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<29・崖下の絶望、小さな火の玉>

『う、ぐうっ……うううっ!』


 全身がずきずきと痛む。ルカインはぐらぐらする頭を押さえて、どうにか体を起こした。

 城壁が爆破され、崩れた崖下へ放り出されたところまでは覚えている。最初から敵の軍勢は、この砦を捨てるつもりでいたということなのだろう。自分達は完全にしてやられた。罠だとわかっていれば、迂闊に攻め込むことなどしなかっただろうに。


――そ、そうだ……みんなは!?


 落下したのは自分だけではないはずだ。ルカインは土壇場で防御魔法を張ることに成功したので、全身打ち身だらけだし足も捻挫したがなんとかまだ生きていた。胸も痛いので肋骨に罅くらい入っているかもしれないが、その程度である。

 しかし、とっさに魔法が間に合った者はそう多くはないはず。

 声をかけたが、他の者達はどうだっただろうか。崩落に巻き込まれていないならそれでいいのだ。でももし、一緒に落ちてしまったなら。それも防御魔法もかけられず、何の受け身も取れない状態であったなら――。


――かなり、落ちたな。……どうやってあそこまで上ればいいんだ?


 上を見上げ、途方に暮れる。空が遠い。まだ昼間で、天気も良かったのが唯一の救いか。崖の割れ目から差し込む光で、辛うじて視界は確保されていた。この砦の地下にはもともと遺跡があり、それを再利用したというのは本当だったらしい。瓦礫に埋もれた岩壁の中に、ドアのようなものが見え隠れしている。崖が登れないならば、あれを通って中から侵入し、上に上る方法を探すしかないが。

 いや、まずそれよりも。


『みんな、どこだ?無事な奴は、いるか……?』


 太陽の光が射し込む、ごくごく一部の場所しか照らされていない。そして、周囲は落ちてきた岩や小石、瓦礫だらけとなっていた。他に落下した人間はいるのか、無事な者はいるのか。怪我をして動けない者もいるかもしれないし、比較的軽傷な自分がなんとかしなければ。

 立ち上がろうとして、急速な眩暈に襲われた。思わず四つん這いになって呻くルカイン。ぽた、ぽた、と赤い雫が額から垂れる。頭が割れているらしい、とそこでようやく気付いた。

 簡単な治癒魔法だけでもかけるべきか、と思ったところで違和感に気付く。ぐにゃり、と右手が何か柔らかいものを触ったのだ。それはぶよぶよしていて、生臭くて、ぬるついている。


『あ、あああ……』


 嫌な余予感がしてならない。指を動かす。掌がそれを、パンをこねるように潰してしまったのがわかった。中からぶちゅり、と液体が漏れだしてくる感覚がある。全身に冷たい汗が噴き出した。

 見たくない、見たくない、見たくない、見たくない。

 それなのに目線が、勝手に自分の手の方へ降りていく――。


『ひっ』


 もしこれが、自分の勘違いであったならどれほど良かっただろう?

 ルカインの掌が潰してしまっていたのは、真っ赤な肉の塊だった。うねうねとした太い管の形をしている。あちこちぼこぼこと波打っているのがわかる。その赤黒い中身をどろどろと吐き出している。――それが何か理解できてしまって、思わずルカインはその場で嘔吐していた。

 しかも、しかもだ。


『あ、あああ、あああっ!』


 その管が伸びている先に、いるのである。

 岩に潰され、上半身と下半身が泣き別れした男の姿が。苦痛と絶望に歪んだその顔がもし、完全に潰されてしまっていたならどれほど良かったことだろう。誰なのかもわからなければ、少なくとも一時の逃げにはなったはずだ。例えその腹部から内臓が飛び出していて、大量の血があたりにまき散らされているとわかっていても。

 ああ、どうして、理解できてしまったのだろう?

 その恐怖に彩られた顔が、さっきまで話していた幹部の男――トロワであるということが。


『あ、あああああ!トロワ!トロワ!トロワアアアァァァァァー!!』


 絶叫し、その頭を掻き抱いた。息をしているはずもない。体が真っ二つになって、内臓もぐちゃぐちゃに潰れて、骨もあちこち飛び出している状態でもし生きていたらその方が地獄だろう。

 ルカインは彼を抱きしめたところで、さらに理解してしまうことになる。

 あちらに倒れて、頭が半分になっている兵士。

 両腕が不自然に欠落し、血塗れの顔で虚空を見上げている兵士。

 上半身が巨石の下になり、飛び出した両足の隙間から未だ赤い噴水を吹き上げている兵士。

 みんな、みんな、みんな、みんな。どう見ても死んでいる。それも、まともな葬式も執り行えないほど酷い有様で。

 もっと言えばあっちにもこっちにも、誰のものかもわからない手足やら、肉の断片やらも落下しているではないか。よくよく考えれば、まず最初の爆発で巻き込まれて、落下よりも前に命を落としていた者も多かったのだろう。


