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<37・紫の迷宮>

 どうやら、壁や空間が全体的に紫色になっているところと、あちこち紫の花が生えているところを除けば、いつもと同じ校舎であるように見えた。もしここが本当に社が言うゲームを元にした空間であるのならば、緑色のドアを見つけることで別のエリアへ向かうことができるはずである。

 問題は長居するとまた目玉が出現して光線を浴びせてくるかもしれないことと、メンタルハザードが発生していること。敵が現れずとも、自分がおかしくなって自殺してしまうようでは何の意味もない。

 また同時に、出口以外にも探さなければいけないものがある。それは。


「……俺、此処に来て一か月くらいだから、他のクラスのこととかは全然知らなくってさ」


 ミノルは静、大空、社の三人を振り返って言う。現在、一階の廊下を注意深く観察しながら歩いているところだった。


「こういうめっちゃくちゃなゲーム仕掛けそうな奴、心当たりない?明らかに無関係の人間を巻き込むことをためらってないし、相当やべー奴だと思うんだけど」

「そう言われてもねえ」


 大空が困ったように肩をすくめた。


「これが、ミノルくん狙いのゲームならもう少し絞り込めたんだよ。高い確率で三年生の誰かだろうし、僕も三年生なら知り合いが多いからさ。でも、実のところ魔女の夜会サバト自体は……一年生や二年生、教職員の大人の人達でも使えちゃうんだよねえ」

「つまり、犯人は三年生に絞り込むこともできない、と」

「そうそう。でもって、この学園って偏差値は結構高いし、魔法の素質が強くないと入ることもできないし、結構厳選された環境ではあるけど……だからこそエリート意識が強い人とか、親の意向で無理やり突っ込まれてグレてる人とか、トラブル起こす人もいないわけではないわけで」

「あー……」


 思い出したのは五條泰輔の顔である。彼も、本来はサッカーができる別の学校に進学したかった、とか言っていなかっただろうか。にも拘らず無理やりこの学校に入れられて、魔王の継承者候補にされた、と。

 それでああなってしまった、というのは少々同情しない点でもない。ああいう生徒は珍しくない、ということなのだろう。


「あと、ここってその、結構閉鎖的な環境じゃないっすか」


 ごにょごにょごにょ、と社が口を挟んでくる。


「外出許可もなかなか出ないし、この学校の敷地内で過ごしてるし、みんな寮生活だし……。まあ、鬱憤は溜まるし、人間関係でこじれたらめんどくさいんすよね。それと、これはアルカディアに限らず男子校あるあるなんすけど……男同士で惚れた腫れたは珍しくない、というか」

「あー」

「しかも、自分らってみんな魔法が使えて……魔法の種類によっては、武器も独自で錬成できたりするわけで。どっちにしろ、常時武器を携帯して歩いているようなもんなんすよ。それでトラブルになったら、殺傷沙汰になることもちょいちょいあるというか……」

「こ、こわ!?」


 なにそれこわい。

 ミノルは青ざめて小さく悲鳴を上げる。


「ああー、過去にはいろいろありましたねえ。それはもう、色々と」


 しかもその隣で、静が遠い目をしてとんでもないことを言うのだ。


「お前を殺して俺も死ぬ!という台詞をまさかすぐ傍で聞くことになろうとは。……去年ナイフで刺されて意識不明になった生徒、うちのクラスだったんですよねえ」

「うげ、あれ静くんのクラス!?うわあ、かわいそー」

「本当に可哀想ですよ私!男性でも妊娠できる魔法ってのが実はこっそり開発されていたらしくて、それでやることやりまくった生徒がマジで妊娠して悪阻で教室で吐いたこともあったり……」

「ひゃああああああ!」

「あ、そういえば自分のクラスでもありましたっす。クラスの美人な男の子が、ストーカーされてて」

「うっわ」

「しかもそのストーカーが事務員さんだったってので」

「地獄じゃねえか」


 流石にドン引きである。このままいくと、無限にやばいエピソードが湧いて出てきそうな嫌な予感しかしない。


「……俺、元の世界に帰らせていただいてもよろしいでしょうか?よろしいですよね、ハイ」

「よろしくないです、陛下。逃げないでください」

「うおおおおおん!」


 思わず腰がひけたところ、静に首根っこを掴まれた。陛下とか呼んでくるくせに、こいつは一切情け容赦というものがない。ていうか、本当に尊敬されているかも怪しい。なんせ基本敬語で毒舌吐きまくるのがテンプレートな男である。


「まあ、そんなに怖がらないでよミノルくん。本当にヤバイ生徒なんてごく一部なんだから」


 あははははは、と大空が乾いた笑い声を上げる。


「まあ、その一部がメンドクサイせいで、今僕達は巻き込まれてるわけだけどね。……とりあえず、心当たりとか言われたら無限に湧いて出てくるわけだから、それを尋ねても意味ないってことだけ知っておいてもらえると」

「……ヨクワカリマシタ」

「一つだけ言えるのは魔女の夜会サバトって魔法は……手間暇かけても、自分が負けるリスクを一定背負っても、相手を打ち負かしたい屈服させたい時に使われることが多い魔法ってこと。この魔法の訓練する時とか、友達との悪ふざけ、なんてのは別としてね」


