まず、この訓練場の状況をよく確認する必要がある。
此処は屋外にある魔法専用の訓練場であり、標的にするための的や、炎や雷魔法で燃やすための薪、藁などが一部備蓄されている。同時に、周囲は結界でしっかり守られているため、万が一魔法が暴発して火事になっても訓練場の外まで燃え広がることはない仕組みだ。もちろんそれとは別に、消火器や消火栓などの設備もしっかり設置されているが。
屋外で屋根はないため、雨の日は基本的に使えない。そういう時は、屋内の別の魔法訓練場を使うのだと静が教えてくれた。
内部の地面は、転んでも怪我がないように天然芝となっている。この天然芝は水分を多く含んでいて燃えにくい素材なので、これが万が一火事になった時も延焼を防いでくれるらしい。
休憩用のベンチ、それから生徒たちが荷物を入れるためのロッカー。さらに、ロッカーには万が一怪我をした時のための(魔法の暴発で怪我をする生徒が多いためだ)応急キットなんかが入っている。
出入口は二か所。
校舎へ直接繋がる出入口と、グラウンドへ出る出入口である。
もちろん、魔女の
そして早々に、『ないはずのものがある』は発見されることとなるのだった。
「な、なんっすかこれ!?ご、五條さん五條さん五條さーん!」
駆が唐突に悲鳴を上げて、泰輔を呼びつけた。彼は訓練場のど真ん中を調べていたようなのだが――。
「こ、こ、こんなものありましたっけえ!?」
「……ねえよ。なんじゃこりゃ、マンホール?」
それは大きな大きなマンホールのようなものだった。黒光りする蓋には、特に模様らしきものはない。そして、サイズが一般的なマンホールよりかなり大きいようだった。その気になれば、二人同時に飛び込むくらいのことはできるだろう。
ミノルも駆けつけて、まじまじと観察する。ヘコみらしきものがあるので、そこに手をひっかければ開けることはできそうだ。
「これ、やっぱり元々訓練場にあったもんじゃない、よな?」
「ああ。ここ一面柴だ。つーか、お前も散々的当てやってただろうが。こんな目立つところに目立つもんがあったら普通すぐ気づくだろ、一倉ミノルさんよ」
「そ、そりゃそうだ」
泰輔にしては真っ当な意見である。実際、的当ての訓練をしていた時、丁度踏むくらいの位置なのだ。こんなものがあったら気づかないとは到底思えない。
「おらよ」
泰輔が蓋の窪みに手をかけて、力をこめた。ムキムキの見た目通り、他の生徒たちよりも力があるようだ。ごごごご、と音を立てて蓋が持ち上がる。現れたのは、下へ下へ続く梯子のようなものだ。
意外にも白いライトが灯っていて、中はそこまで暗くない。かなり地下深くの方まで続く構造になっているらしい。一体、どこへ繋がる通路であるのか。
「魔法でできた出入口ってわけだ。……魔女の
だから調べる必要はあるんだが、と泰輔は苦い顔で言う。
「俺様たちはゲームに巻き込まれただけ、ルールもなんもわかってねえ状態。勝利条件を満たして終わらせることもできねえ。……調査にはまあ、リスクがあるわな」
「でも、誰かは行った方がいいよな?」
「ああ。といっても、校舎への出口とグラウンドへの出口、どっちも安全とは言い切れないがよ」
こいつ意外と冷静だな、とミノルは驚いて泰輔を見る。彼は何かを考えている様子で、ぶつぶつと蓋を睨んでぼやいていた。そんな彼を駆が尊敬のまなざしで見ている。――怒りに我を忘れていなければ、冷静に状況判断ができる男。だからこそ、駆のような人間に慕われているのだろう。
「静」
ミノルが手招きして、静を呼び寄せる。校舎の入口の方を確認していた静が駆け寄ってきて、マンホールを覗き込んだ。
「なるほど、本来ないはずの出口が増えている、と。これはダンジョン系のゲームである可能性が高い、ですね」
「宝探しをする、とか?」
「あるいは、モンスターを一定数先に倒した方が先とか。出口を探すとか。一定時間生き残れば勝ち……なんてこともあるかもしれません。私もそういうのを吹っ掛けられたことがあるので、想像はつきます。正直、クリアまで時間がかかって面倒くさいケースが多いんですよね……無傷終わらせることができない場合も多いし」
はあ、と彼は深々とため息をついた。
「今、校舎側の入口を開けてみたんですがね。……校舎の中も、なんかすごいことになってますよ。見てみます?」
「お、おう」
そう言われると、気になってしまう。ミノルは彼に言われるがまま、校舎側の入口を確認しにいった。ノブを回してドアを引っ張る。途端、なんだか妙な匂いが鼻についた。
「な、なんだ?」
臭いニオイ、ではない。ラベンダーの花なんかを想起させる匂いだ。トイレの芳香剤っぽいニオイと言えば、大体想像はつくだろうか?
