自分はこれからどうなるのだろうか。
友達だと信じていた。しかし大空は、こうしてだまし討ちのような形でミノルを連れ出して勝負を挑んできたのである。必ずそこには、なんらかの思惑があると見て間違いない。
そしてその思惑は、高い確率で継承者に自分を選ぶように、というもので。
継承者に選ぶということはつまり、大空と寝る、ということで。
――それで、いいのか?
今、ミノルに好きな相手などいない。元の世界でもそうだし、この世界でも誰かを好きになれるほどみんなと一緒にいるわけでもない。ましてや、長らく己はストレートだと信じてきた人間だ。男ばかりの環境で、本当に好きな相手を見つけるのは極めて困難なことだろう。
ただ。
『君が、心から好きになった人、認めた人を選ぶのだよ。……この学園にいる生徒たちを、充分に吟味してくれたまえ。そこにいる、千堂静くんも含めてな。そして、その人物と相思相愛になればいい。どうだ?』
思い出したのは、校長である千堂の言葉だ。
あの時自分は躊躇ったものの、彼の言葉である程度は納得したつもりだったのである。己が一番嫌なのは、好きでもない人間と体を重ねるような不健全だと(そう認識している)行為をすることだった。男相手という以前に、例え女性相手でもそれだけはしたくないという道徳心があったのだ。
だから、好きな相手ならきっと、満たされた気持ちでセックスもできるのだと。
本当に好きになった相手と、そういうことをすればいいのだと。でも。
――このまま大空がそれを命じてきたら……俺は、このまま大空と、そういうことを、するしかなくなる。まだ自分の恋愛感情とか、全然そういうのわかってねえのに。
大空のことが嫌いなわけではない。
むしろ彼は可愛い顔をしているし、小学生じみた見た目からちょっと罪悪感はあるが――それを抜きにすれば、抵抗の少ない見た目であるのも間違いないだろう。ネコができるかはともかく、タチならば多分イケる、とは思うのだ。
それでも、何でこんなにも今、己はショックを受けているのだろう。それは嫌だと、こんなにも強く思うのは何故だろう。
彼を恋愛的な意味で好きではないと、そう確信しているから?あるいは、何か別の理由があるからなのか?
『私は、全然平気です。貴方なら……抱かれても』
――なんで?
『嫌ですか?私相手では』
――なんで、あいつの……静の顔、思い出しちまうんだよ。
まだ、好きだと思っているわけじゃない。きっとそうだ。いくら彼が美人でも、一緒にいた時間が短すぎる。ミノル自身、一目惚れなんてものを信じているわけでもない。運命の相手なんて、この世でそうそう見つかるわけもないと考えているから尚更に。
なのに。
――なんで、泣きたくなってるんだ、俺。
気づけばミノルは水着姿で濡れたまま、プールサイドで土下座をしていた。
「……大空、頼む」
「なにを?」
「……お願い事。……継承者の権利を渡せっていうのは、やめてくれ」
「なんで?」
土下座しているので大空の顔は見えない。でもきっと、不快には思っていることだろう。
本来、負けたのはこちら側だ。ミノルの方が何かを頼むのは筋違いである。全ての要求を通す権利は、あちらにある。そんなことわかり切っているのだ――しかし。
「俺に、お願いする権利なんかねえ。お前がどうしてもって言ったら拒めねえ。でも、でも……俺は、お前にも事情があるんだとしても俺は……!」
正直、まだ真剣に考えていなかったのだ、と思い知る。
この世界にやってきて、魔王だと言われて。継承者を選ぶために生徒の誰かとセックスをしなければいけないなんて言われても――イマイチピンと来ていなかったのは確かなことなのだ。
だってそうだろう。あまりにも現実感がない。
日本語が通じる、日本人っぽい名前の人達に囲まれて。ちょっとお洒落な学生生活を楽しむみたいな、それくらいの感覚になっても仕方ないではないか。確かに魔法は見た。魔法によるゲームもした。でも結局勝ったせいでペナルティを受けることもなくて、それで。
――殺されるかもしれない。……大事なものを奪われるかもしれない。それがこんな、怖いことなんて思わなかった。
男なのに、そんな貞操観念が強いなんておかしい、と言われるかもしれない。でも、やっぱり自分も一人の人間として、守べきことは守っておきたいと思ってしまうのだ。
「俺は……セックスは、本当に好きな人とだけやりたい。俺はまた、本物の恋とか全然わかんねえんだよ、ガキだから!そういうのも分かる前に、半端な気持ちで誰かと体を重ねるようなことしたくねえ。たとえそれが、必要な儀式だとしても……!」
「甘ったれてると思わないの?儀式の方法として絶対しなきゃいけない。みんなに君は狙われてる。一週間過ぎたのにまだその危機感がなかったわけ?」
「なかった!ああ、なかったよ、本当に馬鹿だって思う。好きな人を見つけてそいつを選びたいなんて、お前らの常識からそりゃ甘えてるし悠長なんだろうさ。けど俺は……俺自身が大事だと思ってることを、そういう気持ちを捨てたくないんだ!」
何故こんなに強くそう思うのか、わからない。
ただ、少なくともきっと。
――きっと……あいつは悲しむって思うんだ。
ミノルが安易な選択をしたら、静を悲しませてしまう、傷つけてしまう。
正直それがとても、とても悲しいことに思えてならなくて。
