態野郎ですよ!
変態ッ! 変態ッ! この変態ッ!
でも好きっ! わたしも変態になる! なります! なってやります! 比念と一緒なら変態になって変態的な人生を謳歌してみせますとも!
うぬぬぅっ、はぅ、嬉しすぎて息ができないですっ。比念の隣に座る前に窒息死したら笑えませんから息を整えなきゃですっ、とりあえず深呼吸! 新しい空気を肺の中に、そして比念の匂いをわたしの体の一部にっ!
スーハー、スーハー、スー……ゴフッ、ごほっ、ごふぅっ、かはっ、うっ! がっ!
ぐっ、微妙に二人きりな空間に緊張しすぎて空気を吸いすぎ、た、です……。比念が心配そうにこっちを見ているのがなんともいえませんね。しかも『訓夏、大丈夫か?』って声をかけてくれるなんて優しすぎて恥ずかしいじゃないですか比念ッ!
『なんでこっちを見るんですか、バカですか。余計なお世話ですよ』
そしてわたしはもっとバカですか。なんで言いたいことは言えないのに酷いことは言えるんですかっ。それもこれも比念が何にも憶えていないのが原因に違いないです!
言っておきますがこれは責任転嫁じゃないです、比念がわたしのことを憶えていてくれれば問題なかっただけですし、比念はもっと頭の中をかき混ぜて思い出してみればいいですよ。そうすればきっとわたしと再会できたことに頬を緩ませるはずですから! まったくもう、間抜けなところと朴念仁なところはあの頃とまったく変わりませんね。
……ん、まあ、でも、でも、やっぱりですが、相変わらずかっこいい……です。他の人から見れば普通かそれ以下かもしれませんが、というかむしろそういう風に見えてもらわないとライバルが増えて困ります。もし比念を狙う奴がわたしの前に現れたら、バレないように殺る。ええ、そうです、殺ってやるです! 主観的に見れば勿論のこと、客観的に見てもかっこよくしか見えないわたしの目は、比念のせいで節穴にされましたか? 比念色に瞳の色を染められちゃったですか? 残念? いいえ、だがそれがいいです! 比念以外の異性なんかどうでもいいですし興味ないから比念さえ見えていれば万事オーケーですよ! とにかくわたしから見れば比念は特別で特大級にかっこよく見えるわけですから何も問題はないです! 全てはわたしと比念を中心に回ればいいです、ていうか回れっ。
そういえば比念に抱きついた時に、ものすごーくいい匂いがわたしの脳を刺激してきやがったですね。……うむぅ、やはり比念の匂いは反則です、犯罪です、むしろ比念は犯罪者です! わたしの鼻はちょっとだけ特殊だから比念の匂いに目眩がするだけで済みましたけど、あの匂いを嗅がされたら一般人は一発ノックダウンされちゃうから警察を呼ばれて危うく逮捕されるところだったですよ!
でもなんでっ? なんで比念はわたしのことを憶えていないですか? わたしの名前を忘れちゃうなんてただの忘れん坊どころじゃないですよ、ぶっ殺しますよ?
一体全体何の冗談かと思って危うく抱きしめたままついうっかり殺したくなっちゃったじゃないですか。ひょっとして比念はわたしに会えない日が続いて遂に頭がおかしくなっちゃったですか? それともわたしの顔を見た瞬間に嬉しすぎて脳が一時的に障害を起こしたとか? ……うん、どれもありえそうで怖いですね。ていうか比念が鈍感なせいで面と向かって嫌いって言っちゃったじゃないですかっ! どうやら本当の愚か者は自分自身だったってわけですね、分かります。思ってもいないことを何故口にしてしまうですかね、そこら辺の事情について比念はもっとよくわたしを観察してみることをお勧めしますよ。そうですね、たとえばわたしの体の隅々まで知らないところがなくなるまで! そうです、あんなところまでも比念は触るんです、そしてわたしはただじっと体を震わせて我慢して、でも我慢できなくて比念と! でもどうせ比念は気づかないですよね、表情を見ればすぐに理解できますから。はあ。駄目だこいつ、早くなんとかしなければですよ。既にわたしがなんとかされてるですが。
とにかく悔しいです。絶対に思い出させてやりますから覚悟しておくですよ、比念ッ!