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<39・コメディ、シリアス、それから進展>

「……大丈夫ですか?」

「……うん」


 静かに背中をさすって貰って、ミノルもだいぶ落ち着いた。とはいえ、あまり長居しているわけにもいかない。というのも。


「あ、ああ……ネロコちゃんがこっち見てる……」


 少しの時間が過ぎると、今度は社が幻覚を見始めたからだ。


「え、嘘、本当にいいっすか?じ、自分……ネロコちゃんにそんな罵倒されるなんて夢みたいで……ほ、ほんとに?そんなことまで?え、うそ、あ、やだ、いやんっ……そんなところ触っちゃだめえ……!」

「どんな幻覚見てるのかなあ君は!ぶっとべ!」

「ぎょえっぴいいいいいい!?」


 どうやら、ゲームのキャラにあれこれされるという、なんとも危機感がない夢を見ていたらしい。頬を紅潮させ、乙女のようにもじもじし始めた社はなかなかのキモさだった。あまりのアホっぷりに、大空が半笑いの顔で思い切りその背中をどついたほどである。なお、何故か社は三回転半捻りしてぶっとんでいった。いやそんな、なんでフィギュアスケートの必殺技みたいな有様になっているんだろうか。ある意味凄すぎるのだが。


「あ、ばばば、ば……痛い……」


 紫色の廊下に転がった社は目をぐるんぐるん回して言った。


「あれ、ね、ネロコちゃんはどこに行ったっすか?あと……大空サン、なんでそんなバイオレンスな対応?静さんのミノルさん相手とはだいぶ違うよーな……?」

「そりゃ、僕は静くんほど優しくないもーん。あと、変態はこの世からから消し去らないとね。ほら言うでしょ、『駆逐してやる、一匹残らず、この世から変態を!』って」

「それ、なんか、違うっす……」


 どこかで聞いたようなセリフを言う大空は、目が一切笑ってない。ミノルはドン引きしながらもつい尋ねてしまった。


「社お前……どんな夢見てたわけ?」


 すると社は再びぽっと頬を染めて告げたのだった。


「え、い、言っていいんすかあ……?そのネロコちゃんっていう、ギャルゲーのヒロインがいましてね?その子、おっぱいおっきくて、目がキラキラしてる学園のアイドルでえ……!それでいて結構な毒舌キャラで、平気でシネとかコロスとか言ってきてそのギャップがたまらなくてえ!そ、それで自分のアソコを踏みながらうふふふふふ、そ、それがまあ最高というか……でへへっ」

「ごめん訊いた俺が悪かった。大空、こいつは駆逐していいと思う。まずは股間から」

「おっけい、わかったよミノルくーん!」

「いやあああああ待ってえ、自分の遺伝子消さないでえええええ!!」


 なんでこいつはこんなに緊張感ないのか。でもって、彼がドM気質だなんて知りたくなかったなと思うミノルである。

 多分、この空間での幻覚は大切な人の記憶を呼び起こし(ただし、架空の人物でも問題はないのだろう)、その人物に罵詈雑言を浴びせられるパターンが多いのだろう。――罵詈雑言浴びせられることに快感を覚える相手にはまったく鬱効果がないなんて、さすがのゲーム製作者も思っていなかったに違いない。ある意味不憫と言えば不憫である。


「……ストレートに申し上げますがね」


 そしてさっきから、静はゴミでも見るような目を社に向けている。


「そこのトイレでさっさと処理してきてください。不愉快です」

「…………ハイ」


 ああ、自分達が気付いていても言わなかったことを。

 社はしょんぼりすると、早足で靴箱を少し過ぎたところにあった男子トイレに駆け込んでいった。いや、男ならそういう生理現象は仕方ないのかもしれないが、だからといってその状態のまま一緒にいられるのはちょっとイヤすぎるというものである。

 トイレに入った彼が、間髪入れず個室に飛び込む音が聞こえた。そういえばこの特殊空間で水は流れるのだろうか?――流れなかったらまあ、その時はその時だと思うしかない。


「さて、馬鹿はとりあえずいなくなったわけだけど」


 はあ、と大空が大きくため息をついた。


「この空間が思った以上にヤバイってことはわかったよね。陛下はやっぱり、ルカインだった時のトラウマが想起されちゃうみたいだ、と。本当に早く抜けないとまずいね」

「……ごめん。まさか俺が一番最初に幻覚を見るとは思ってなかった。ミノルとしては、そんな怖い想いをしたりとか、トラウマな目に遭ったりしたこととかないもんだから……正直油断してたぜ」

「まあ、そこは仕方ないよ。……ルカインが経験したかつての戦争は、本当に酷いものだったって聞いてるし。……やっぱり君が魔王、で間違いないんだね。完全に前世に乗り移られてたじゃんか」

「……ほんとにな」


 分かってはいたが、改めて言われるとだいぶヘコむ。社がコメディをぶちかましてくれたおかげで、メンタルは大分落ち着いてはきたが、それでもだ。

 前世で自分は本当に魔王だった。もはやそれを受け入れないわけにはいかない。

 しかしだからといって、今ここにいる〝一倉ミノル〟を捨てるなんてできるはずがないのだ。自分は自分だ。他の誰でもない自分自身なのだ。いくら己の前世だとしても、その存在に〝一倉ミノル〟を喰われるのは――完全に、恐怖でしかないのである。


