その日から、ミノルは魔法の実習にも参加するようになった。
今までは実習授業は全て見学していたのである。それは教師たちが、魔法が一切使えないミノルに配慮してくれていたからだった。自分だけ何もできないともなれば、余計な劣等感を抱きかねないと思ったからだろう。
無論、現状もミノルにできることは〝線香花火をポトンと落とす〟程度のものである。他の生徒たちと比べると格段にスキルは低い(なんせ、このクラスは三年生であり、みんな一年生からがっつり魔法を磨いてきているからだ)。何もできなかった前よりマシ、程度でしかないのだ。
それでも参加すると決めたのはミノル自身の意思である。
今までの二度のゲームではっきりと学んだのだ。自分は、もっと早く魔法を習得するべきだと。記憶を取り戻し、力を取り戻す。そうして自分で自分を守れる力を身に着ければ、その分静の負担も少なくなるはずなのだと。
「さて、みなさん注目!教科書の35ページを開いてね!」
魔法学の教師は、自分達のクラスの担任でもある兆野あやめ先生だ。
今回は実習なので、屋外の魔法訓練場を貸し切って行われる。
「皆さんも知っての通り、魔法の訓練において最も重要なことの一つは……力を正確にコントロールする、ということです。みんなわかっているとは思うけれど、魔法が使えるのはわたし達魔族だけ。人間には使えない、特別な力であり……優秀な魔導士一人いるだけで、戦争において戦況が一発でひっくり返ると言われています。なんなら、そこらの戦車や戦艦より強力な武器になることもあるのよね」
戦車や戦艦よりも。なかなか大きく出たものだ。
いやしかしそれも本当なんだろうな、とミノルは思う。というのも、過去の魔族と人間の争いの歴史、は既に静たちからも聞かされているし、授業でもやっていることだからだ。
元々は人間達と最小限しか関わらず、ひっそりと暮らしていた魔族たち。
ところが多くの人間たちがその力を借りたいと、国のために戦って欲しいと言い出したことから様々なことがこじれたのである。裏を返せば、戦車や戦艦、爆撃機が飛び交うような戦場においても魔族の魔法の力が有用だと判断されたことを示している。
教科書はざっくりと呼んだ。実際できるようになるかは別として――最も強い魔法ならば隕石を落としたり、恐ろしい悪魔や天使を呼び出して戦わせたりということもできるという。
その力は絶大であり、国一つ一瞬で滅ぼすほどの力を持つのだとか。あまりにもスケールが大きすぎて、正直想像がつかないが。
「魔王である一倉ミノルくん以外は、一年生からずっと魔法の応用力を磨いてきた人ばかりだと思います。ていうか、小中学校でも、魔族なら魔法は必修科目なわけだしね」
さっきも言ったけど、とあやめ先生。
「一番大事なのは、大きな力を正確にコントロールすること。魔法は強大な武器になるからこそ、暴走したら大変なことになってしまうわ。自分自身も他人も傷つける、諸刃の剣でもあるの。だから今回の実習は、とてもシンプルなものにします」
彼女は一歩下がって、教鞭で訓練場の奥を指示した。
現在自分達がいる訓練場は、長方形の敷地となっている。今自分達がいるのが西の短辺であり、奥の方には五つほど赤白の的が並んでいるのだった。
それは、射的で使う的によく似ている。
恐らくあの魔法を的で狙って撃ちぬく、ということなのだろう。
――けど、それくらいの内容、三年生ならとっくにやってそうだってのに。何で六月の今になってそんなことを?
実際、同じ疑問を抱いたクラスメートは多かったのだろう。的が見えた途端、数名がざわめくのが聞こえた。
「え、的攻撃するだけ?」
「超簡単じゃない?」
「えー……つまんな、おもんな……」
「先生一体何考えてんだよ。こんなの一年生でやったような内容じゃん……?」
「いや、俺に訊かれても」
先生もいるのに、こうも堂々とひそひそ喋る度胸は大したものである。あやめがナメられているのか、あるいはそれが許されるくらいユルい校風なのか、一体どっちだろうか。
「はい皆さん。簡単だーって思いましたね?……ただ的を撃つだけの授業なんて、三年生でやらせると思ってるの?」
あやめも予想していたのだろう。ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべて告げる。
「内容は的の中心を正確に射貫くこと……なんだけど。制限を設けるわ。全員、自分が一番得意な属性の魔法の……最大火力の魔法を使いなさい」
「え!?」
「あの的には魔法をかけているから、一人が撃ってから暫くすると自動で修復されるようになってるの。……いい?射貫くのは、的の真ん中……赤い円の部分だけよ?それ以外のところに当ててはいけないし、ましてや的自体を吹っ飛ばすなんて論外。……ふふふ、これで、この実習の難しさ、理解できたかしら」
ミノルは全く理解が追い付かない。しかし。
「嘘だろ、マジかよ……」
「うっわ、きっびしー……」
生徒たちから、さっきとは真逆の言葉が漏れ聞こえている。どうやら、彼女が指示した制限とやらは、よほど厳しいものであったらしい。
「静、静。ちょっと解説頼む」
教科書は読んだものの、いかんせんミノルは経験が足らない。説明してくれ、と隣に立っていた静の袖を引っ張ってみる。
「弱い魔法で、的の中心を射抜くなら簡単なんです」
静もわかっていたのか、あっさり解説してくれる。
「しかし、強力な魔法となるとコントロールが難しい。例えば、今朝陛下は炎属性の最下級魔法であるFireを唱えて、小さな火の玉を作りましたね?」
「あ、ああ」
「そもそも最下級魔法では、最大でも拳大の火の玉を作るくらいしかできないとされているんです。中級、上級、最上級とランクが上がっていくと魔法の威力も上がります。簡単に言えば、火の玉の大きさが大きくなったり、派手に爆発を起こしたりするというわけですね」
「え?ちょ、ちょっと待て」
その言葉で混乱した。ということは氷属性の魔法、雷属性の魔法、風属性の魔法でも同じことが言えるということなのだろう。つまり。
「無理じゃね!?爆発なんて起こしたら、的吹っ飛ぶじゃん!」
炎属性最大魔法の威力がどれくらいかはわからないが、仮にダイナマイトくらいの破壊力があるとした場合。一体どうやって、小さな的の赤い円分だけ貫く、なんてことができるというのだろう?