「君のそのお願いを聞くメリット、僕にある?僕だって、継承者になるためにずっと頑張ってきたんだけど?」
「わかってる」
ミノルはがばりと顔を上げる。呆れた様子でこちらを見る少年と目があった。
「わかってんだ、そんなこと!お前にどんな事情があるのかとか、詳しいこと何も知らねえし。これは我儘だ。メリットとか、言うことを聞いてもらったらナニしてやれるとか、そういうことも今思いつかない。だからただ、こうやって土下座して頼むしかできないんだ。……お願いだ」
「みっともないと思わないの?……じゃあ何?他のことならマジでなんでもするわけ?靴を舐めろって言われたら舐めるの?」
「舐める!」
「裸で校庭走れって言ったら?」
「やる!」
「僕の目の前で一人えっちしてみせろーとか言われても聞くの?」
「や、やる……!」
「……本当に馬鹿じゃん」
はあ、と彼は深々とため息をついた。そして、ピン!とミノルの額の中心を人差し指で弾いてみせる。デコピンだった。
「うぐっ!?」
意外と痛い。ミノルは額を押さえて呻くことになった。
「それくらいの覚悟を、最初っから持っておいて欲しかったよ……僕は」
やがて。大空が呆れ果てた声で言った。
「あのね。確かに君はよその世界から強引に連れてこられた身で、理不尽に思うことたくさんあるんだと思うよ。僕達この世界の奴らや、学園や、校長や……その他もろもろを恨みに思う権利はあるんじゃないかな。でもね。……こういうことになってしまった以上、君はそれを受け入れて頑張るしかないの。与えられた役目の中で精一杯、自分できることを探すしかないんだよ、分かる?でもって……自分の身は、自分で、覚悟を決めて守るしかない。男でしょうが」
「……わかって、る、それは」
「わかってなかったからこんな事になってんだからね?……君がそうやって能天気で平和ボケしてるせいで、静くんが一人でどんだけ奔走してると思ってんの。はっきり言うけど、この一週間君に勝負を挑んでくる奴らや闇討ちしてくる奴らがいなかったの、どう考えても静くんが全部露払いしてたせいだからね?君が見てないところで、さ」
「…………っ」
やっぱり、そうなのか。ミノルは唇を噛みしめる。静はいつも涼しい顔で自分の傍にいた。困ったこと、気になること、全部尋ねれば教えてくれた。
間違いなく守られていたのだろう。ミノルが気付かないところで、ずっと。
「君は、魔王だ。その力を誰かに継承し、魔族を守る義務がある」
大空はきっぱりと言い切った。
「好きになった人とだけセックスを、儀式をしたい。その我儘を本気で通すなら、相応の覚悟が必要なんだよ。そして、今日僕に絶対負けちゃいけなかった。わかってるよね?」
「……ああ」
「同時に、助けてくれる人、守ってくれる人に……これ以上、辛い想いなんかさせちゃいけない。僕が今日君に勝負を挑んだ最大の理由は、ちょっと怒ってたから。……静くんの、友達として」
だからね、と彼は続けた。
「僕のお願いは一つ。いつか……いつか静くんが本気で、君に想いを伝える日が来た時。真剣に、本当に真剣に考えて向き合ってあげて欲しい。……いい加減な対応したら、僕が君を殺すからね」
「え」
その言葉は、あまりにも意外なものだった。それも、複数の意味で。
「お、お前……このゲームの勝利報酬、それで……いいのかよ」
同時に。
「静が、俺のことを……?」
「少なくとも僕はそう思ってる。静くんは、君が好きだよ」
「なんで?まだ会って一か月なのに……」
「わかんない。一目惚れなのかもしれないし、他にも理由があるのかも。ただ、静くんは君が大事だからこそ自分から君の護衛を買って出たし、穢れ仕事も引き受ける覚悟をしたんだと思う。だから僕は友達として君に、その覚悟を踏みにじるような真似してほしくないわけ。わかる?」
「大空……」
ここでようやく、ミノルは理解した。大空は最初から、ミノルに継承権をよこせなんて言うつもりはなかったということが。ただミノルに、本当の意味で覚悟をしてほしかった。危機感もなく、能天気がすぎるミノルの尻をひっぱたくために、憎まれることも覚悟で騙し討ちのような真似をしたのだということが。
最初から彼は自分と、静のために。
「……ごめん」
紫色の世界が砕けて、元の色を取り戻していく。視界がじわりと滲むのを感じた。
自分の愚かさが、あまりにも腹立たしい。同時に、そこまで心配してくれる人がいたことを嬉しく思う自分もいるのは確かだ。
正直ずっと不安はあったのである。この世界には知り合いが一人もいない。見知らぬ世界の、見知らぬ常識で生きる者達に囲まれて、本当に役目を全うすることができるのか。結局孤立して終わるのではないのか、と。
そうでは、なかった。
自分は間違いなく――独りぼっちなどではなかったのである。
「ありがとう。ほ、本当に……ありがとう、ありがとう……ありが、とうっ……!!」
「もう、ほんとばーか。高校生の男がそう簡単に泣くんじゃないっつーの!泣き虫ミノルーみっともないぞー!」
「う、うるせえ……」
その時、どこかでドアが開くような音がする。はっとして振り返れば、校舎に繋がるドアを開けて駆け寄ってくる静の姿が。
「陛下!なんでこんなところにいるんですか!」
まずは、彼に謝らなければ。
ミノルが最初に思ったのはそれだった。