「……怖いですよね」


 意外にも、それに理解を示してくれたのは静だった。


「前世の自分は、今の陛下ではない。私は……貴方を陛下とは呼んでいますが、今ここにいる貴方がルカイン氏とは別の人間であることは理解しています。前世は前世、現世は現世。魂は同じでも、人格は違うわけですから」

「うん。……正直、怖くなったよ。ルカインであることを思い出して、俺が俺でなくなっちゃったらどうしようって」

「でしょうね。それは……私も、怖いです」


 ぽつり、と静が言った。


「魔族として、記憶を取り戻してほしい。でも私は……今の貴方にも消えてほしくは、ありません。そうならないと信じていたいのです。だって、貴方には十八年、積み上げた記憶と時間が確かにあるのですから」


 消えてほしくない。そうはっきりと言えるのは、何故だろう。まだ、たかが一か月程度の付き合いだというのに。そもそも。


――お前、本当にそう思ってくれてるのか?……前世が魔王だった俺に、憧れてるだけとかじゃないのか?だから……一目惚れしたとか、そういう気になってるだけってことはないのかよ?




『僕のお願いは一つ。いつか……いつか静くんが本気で、君に想いを伝える日が来た時。真剣に、本当に真剣に考えて向き合ってあげて欲しい』




 大空の言葉を思い出す。あれは、紛れもないゲームの勝利条件として課されたもの。自分は否応なくそれに応える義務があると知っている。

 だがしかし、それはそれとして。


――どうして好きになって貰えてるのか、それが本当に恋愛感情なのか、俺にはどうしてもわからないんだ。


 彼が好きなのは本当にミノルなのか。

 それとも、ルカインなのか。

 そしてそれは、ここで尋ねていいことなのか。


「……そう、思ってくれてるなら」


 気づけば、ミノルは口にしていた。


「その、陛下って、呼び方さ。……変えて……」


 変えてほしいんだけど、言いかけたその時だった。




「どわっぴょおおおお!?」




 何やらトイレの中から、へんてこな悲鳴が木霊したのである。なんだなんだと思って見れば、トイレから慌てたように飛び出してくる社の姿が。

 多分手を洗ったところだったのだろう、その両手がびしょ濡れになっている。


「み、みみみ、皆さぁん!大変っす、大変なんっす!」

「どうしたんですか、そんなバケモノでも見たみたいに」

「百田、ハンカチ持ってないのか?手くらい拭けよ」

「ミノルさんツッコミが冷静すぎ!……と、トイレの中に、人が!」


 びしっ!と洗面所に繋がるドアを指さす社。


「ひ、人が窓の前で倒れてたんっす!じ、自分さっきは自家発電するのに必死で全然気づいてなくて……!手洗って、音がしたから変だなと思ってみたら、ななななんと!結構綺麗な人が!うちのクラスじゃないみたいなんで誰かは知らないんですけども!!」

「なに?」


 思わず静、大空と顔を見合わせる。人がいた、というだけならばまた幻覚の可能性もあった。しかし、まったく見覚えのない人間を幻覚で見るなんてことは、恐らくここではないと思われる。

 ということは、本当に巻き込まれた生徒か、あるいは――。


――本来の、参加者か!?


 ミノルは促されるまま男子トイレのドアを開けた。そして、窓の前、タイルの上で座り込んでいる人物を発見したのである。

 その人物は制服姿で、右肩のあたりが切り裂かれて血が出ていた。その血が右手首の方まで伝い落ちているあたり、かなり出血が激しそうである。これは手当しなければまずいか――と思ったところで、気づいた。


「う、うう」


 長いウェーブしたピンク髪。呻きながら彼が顔を上げたので、その苦しそうな表情も見えた。

 女性にしか見えない美貌。間違いない、少しだが話したことがある。




『陸上、やりましょう。ええそうしましょう、それがいいわ、絶対そうするべきだわ!』




 部活動見学をして回った時――そう、陸上部を見た時、声をかけてきた少年ではないか。

 陸上部部長、那由多映。

 何故彼が、こんなところで倒れているのだろう?


「え、映くんじゃん!?二組の、陸上部の!!」


 大空が声を上げる。どうやら知り合いだったらしい。


「怪我してる、やっばいよ!し、静くん!」

「はい、治療しましょう。……ここの床、綺麗であることをお祈りしましょうかね。ちょっと彼を横たわらせてください」

「わ、わかった」


 明らかに、何者かに襲われたといった様子である。その相手が人間なのか、モンスターなのか、はたまたこの謎の空間のトラップのようなものなのかはわからないが。


「し、しっかりしろよ、那由多!」


 ミノルは回復魔法をまだ習っていない。当然、手当の道具がここにあるわけでもない。

 ただ映に声をかけつつ、静が治癒の魔法をかけるのを見守るしかできなかったのだった。


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