「ところが、それができるんです。強大な魔力と強大な魔法、そのコントールを最大限まで行えば。巨大な爆発の力で、小さな的の中心だけ破壊することも理論上は可能なのですよ」
「り、理論上はってことは、結構難しいんだよなそれ!?」
「無論です。小さな魔法より遥かに難しいコントロールを要求されます。しかもそれが、力を抑え込むことだけに終始してはならない。抑え込んだ力で、正確なポイントだけを破壊する。……三年生の実習に相応しい、ハードな内容だと思いますよ」
とか言いながらも、静の顔に一切焦りは見られない。多分、静にとっては楽勝の課題なのだろう。
「あ、一倉くんはまだ初期魔法しか使えないでしょうから、初期魔法でやっていいからね!他のみんなは、ちゃんと最大魔法使わないとダメよ?……じゃ、まずはお手本見せてもらおうかしら」
ざわざわしているクラスメート達をよそに、ニコニコと話を進めるあやめ。彼女が捉えたのは静である。
「千堂くんは、風属性が得意だったはずよね。やってみて」
「わかりました」
本人も、自分が指名されるとわかっていたのだろう。何の躊躇いもなく前に進み出ると、一番左端の的に向かって右手をまっすぐに伸ばす。そして、人差し指で的の中心を指さして――。
「〝Tornado〟」
トルネード。英語で、竜巻を意味する言葉。恐らくそれが、風属性魔法の最大級クラスというわけなのだろう。一瞬、息が苦しいほどの圧迫感に襲われる。強大な魔力が膨れ上がり、びりびりと肌が震えた次の瞬間――静の指先から放たれた疾風が、的の中心を捉えていた。
バァン!
その音を例えるなら、拳銃の発砲音に近い。的を支える鉄柱がびりびりと震え、的全体がまるで怯えるように揺れたのが見えた。
そしてその中心。赤い円のど真ん中にだけぽっかりと開いた――一つの、穴。遠目からなのではっきりとはわからないが、サイズは恐らく百円玉程度のものだろう。
――素人だけど、俺にも……わかる。
さっきの魔力の気配。自分に魔力が戻ってきたからなのか、気配もだいぶわかるようになっていた。びりびりと肌が震え、小さな針で突き刺されるような感覚。あれが、強すぎる魔力と、魔法発動の予兆だったということはわかる。最大級の魔法、それはきっと間違いない。それを、あんな小さな範囲に集約して的の中心だけくりぬくなんて――並大抵のことでは、ない。
「……申し訳ありません、兆野先生」
にも拘わらず、静は困ったような顔で謝罪を口にした。
「威力のセーブに失敗しました。……うっかり、塀まで貫通してしまったようで」
「え、え?」
どういうことだ、と的の後ろを確認して気づく。しゅうしゅうと煙を小さく上げるものがあった。この運動場をぐるりと囲む灰色の壁だ。
よく見ればその壁にも、さっきと同じ百円玉サイズの穴があいているではないか。
「……とんでもないわねアナタ。あの壁、万が一の事故がないように魔法石で作られてるのよ?簡易的な結界……傷つけるのはけして簡単じゃないってのに」
どうやら、思った以上にとんでもないことだったらしい。彼女は少し冷や汗を浮かべながら、そう言って静を褒めてみせた。
「やっぱり、この学園の魔法学トップは伊達じゃないわね。……とはいえ、次は塀まで貫通させないように気を付けて。貴方ならできるはずよ」
「はい、全力を尽くします」
「……というわけで。理論上可能ってことは、今千堂くんがやってみてくれた通りです。さあ、全員怪我しないように気を付けて、課題に取り組んでみてちょうだい!」
「ひえええええ!」
生徒たちのあちこちから悲鳴が上がった。やっぱり、相当難しいミッションであるのは間違いないようだ。
そして、初級魔法でいい、なんて言われたミノルにとっても難しいことは間違いない。いかんせん、こちとらあの距離の的まで火の玉を届かせることができるかどうかさえ怪しい――というか、安定して火の玉が出せるかもわからない段階なのだ。
――とにかく、みんなより楽な課題やらせてもらってんだから……頑張るっきゃねえ!
ミノルは自分の右手人差し指の先を見つめて頷く。
まずはこれが、最初の一歩だ。