ベッドについて、それからミノルの魔法がちょこっと使えるようになったかも?しれない件について報告すべし。
それは間違いないのだが、実はこの時まだ六時という時刻であったりする。寮生活であって通学時間を考えなくていいので、この学園の生徒たちは朝練がない限りそこまで早起きはしなくていいのだ。精々、朝ごはんの時間と、洗濯物を出す時間を考えればいいくらいである。
そして朝ごはんの時間も決まっていない。食堂で食べてもいいし、コンビニで買ってもいいのだ。まあ食堂で食べると朝ごはんは無料なので、そちらの方がお得であるのは間違いないが。
「校長先生もまだ出勤してらっしゃらない時間でしょうしね」
「あー、此処に住んでるわけじゃないのか」
「警備員さんとか用務員さんは住み込みなんですけど、先生方の多くは外部から出勤してくる方ばかりですから。ちなみに、ごくごく少数ですが人間の先生もいるんですよ」
「へえ、マジかあ」
そんなわけで。
現在ミノルと静は、体育館に向かっているところなのだった。玄関や各種教室などの鍵は、六時には用務員さんが全て鍵開けを行ってくれるのである。
何故体育館に向かうのかといえば、とある訓練をするためだった。体育館には消火器もあるし、万が一の時の火災検知器もある。何より広い上寮から少し離れているので、多少大騒ぎしても他の人の迷惑にならないという魂胆があった。
校長が出勤してくるまでの少しの時間、自分達がやろうとしていること。
それはミノルの、魔法の特訓だった。
「ベッドが焦げたということは、陛下が魔法で無意識にベッドを焼いた、ということになります」
静は大きなスケッチブックと筆記用具を持ってきていた。自分に説明してくれるためらしい。
「ならば、魔力が多少なりに戻ってきているはずなんです。……さて、陛下。魔法の授業はちゃんと受けていますよね?」
「あ、ああ。他の授業は出ないこともあるけど、魔法の授業は全部出るようにしてるよ」
「よろしい。では、今からいくつか質問しますので、まずそこからテストしましょう」
シャーペンを取り出し、まるで教鞭のように自分の左掌を叩く静。
「質問その一!魔法の属性は主にいくつですか?」
「や、八つ!炎、水、氷、雷、風、土、光、闇!た、たまにそれ以外の種類の魔法とか無属性とかもあるけど、とりあえず気にしなくていいって言われた!」
「よろしい。では魔法の弱点属性と効果について分かっていることを解説してください」
「えっと、えっと……魔法は、反発属性があるんだよな?炎と氷が反発する。水と雷が反発する。風と土、光と闇も同様。でもって、魔族とか魔族が呼び出すモンスターなんかはみんな自分の得意属性を持っているから、例えば炎属性が弱点のやつには炎の魔法は効きにくい、あるいは効かない。ただし氷魔法をぶつけると、通常より大きなダメージを与えられる可能性が、高い!」
「そうですね。ちなみに私は風属性です。私を倒したいなら、どんな魔法が有効ですか?」
「土属性だ。土属性って、岩系と重力系の魔法があるんだよな確か」
「具体的には?」
「〝Rock〟とか……〝Gravity〟とか……」
「よろしい」
彼の眼は真剣そのものである。特に、大空に敗北した三週間前からより厳しくなったように思う。ミノルも、可能な限り真剣に授業を聞いて、知識だけでも学ぼうと頑張ってきた自覚はあった。
ここでヘボい失敗をしたら、彼を失望させてしまうことだろう。自然と背筋も伸びるというものだ。
「では、魔法の定義とは?」
ミノルが最低限の基礎知識はちゃんと勉強しているとわかったからだろう。質問の難易度が上がる。
「特に、魔法が発見された経緯も含めて説明してください」
「えーっと……元々人間は、魔法は使えなかったんだよな。使うことができたのは、人間の突然変異とされた魔族たちだけ。でもって、魔族達はみんな人間に隠れて暮らしていたんだ。一部の権力者だけが魔族の力を借りていたから、その魔法の存在を知っていた。で、そいつらを通じて少しずつ人間達にも魔法が知れ渡った、と」
無論、大っぴらに魔族と魔族の力を語る者は少なかったはずだ。権力者たちは魔族たちの力を独占したかっただろうし、同時に魔族としても平穏に生きるためには人間達に箝口令を敷くように頼んでいたことだろう。
まあ残念ながら、人の口に戸は建てられないわけで。
第二次世界大戦頃になると、魔族の力を使って戦争を有利に運ぼうとする輩がぽつぽつと出てくるようになり、最終的には魔族たちを怒らせる結果になってしまうわけだが。
「魔族自体がいつ頃、どのようにして発生した種族なのかはわかっていない。ただ、人間と違って心臓に魔力をため込む性質があり、その魔力を使って魔法による奇跡を起こすことができる……だったはず」
どうにも、人間と魔族の最大の違いは心臓の仕組みにあるらしいのだ。
人間も魔族も、心臓のポンプで全身に血液を送っている。魔族の場合はそれと一緒に、心臓にためた魔力をも体中に巡らせているということらしい。
これにより魔族は魔法を使えるのみならず、人間より遥かに頑丈な肉体を獲得するに至ったという。
「魔法を使うには、えっと、えっと……その体中に巡っている魔力をイメージして、望んだ形に放出する。呪文を使うことで、その制御を行う……んだっけ?」
「そうなりますね。では魔力とは?」
