「わかりましたあ?乱汰はあ、とってもすごい人間なんですう。でも、どいつもこいつも乱汰を正しく認めねえんですよお」
四木乱汰は、長々と過去の自分の功績を語った。主に中学時代、周りとはまったく違う特別な才能として認められ、相撲界を席巻していた話がメインである。
誰も彼も敵ではなく、誰もが自分の将来に夢を見た。にも拘らずそんな素晴らしい自分を、大好きな女の子が認めなかった、ちょっと『わからせ』てやろうとしただけで他の奴らに止められて、ちょっと暴れたら退部させられた――とかなんとか。
ひたすら自慢、自慢、自慢、自慢、じまんじまんじまん。はっきり言って泰輔がげっそりと疲れてしまうほどに自慢を連ねたのだった。
――こ、こいつ……めっちゃくちゃうぜえええ!ていうか、その喋り方もなんだっつーんだよ!何歳のガキだよ!!
ツッコミどころ満載である。
そもそも初対面の自分達に、一体どれだけ長々と自慢話を語りたいのやら。
そして長々と話を聞いてようやくわかったのは、こいつが元相撲部だからその屈強な体格があるのだということと――こいつがこのゲームを始めたクソッタレ野郎である、ということだけである。
「この学校に来たら、陸上部に……ほのかちゃんとそっくりの、映ちゃんを見つけてぇ。そりゃ、ここ男子校だし、男の子なのはわかってたけど……映ちゃんすごく美人だから、男でもいいなあって。だから、乱汰のものにしてあげたいと思ってるんですう。映ちゃんも、すげえ男な乱汰のものになったら世界で一番幸せですからねえ」
ぐふふふふ、と男は低い声で笑う。
「でも、映ちゃん逃げるから……他の奴らも邪魔するからムカついちゃってえ。みんなみんな巻き込んで滅茶苦茶になっちゃえばいいと思ってえ」
「それでこんなめんどくせー大規模ゲームにしやがったのか」
「そういうことお。乱汰と映ちゃん、このエリアの中で探し合って、戦って勝った方が全部を手に入れられるんだあ」
今まで、泰輔はいろんな奴を見てきたつもりだ。ヤンキーも、毒親も、くだらない馬鹿もいろいろと。しかし、それを踏まえてもこいつの顔は――あまりにも醜悪だった。
だらしなく緩んだ口元。興奮し、紅潮した頬。低く唸るような、美味しい獲物を前にして涎を垂らす獣のような声。
「映ちゃんを手に入れたら」
でろり、と大きな舌が、分厚い唇を舐めあげた。
「いっぱい、いっぱい、愛してあげるんですよお……ぐふふふふ。まずは服を全部脱いでもらってえ、首輪をつけてえ、部屋の中で乱汰のペットになってえ自分の身の程をわかってもらうんだあ。二度と乱汰に逆らわないようにしなきゃ、逆らったら大変なことになるって教えなきゃ、そもそも乱汰が世界で一番素晴らしいご主人様だって教えてあげなきゃあ、それが映ちゃんにとっても幸せ、最高に幸せ、幸せ、幸せなことおおお!」
狂ってる。
一体何を言っているのか、こいつは。流石の泰輔も絶句としか言いようがない。人間を人間とも思っていない、しかもその自覚もない男の戯言。流石に嫌悪感を隠しきれない。人間だとか魔族だとか、そういう以前の問題だ。
――あ、頭、おかしいだろ……!
喋りながら、だらだらと垂れてくる涎。妄想したせいだろう、その股間がズボンの上からもわかるほど巨大に隆起しているのが見える。あまりにもぞっとしてしまった。噂で聞いていたレベルじゃない。こいつは完全に――頭のネジが、トンでしまっている。
「お、おい、いつまでも勝手にしゃべってるんじゃないし!」
ついに痺れを切らしたように叫んだのは、康介だった。このキチガイのようなお喋りが続くことに耐えられなかったのかもしれない。
「わけわかんないけど、ぼくらは関係ないじゃん!おまえの狂った妄想に巻き込むとか本当に迷惑じゃん!早くぼくらを解放しろっつーじゃん!!」
「お、おい、やめろじゃん、康介!」
陽介が慌てて止めようとする。そうだ、これは、止めないとまずい。
「おい、暴走してんじゃねえ!そいつは危険だ、早く離れろや!」
泰輔がそう叫ぶのと――ずんずんと乱汰に歩み寄っていった康介の肩が、がっしりとした手で掴まれるのは同時だった。
「なあに、オマエ?うざいんだけどお?……オマエも、乱汰と映ちゃんがラブラブになるのを……邪魔するのかあ?」
次の瞬間。
ぼきっ。
「……え」
鈍い音が、聞こえた。乱汰が手を振り下ろしていて――康介の首が、斜めのおかしな角度に折れ曲がっている。
乱汰が康介のこめかみに、平手で一撃を加えたのがわかった。さながら、相撲でツッパリでもするかのような一撃。
しかしそのたった一撃で――康介の首は青紫になり、ぐにゃりと捻じれたのだ。そう、一瞬で頚椎が叩き折られたのである。
「あ、が……」
ろくな悲鳴も上がらなかった。ゆっくりと、康介の体が仰向けに倒れていく。そして、どさり、と崩れ落ちた。その目は上向いていてびくびくと痙攣し、口からは泡を吹いている。
「あ、あああああ、ああああああぁぁぁぁぁ!?こ、康介、康介ぇぇぇぇぇ!!」
兄の陽介が絶叫した。すると、乱汰は嬉しそうに笑いながら片足を持ち上げたのである。そして、瀕死の状態の康介の顔を、思い切りスパイクで踏みつけにしたのだった。
「じゃま、じゃま、じゃまぁ!お前らはじゃまだあ!乱汰のじゃまをする奴はいらない、いらない、いらない、いらない、この世から消えればいいんだあ!あはははは、ひひひ、あはは、ははははははっ!!」
そして何度も、何度も、何度も何度もその足を振り下ろす。競技用のスパイクを履いていたのが問題だった。しかも、足腰を鍛えた元相撲部員の攻撃である。飛び散る血飛沫――あまりにも凄惨な光景に、泰輔は思わず目を背けてしまった。何かが壊れるような音、潰れるような音が断続的に続き、体の震えが止まらなくなる。
「う、うそ……」
駆が呆然と呟くのが聞こえた。泰輔もほぼ同じ気持ちだ。暴力には慣れていたつもりだった。それでもこんな――こんな圧倒的な、無抵抗の他者を踏みつけにし、死んでなお玩具にするような攻撃など。そんな攻撃を一切躊躇わない人間など、一体どうして存在すると思えるだろう?