『なんで、なんでだよ!誰か、誰かいないのか!?他に……他に生きている奴は!?』


 ほとんど悲鳴のような声を上げながら、周囲に呼びかけるルカイン。しかし、辺りは残酷なほど静まり返っている。己の呼び声に応える者は誰一人とていない。

 落ちた人間は、全て死んだというのか。いや、そもそも上に、生き残っている兵士もいるのかどうか。


『ふざける、な……こんなのっ』


 だらだらと流れる涙を拭うこともできず、ルカインは呻く。しゅうしゅうと食いしばった歯の隙間から息が漏れた。苦痛、絶望、憤怒、恐怖、焦燥、悲哀――そして、唯一無二の、憎悪。心臓の奥からマグマのように噴き出して、この体全てをぐちゃぐちゃに吹き飛ばしてしまいかねない、それ。

 冷静でいるようにと、本拠地に残ったフレアには確かにそう言われていた。魔王である自分が冷静さを失ったらそれで全てが終わりなのだと。

 わかっていても、自分で自分を押さえられない。確かに自分達は敵同士だった。でも、こちらはむやみやたらと人間を殺すつもりなどなかったというのに。

 何故このような虐殺が許される?

 ここで死んでいる仲間たちだってみんな、みんな、みんな――親がいて、友がいて、中には恋人や子供がいる者だっていたというのに!


『ぶっ殺してやる……てめえら全員、殺してやるっ!」


 吠えると同時に、一気に魔力が爆発した。ルカインの魔力が、最も得意とする炎の魔法となって噴出し、ごうごうと音を立てて谷底を赤く染め上げていく。


『おおお、おおおおおおおおおおおおお!!』


 雄叫びを上げると同時。その膨大な魔力は、一気に解き放たれることとなったのだった。




 ***




「……なるほど」


 ぷすぷすぷすぷす。

 目の前の焦げたベッドを見て、静は相変わらずの無表情で告げたのだった。


「おねしょならぬ……おね魔法?それともおね爆発ですかね?」

「……そういう言葉遊びせんでいいから」


 ミノルは焦げたベッドに座り、がっくりと肩を落とした。

 今夜も今夜とて、ルカインだった頃の悪夢を見たところである。ここ数日見なかったので安堵していた矢先にこれだ。いつにも増してグロッグロな内容に吐きそうになっていたら、夢の中でルカインがブチギレて――魔法を爆発させたと思ったところで、目が覚めたのである。

 焦げ臭い臭いがして、慌てて飛び起きたらこの状況。ミノルの右手あたりのベッドが思い切り焦げているではないか。さながら、ボヤでも起こしたかのような。


「これ、なんだよ……?火事にならなかったのは良かったけど、夢を見たせいなのか?」


 夢の内容は既に静に話してある。「多分そうですねえ」と、梯子を登った姿勢のまま静は二段ベッドを覗き込んだ。


「ほら、子供がおねしょしてしまう時によくあるでしょう?夢の中でトイレに行ったら本当に現実の体もトイレしちゃったとか。プールで遊んでいる夢を見ていたら漏らしちゃったーとか。それと同じなんじゃないですかね?魔法うっかりぶっ放したら現実でもぶっぱなしちゃいましたテヘ!的な」

「いやいやいや……それ迷惑すぎるからな!?ありそうで怖いけど!」

「確かに、ルカインは炎属性の魔法が得意な魔王だったはずですから。その片鱗が炎として現れるのはなんらおかしなことではありませんね」


 それは初耳だった。そういえば、全ての人は得意な魔法の属性があるとかないとか聞いたことがある。ならば、前世のルカインとミノルの得意属性が同じ、であろうことは想像に難くない。

 静はどうなのだろう。最初に泰輔に風魔法をぶっぱなしていたし、やはり風属性が得意という認識で正しいのだろうか。


「……おかしなことではありません、って今しれっと言ったけど。俺、まだ記憶戻ってないんじゃねえのか?魔力も何もないはずなんだけど……」


 一番気になるのはそこである。記憶が戻らない限り、魔法の力も戻らない。だから魔法も使えない、という話ではなかったのか。

 手をぐーぱーと動かしてみる。ベッドが焦げていたので火傷しているかと思いきや、体に傷は一切ない。


「もうこの世界に来て一か月が過ぎるんですよ?少しずつ、魔力が戻ってきているということなのでしょう。夢を見る頻度や深度も深くなってきてるようですしね」


 静はあっけらかんと言ってのける。


「とりあえず、ベッドがこの状態では今夜から支障が出ます。校長にも報告しなければいけませんしね、至急業者を手配して、修理してもらいましょう」


 それから、と彼はにやりと笑った。


「やっと、真っ当な魔法の訓練ができそうで良かったじゃないですか。ここから役に立つ機会がたくさんあります。身を護ることにも繋がりますね。……下級魔法くらいは身に着けてしまいましょう、林間学校の前に」

「あ」


 そういえば、とミノルは思い出したのだった。

 この学校、なんと三年生に――数少ない学校の敷地外に出られるイベント、林間学校があるということを。


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