流石に、静の立場を考えると大空との会話をそのまま伝えることはできない。
ただ、大空がミノルの緊張感を煽るため、叱咤激励のために勝負を挑んでくれたのだということは言った。下手をすれば、大空が誤解されない状況だったからである。
「相変わらず無茶苦茶しますね、貴方も。まあ、そんなことだろうとは思ってましたけど」
はあ、と深々とため息をつく静。ちなみに、話をする前に着替えさせて貰ったので、ミノルも大空も制服姿に戻っている。
「で、陛下が完敗した、と。……なかなかイジワルな勝負を仕掛けるじゃないですか。貴方らしいですよ、大空」
「だってー、そうでもしないとミノルくん、気づかないじゃん。今後ぜーったい相手、フェアな勝負なんかしてくれないよ?」
「確かに」
むしろこれ自分で気づくべきだったよな、とミノルは頭が痛くて仕方ない。
というのも魔女の
よく考えれば泰輔の時もそう。ミノルがサッカー経験者だと泰輔が知らなかったせいで実力が拮抗したが、もしこちらがズブの素人だったら手も足も出ずに終わっていたはずだ。魔法の名手である静が一緒だったから、多少の抵抗はできたかもしれないけれど。
「結局、大空は勝利して陛下に何を望んだんです?その様子だと、継承しろ、ではなかったようですが」
「『ノッカドウ』の一番高いバケツアイス買って貰うことにした!あれ高いから、僕のお金じゃ買えないんだよねー」
「あ、はは……」
どうやら、大空がミノルに要求したのはソレ、ということになったらしい。これは、後で本当に買わないとダメなやつだ、とミノルは顔をひきつらせた。
ノッカドウ、はアルカディアの敷地内にあるスーパーだったはずである。緑の看板に双葉のマークが目印だと静が教えてくれた場所だ。この様子だと本当に高いのだろう。――校長からお金は支給してもらったが、果たして足りるのだろうか。価格を見るのが恐ろしいのだが。
「静、ごめん。俺……危機感、本当になかったみたいだ」
ミノルは改めて、静に頭を下げた。
「最初の勝負でわりとあっさり勝てたせいか、結構なんとかなる気がしちまってた。今回、大空との勝負で賭けたもの、性格には『勝った方が負けた方になんでも一つ言うことを聞かせられる』ってやつだったんだ。だから俺、大空の目的もわからなかったし……何を命令されるのかもわからなくてびびってた」
「そうじゃなくちゃ意味ないからね」
大空は肩を竦める。
「死ぬかもしれない、ってくらい緊張感持って勝負してほしかったんだよ。実際、今後はそういう輩も出ないとは限らない。負けたら貞操を奪われるどころか殺される、そういうゲームも充分あり得る。この学校にはいろんな思想のヤツがいるからね。それこそ、魔王ってものに関して過激な考えを持ってる奴もいるんだから」
まったくである。みんなの反応を見ていればおおよそ想像はつくのだ。
初日、ミノルを見てやれ地味だの、魔法は使えるかだの、魔王の自覚はどこまであるかだのやたら興味津々に言ったり聴いたりしてきた者が後を絶たなかった。それはつまり、それだけ魔王という存在が注目されており、多かれ少なかれ憧憬と畏怖を集める存在だということなのだろう。
ならば、憎まれたり、解釈違いで暴走する奴だっているのではなかろうか。
場合によっては「自分を継承者に選んでくれない魔王なんか殺す!」みたいな発想に走る奴だっているかもしれない。
これからは、命がけの勝負をさせられる可能性も考えておくべきだろう。
「それに、今回僕がやったみたいな騙し討ちだって充分やってくる奴はいそうだし?……静くんが散々駆けずり回っているのに、ミノルくんが迂闊なせいで罠にハマってたら意味ないんだから」
「ああ。……この一週間、比較的平和だったのはそういうことなんだよな。静、ありがとう」
「それは……まあ。大したことではありませんから」
静は困ったように笑って視線を逸らした。あまり触れられたくないことなのかもしれないな、と察する。
恐らく、危ない人間を排除するために、あまり手段は選んでいられないのではないか。そういえば、急に退学になった人間がちらほらいる、と噂では聞いている。アレもそうだったのかもしれない。
「それに、いろいろ学んだよ。大空とやったゲームについてはさっき説明した通りなんだけどさ。まさか泳がなくてもいい、なんてルールの隙には気づかなかった」
ミノルはプールの高い高い天井を仰いだ。
「そういう隙があるからこそ、魔女の
「そうですね。極端に互いの勝率が偏るような勝負はできないはずなんです。五條も、ゲームが成立した時点でそれに気づけばいいのに、なかなか馬鹿だなあって思ってました」
「あ、相変わらずズケズケ言うなオマエ……」
同時に、仕掛ける側も工夫が必要だ、ということである。
さっきの大空は、〝実はプールサイドを走ってもいい〟というのをバレないようにすることで自分に絶対的優位な状況を作り出していた。ルール説明は公平性を期すために必要だが、質問されない限りは全てを語る必要はない、ということなのである。