それだけじゃない。
「あ、あああ、いいいっ!いいぞう……!」
己の足が血まみれになったところで、彼はびくびくと体を震わせたのだった。恍惚とした表情を浮かべる乱汰。己の暴力的行為に溺れて頂点を見ているのは明らかだった。
セックスとはまったく関係ない――他人を殺し、踏みつけにする行為で性的快楽を得ているのだ。
「ああああ、殺す!よくも、よくも康介を、康介おぉぉぉぉ!」
「おい待てや、陽介!」
絶叫し、反射的に乱汰に殴りかかろうとする陽介。ぎりぎりのところで泰輔の体が動いていた。その体を抑え込むと、無理矢理『№1723 牛と農村』と書かれたドアのところまで引きずっていく。
「なんで止めるんじゃん!止めるんじゃん!?あいつ殺す、殺す、殺すうううう!康介、康介が、康介ぇぇ!」
「落ち着けよ、てめえが勝てる相手じゃねえ!!」
誰だって絶頂を極めた時はその恍惚ゆえ、頭が一瞬ぼやけるものだ。眠気を生じることも多い。ましてや乱汰の場合は相当深い快感の海に落ちている様子。ならばもうこの隙を逃すわけにはいかない。ここで逃げなければ、全員殺されるだけだ。
「駆、てめえも来いや!」
「は、はい!」
泰輔には、駆はともかく陽介を助けてやる義理なんて本来ない。それでも陽介をむりやり担ぎ上げたのはひとえに、こんなクズ男に殺させるわけにはいかないと思ったという、その一点に尽きるのだ。
人間として、この男は間違っている。自分はこいつを否定しなければならないと、強くそう思ったとでも言えばいいか。
――くそが!くそくそくそくそ!なんで、なんであんなやつがいやがるんだよ!
強引にドアを蹴り破ると、向こうから涼しい風が吹き込んできた。僅かに枯草のような匂いがする。この先の場所が、陽介と康介が言った通りの、牛にだけ気を突ければいい安全地帯だと今は信じる他ない。
「うおあ?あんたらあ、逃げるんですかあ?あるえ、あれれえ?」
背後から、異様なほどのんびりした男の声が聞こえてきた。彼もこのドアをくぐることはできるはず。追いかけてこない保証はどこにもない。この先に向かっても、油断は一切しない方がいいだろう。
「なんでっ!」
陽介を担ぎ上げた状態で、泰輔は走る。スニーカーが草地を踏む感触。爽やかな青空、林の向こうに見える村。どれもこれも穏やかな場所に違いないのに、誰も彼もそんな気分になれやしない。
「なんで、なんで、なんでえええええ!」
担がれた状態の陽介が、ぽこぽこと泰輔の背中を叩いた。いつもなら怒るところだ。しかし今の泰輔は、歯を食いしばることしかできなかったのである。何故ならば。
「なんで、康介を見捨てた!?ぼくらたち、いっつもいっしょだったのに!二人でずっといっしょだったのに!なんで見捨てたじゃん、なんで、なんで、なんで!まだ助かったかもしれないじゃん、なんで、なんでだよ、なんでえええええ!」
――馬鹿野郎が。
本当は、彼だってわかっているはずだ。
だって見ただろう。首をへし折られて、白目をむいた康介の顔を。痙攣する体を。
あんな風に首の骨を折られて、生きていられる人間がいるはずがない。ましてやそのあと、あんなにスパイクで頭を踏みつけにされたのだ。どう考えても、助かる見込みなんてないだろう。
もちろん自分たちが回復魔法の名手だったならその見込みもゼロではなかったかもしれないが、生憎泰輔は魔法が苦手だし、駆だって回復が得意なタイプではない。何より、あの恐ろしい男を倒さなければそんな魔法をかけることもできなかっただろう。
悔しいが、自分たちではあいつには勝てなかった。あんな怪力、一体どうやって対処すればいいのか。
「あああ、くそう、くそおおおおお!」
ただひたすら、陽介が嘆く声を聴きながら――泰輔は走り続けるしかなかったのである。