問題は、その匂いが少々キツすぎることである。いかに甘い花の香りであっても、行き過ぎるとキツいと感じるものだ。思わず鼻の頭をさすってしまう。こんなに匂いが強い空間では、ほぼ嗅覚は麻痺してしまうことだろう。
同時に、ドアを開けた先に見えたものは。
「……なんかこう、目がチカチカするなーってかんじ……?」
さっきまでは、一階の廊下が続いているはずだった。しかしそこはいつのまにやら壁も天井も紫色になり、あっちこっちの壁や床から紫色の花がニョキニョキ生えている奇妙な場所になっている。
構造自体は、そこまで変化したようには見えない。真っすぐ伸びる廊下と、左へ進む廊下。自分の記憶通りなら左へ行けば保健室と裏口があり、真っすぐ進めば右手に下駄箱が見えてくるはずである。
「ニオイもきついですしねえ。なんかこう、デパートのトイレの中とかこういうイメージあります。芳香剤がすごいかんじ」
「だ、だよな……ニオイがきつすぎて噎せそうだぜ」
「見てください、あれ」
静がすぐ右側の壁を指さす。そこにはポスターなんかを貼ることができる掲示板が設置されていた。しかし今はポスターはなく、代わりに妙な紙が一枚ででーんと貼りだされているばかりである。
書かれているのは以下の通り。
『№512 紫の迷宮』
512て、と絶句する。まさか、似たような異空間がそれだけの数出現している、ということなのだろうか。
「恐らく、学校の敷地内のほとんどが……このようなエリアに分けられてしまったもの、と考えられます。ナンバーと名前ごとに、違う特性があるということでしょう」
「モロにダンジョンじゃん!ていうか、バックルーム的な何かかよ!?」
「危険度も出現する敵の種類も違う、とかありそうですねえ。……どんだけ規模の大きいゲームにしたんだか。これ、我々以外も多人数が巻き込まれている可能性ありますよ」
静が頭痛をこらえるようにこめかみを抑えた。
「犯人は処分を免れられないでしょう。……どうしますかね、これを見るまでは、それぞれの出口から数人ずつグループに分かれて探索するのが得策だと思っていたんです。さっきのマンホールなんて、多人数は入れそうにないですしね。しかし、どうにもこれらの空間は嫌な予感しかしません。下手に分かれると、そのまま合流できないで終わりそうな気もします」
「うへあ……厄介だなオイ……」
とりあえず、ミノルはポケットにいれっぱなしだったスマホを確認する。やはり自分が元々の世界から持ってきたスマホは使えなかったので、この国で使える携帯電話を支給してもらったのだ。まあ、インターネットとメールを使うくらいしか使用用途はない上、まだアドレス帳に入っている名前も少ないのだが。
「……電波は立ってるな。ってことは、他の奴らとスマホで連絡取り合うくらいはできそうだ」
ならば、とミノルは顔を上げる。
「やっぱり、三つに分かれた方がいいと思う。みんなにちゃんとスマホ持って移動してもらおう。それでこまめに連絡を取り合って、分かった情報を共有するのがいいんじゃねえか?あのマンホールは特に調べた方がいいし、それでいてあそこは此処にいる面子全員が入るにはちょっと狭そうだし」
「まあ、そうですね。……そういえば、まだグラウンドの出口の方を見ていませんでした。あっちも見た上で、誰をどう割り振るか決めるのが良いですかね」
「ああ、頼んだ。お前はクラスのリーダーみたいなかんじだし、俺はまだクラス全員の能力とか把握してないからさ。お前の裁量で割り振ってくれたらたすか……」
助かる、と言おうとしたその時だった。突然、鼓膜を妙な音が震わせたのである。
それは。
『ウーウーウー!ウーウーウー!ウーウーウーウーウー!!』
――な、なんだこれ?サイレン?
それも、パトカーなどではなく――消防車などが鳴らすサイレンに近い。本能的に背筋が泡立つ音、とでも言えばいいのか。危険を感じて、皆がざわつき始める。同時に、赤い光が空でちらつき始めたから尚更に。
「い、嫌な予感しかしないなー……?」
ミノルがそう呟いた時だった。
ばくん、と紫色の空が割れた。そしてその中から、ぎょろんと真っ赤な目玉が出現したのである。
大きい。サイズは、直径2メートルはゆうにありそうだ。ぎょろんぎょろんと蠢く目玉が、まっすぐに自分達を捉える。同時に、その瞳の中心が真っ赤に光り始めたのだった。
これはひょっとして、ひょっとするのではないか。
「に、逃げろおおおおお!!」
ミノルが叫んだ次の瞬間だったのである。
その巨大な目玉の中心――真っ赤に輝く瞳の中から、赤い光線が迸ったのは。