よくよく考えれば、五條泰輔と戦った時もそう。
ルールとして説明されたのは、先に二点先取すればいい、選手は二人だけ、キーパーなし――などなどの最低限のもののみ。魔法を使って相手を妨害してはいけない、なんて一言も言わなかった。
結構狡いとは思うが、挑まれた場合はその狡さも計算に入れなければいけないのである。
「練習、した方がいいのかな。いろんなゲーム」
ミノルがぽつりと呟くと、「そうでしょうねえ」と静が頷いた。
「なんなら、貴方が〝挑む側〟でも練習するべきかもしれません。意外とそちら側も難しいものですよ。同時に、面白くもあります」
「面白いの?」
「はい。そもそも陛下相手の場合は〝継承者を決めるため、陛下に自分を選ばせるため〟に勝負を挑んでくる人間が大半でしょうが……無関係の者がこの魔法を使ってもなんら問題ないのですよ。それこそ私と大空で勝負をしてもいいわけです。なんなら冷蔵庫にあるケーキ賭けるとか、しょうもない理由でも」
「なるほど。……そうか、ゲームで誓った勝利条件は絶対適用されるから、相手に要求を確実に通したい時には……他の理由でも色々使えるわけか」
「はい。だから乱用する輩がたまにいて、問題になるんですけどね」
なかなか奥が深い話だ。やっぱり、暫くは練習に徹した方がいい、ということなのだろう。
元の世界に戻った時に時間を調整してくれるそうだから、まだまだここで過ごしても問題はないはずである。現代日本の家族や友人に会えないのは心細いし、家に帰れない不安もなくはないけれど、まだホームシックになるほどじゃない。
できる限り、全力で努力をしてみよう、と思う。
静が本当に自分のことを好きかもしれないなら尚更に。
――ていうか本当にこいつ、俺のこと好きなのか?……大空が俺に勝負挑んだって想定してここまで来たんよな?それにしては、あんまり慌ててなかったような。
大空のことだから、自分を揶揄っただけの可能性もゼロではないのが問題だ。ミノルは涼しいようにしか見えない静の横顔を見つめて考えてしまう。
もし――もしも本当に、彼が自分に恋愛感情を向けていたならば?自分は、静に対してどう対応すればいいのだろうか。大空に言われるまでもなく真剣に応えるつもりではあるが、そもそも。
――……そうか。俺、本当に……恋ってしたこと、ないんだよな。
幼稚園、小学校、中学校、高校。
可愛い女の子に盛り上がったことはあったし、かっこいいスポーツ選手に憧れたこともあった。ちょっとエッチな動画とかをこっそり見てオカズにしたこともあるし、友達と下ネタで騒いだことだってある。ごくごく普通の男子高校生だ、自分ではそう思っていたけれど。
この子が好きだ、みたいな。まるで電撃が走ったような恋なんて、今までしたことがないのだ。
好きなやつはたくさんいた。憧れた人もいた。でも結局それは友情とか憧憬の範囲で、多分恋愛感情ではなかったと思うのである。
だから、静に好かれているかもと言われてもピンとこないし、自分がどう考えているのかもなかなか答えが出ないのだ。恋ってなんだろう、なんて。まさか自分が少女漫画のヒロインみたいな悩みを抱えることになるとは、思ってもみなかったが。
――大空はあるのかな、誰かをマジで好きになったこと。つか、こいつは結局ストレートなんか?バイなんか?ゲイなんか?……なんかどれもありそうなのがアレだな。
もだもだもだもだ、と考えているミノルをよそに、「ねえねえ!」と大空が声をかけてくる。
「ていうかさ、結局部活はどうなるわけ?泳ぐの結構楽しかったならさ、水泳部入ってよー。さっき着た水着は君のものにしていいからさー」
「え、ええ?そ、そりゃ泳ぐのは嫌いじゃないけど、でもそんな上手じゃないし」
「最初から超絶上手い人なんかいないの!サッカーでも同じでしょ?最初は素人!そこから練習して上手くなればいーの!」
「そ、そりゃそうかもだけど」
そういえば、元々そういう名目でここに来たんだった、と思い出す。結局、全ての部活を回ることができたわけでもない。この際文化部も見るべきかと悩んでいたが、サッカー部への未練も完全に断ち切れたわけではなく――。
それはそれとして、特定の部活に所属したら大会とかで面倒なことになるような気がしないでもなく。
「部活やってる時間あります?そろそろ、記憶を取り戻すための魔法の練習とかも始めないとまずいですよ?」
そして、静が結構もっともなことを言う。ううううう、とミノルはその場で頭を抱えてしまった。
どうしよう。ひょっとして、自分がやらなければいけないこともやるべきことも山積みというやつなのではないか。のんびり不思議な学園生活を満喫する、なんて暇はないのでは?
――ど、どうしよ。
とりあえず頭を乾かした方がいいようだ。
ミノルは盛大なくしゃみをして、やっとそれに気づいたのだった。