 それは、なんとなくわかる。この魔法は成功させさせれば、相手にどんな命令もきかせることが可能なのだ。大空が自分に仕掛けた時のように、ミノルに〝危機感を植え付ける〟ためだけに行うケースは非常に稀だろう。

 つまり、誰かが誰かに対して強い要求があって通したいと思っている、あるいは心をへし折りたいと思って仕掛けている、という可能性が高いわけだ。それも、無関係の第三者をたくさん巻き込んでも構わないと考えているということは――この学校そのものに恨みがある、という可能性もなくはない。

 実際、魔法訓練場に残っていた生徒だけが巻き込まれたとは断定できないのだから。


「あ、靴箱発見」


 暫く歩いていくと、右手側に靴箱が見えてきた。一階の靴箱を使っているのは、主に三年生と一年生の一部である。ずらずらと並んだ、茶色い本棚のような靴箱の群れ。その中には、自分達が普段使っているものも含まれている。

 靴箱の奥を覗き込めば、そこには硝子扉があった。両開きの扉は、どれもぴったりと閉じられた状態になっている。ここから外に出ることは可能なのだろうか。緑色のドア、ではないのが気になるが。


「百田、ここから出ても大丈夫なのか?」


 いつも通りなら、ここからグラウンドに出られるはずである。声をかけると社は微妙な顔をした。


「あまりオススメはできないっすね。……いや、ほんと、どこまでゲーム通りなのかはわかんないっすけど。自分らがやるゲームだと、基本的に『№512 紫の迷宮』は建物の中とか、屋内が設定されてることが多いんす。屋外への出口は出られません、というか」

「というか?」

「いわゆるテジョントラップというか……落ちるとランダムで別の場所に移動させられるトラップがあったり、場合によっては即死する沼になっていたりして。なんで、屋外へ出る扉や窓は、緑色に塗られていない限り出ない方がいいかなと」

「マジか。ここから出られるなら楽だったのになあ……」


 そう言ったところで、ミノルは視界の隅を何かが過ぎったことに気付いた。ほんの一瞬であり、見間違いかなと思うくらいの刹那である。しかし、確かに見えた。靴箱の影を、何かが通り過ぎていったのが。


「おい、お前ら今、何か見えなかったか?」

「どうしました、陛下?」

「いや、その……靴箱の影にな。何かが隠れたような……」


 もしかして、このゲームの本来の参加者かもしれない。あるいは、自分達と同じように巻き込まれた被害者か。参加者ならば接触して状況を確認する必要があるし、被害者ならば協力体制が取れるかもしれない。

 ミノルは段差を降りて、靴箱の前に立った。がたん、と床に敷かれたすのこから思いのほか大きな音が鳴る。上履きの状態なので下へ降りるわけにはいかない。すのこの上を、ゆっくりと踏みしめて歩いていく。

 みし、みし、みし――このすのこは、こんなに煩い音がするものだっただろうか。あるいは自分が緊張しているせいで、音が大きく聞こえるだけなのか。


――やっぱり、誰か、いる。


 一年生の靴箱の、すぐ裏手だ。誰かが蹲っているらしい。小さく低い、呻き声のような、泣き声のような声が聞こえてくる。


「うう、ううう、ううううう……どうして、なんで……うう、うう……っ」


 絶望して何かを嘆くような、なんだか胸の痛くなる嗚咽。近づいていくにつれ、ミノルは違和感を覚えるようになっていった。

 その人物の体格が、妙に大きいのだ。人間として不自然だ、というわけではない、やけにがっしりしている、とでも言えばいいだろうか。しかも、着ているものが生徒の制服でもなければ、教職員が身に纏うようなスーツやオフィスカジュアルな服装でもなさそうなのである。

 鈍い色の肩当てが見える。頭に兜のようなものを被っている。そして、兜の隙間から黒々とした髭が見える。


――え?


 ミノルは、完全に凍り付いていた。その姿には、見覚えがあったからである。そう、夢の中で何度も見たもの。

 魔王ルカインの――自分の仲間の、魔族の兵士たち。彼らがまさに、そんな恰好をしていたような。


――なん、で?こんなとこに……。あ、あれは、何百年も前のことのはずで、だから。


 しかも急に、花の香りをかき消すほどの強い別の臭気が漂ってきたのだ。

 そう、濃い、あまりにも濃い――血の臭い。それは、目の前で蹲っている、髭面の男から漂ってくる。

 しかも同じタイミングで、はっきりと男の呟く声が聞こえるようになってきたのだ。


「おかしい、うううう……。おかしいじゃねえか、なんで、こんな。だって、俺らはこんな、こんなに頑張って……。なのに、なんで、報われねえんだ。ちくしょう、ちくしょう、悔しい、悔しいよ、うう、ううううう……!」


 まずい。頭の中で、ガンガンに警鐘が鳴る。これは、何かまずい存在だ。近づいてはいけないものに自分は近づいてしまったのだ、と悟る。

 だが、ミノルの体は凍り付いたように動かなかった。そいつがゆっくり立ち上がる。ぼたぼたぼたぼた、と大量の血がそいつの足元に落ちるのが見える。そして、ゆっくりと振り返っていき――。


「何故ですか」


 ごぼり、と。その青紫色の唇が、怨嗟の言葉とともに血を吐いた。


「どうして、俺ら、殺したんですか……ルカイン様」


 血走った目は明らかに、ミノルを睨みつけていたのだ。


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