「生命エネルギーが変化したもの、じゃなかったっけ。人間にも魔族にも生き物としての生命エネルギーはある。でもそれを魔力って形で自在に操る……第六感みたいな形で使えるようになったのが魔族だけだった、と」
「その通りです。それにより魔族の中には、自分達は人間から進化した新人類であるという認識を持つ者も少なくありません。見た目はほとんど変わりませんし、その上で人間たちより頑丈な体と特別な力を獲得しているわけですからね」
「……まあ、な」
でも、そういう意識がきっと争いを招くんだろうな、とは心の中だけで。
いや、仕方ないことであるのはわかっているのだ。自分が他人より優れている、それが明確であるならば人は優越感を抱かずにはいられない生き物なのだから。
そしてそれは何も悪いことばかりではない。少なくとも魔族は第二次世界大戦の頃までは、人間たちから隠れて、こっそり一部の有力者にのみ力を貸すことで暮らしていたとある。それは自分達が優れていると理解していたからこそ。その工夫もまた、争いを避けるための重要な工夫であったのは間違いないことだろう。
「で、魔法によって起こせない奇跡は実質存在しない。ただし、巨大な悪魔を召喚しようとか、世界を破滅させようとか……そういう規模の大きい魔法は魔力だけでは対価が足らないことが多い。実際、どんな魔法にも対価が必要となる。その対価は支払い切れないとなった時、実質その魔法は発動不可能という扱いになる……と」
「はい、上出来です。よくできました」
では次に行きましょう、と彼はスケッチブックを持つ。
「知識はきちんと吸収しているようで何より。ここからは、実践です。このタイミングならまだ朝練している部活もないですし……今のうちに、コツだけでも掴んでおきたいところですからね」
静はスケッチブックに、シャーペンでさらさらと何かを描いているようだった。数秒後、ミノルの方に描いたものを見せてくれる。
それは、魔法を発動するための図だった。
「まず、初心者は魔力の流れをスムーズにすること、が重要です。この絵のように、両手を垂らして、自然体で立ってください」
「お、おう」
そこには白い人型が、両手を下ろして立っている図がある。ミノルは同じポーズを取った。直立姿勢、というやつだ。
「体から力を抜いて、自然体に。一番楽だと思える直立姿勢で」
言いながら、静は人型の図に矢印を描き足していく。
「まずは、自分の心臓に、エネルギーが溜まっていくのを想像してください。同時に呼吸整えて、己の鼓動に耳をすませるのです。心臓にエネルギーをためて、ためて……それをゆるやかに、体中に流していくのを想像しましょう。頭へ、左手へ、右手へ。お腹へ、腰へ、右足へ、左足へ。そして巡った魔力が、再び心臓に戻っていく……その繰り返し」
矢印が伸びていく。その図を見て、同じ想像をすればいいのだなとミノルは目を閉じた。
世界が闇に閉ざされる。体から力を抜いて、心臓に魔力が溜まっていくのを想像する。ゆっくりと呼吸をし、心臓の鼓動を聞く。段々と胸が熱くなってくるような気がしてきた。心臓の鼓動が早くなってきたような気がする。
息を吸って、吐いて。エネルギーを、少しずつ心臓から解放し、体のすみずみまで流していく。さながらあの矢印と同じように、血液に乗ってエネルギーが運ばれて、また戻っていくような。
「吸って、吐いて、聞いて……感じて」
静の、穏やかな声が頭を揺らしていく。なんだかどんどん、体全体がぽかぽかと温かくなってきたような。
「充分にエネルギーが巡ったら、右手をゆっくり前へ突き出してください。そして、人差し指だけを立てて……虚空を指さして」
「……ああ」
「その指先に、巡らせた魔力を運んでいくのです。ゆっくりと、で構いません。段々と指が熱くなってきますよ」
「う、うん……あ」
ミノルは目を開いた。静はいつの間にか、やや左端に寄っている。万が一の事故を避けるためだろう。ミノルの指先は、丁度体育館の出口を指さしている形になっていた。
「そのまま集中力を切らさず、唱えてください。〝Fire〟と」
静の声が、空気を震わす。ミノルは、ゆっくりと己の唇をこじ開けた。
できる、気がする――今なら。
「ふ、ふぁ……」
指先に、熱を。
「〝Fire〟……!」
刹那。
ぼん!と音を立てて――小さな小さな火の玉が、人差し指の先に出現した。指のさきっちょくらいの、本当に小さな火球だ。しかもそれはやがて、ふらふらと地面に落ちていくのである。
やがて。じゅ、と音を立てて、落ちた火の弾が床を焦がすこととなった。
「……せ、線香花火かよ」
あまりのショボさに、ミノルはがっくりと肩を落とした。あれだけ集中して、これだけ時間をかけてまさかこの程度とは。本当は自分に魔法の才能なんぞないのでは、なんてことも疑ってしまうほどなわけで。
「何言ってるんですか、陛下。上出来ですよ」
ところが静はといえば、どこか嬉しそうに笑っているではないか。
「ちょっと前まで、線香花火も作れなかったんですよ?花火ができたってことは、ちゃんと魔力が戻ってきている証拠です。大躍進ですよ!」
「そ、そうかなあ」
「そうです、そうです。校長先生に報告することが増えましたね。……今日はいい日です!」
「そ、そうか」
なんだろう。静が、今まで見たことないくらい喜んでいる。その笑顔を見るだけで、さっきまでの沈んだ気持ちなど嘘みたいに吹っ飛んでしまうから不思議だ。
――そんな嬉しいんか、お前。
お人良しめ、なんて思ってしまう。
もちろん、悪い気は一切しなかった。