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<23・校長室の前で嗤う悪魔、プールで踊る誰かさん>

 なんとなく気配がするな、と思っていたら。


「何の用ですかね、五條」


 静はため息をついた。校長室の前で、五條泰輔が立っていたからだ。

 確かに、静が五條泰輔にかけたルールは『二度とミノルにちょっかいかけるな』である。普通に話すだけならルールに抵触しないし、なんなら静へ危害を加えることも禁止はされていないが。


「……おい静。てめえ……」


 泰輔の顔色は、すこぶる悪い。これはもしや、と静は手をぽん、と叩く。


「知りませんでした、校長室のドアと壁、結構薄いんですね。これは校長先生にちゃんとお話しておきませんと。ドアの前で立ち聞きなんてする不埒な輩が、今後も出ないとは限りませんし?」

「うっせえわボケ。相変らず毒舌絶好調すぎるだろ。……ってそうじゃねえよ。マジだったわけか、北一と南一をズタボロにしやがったってのは。あいつらがパニクって話してきた時、幻でも見たんじゃねえかと疑ったんがよ」


 ずい、と顔を近づけてくる泰輔。


「とんだタヌキ野郎だぜ、てめえはよ」


 その眼の奥にあるのは強い疑心と怒り、それから――隠しきれない恐怖。


「涼しい顔して、人を殺すことも拷問することも厭わないってわけか。確かに、俺様が弱ったタイミングで、槇村派が手を出してこないどころか……いつの間にかいなくなってたことはおかしいとは思ってたけどな」

「彼らは『退学』になった、それだけのことです。陛下を殺そうとしたのですから当然の報いでしょう?」

「とんでもねえ野郎だぜ。……つか、最初の勝負の時も違和感があったんだがな、正体にやっと気づいたわ」


 怒気を孕んだ声。しかし、その肩がかすかに震えているのは誤魔化せない。


「てめえ……その気になれば、俺様が魔女の夜会サバトを発動する前に、魔法で攻撃することもできたな?つーか、俺様の行動にも気づいていて見逃したんじゃねえのか」

「はて、何のことでしょう」

「とぼけやがって。ようは俺様と戦うことで、あのクソ野郎が成長できるとか、記憶を取り戻せるとか踏んでたわけだ。俺様はうまく利用されたってのかよ」


 ふざけんじゃねえ、と低く呻く泰輔。


「つまりアレだ。俺様があいつに勝てねえと最初から考えてたわけだ。ナメやがって、くそが」


 少しだけ、静は驚いていた。ここで殴りかかってこないこと、それから静の思惑に気付いたこと。脳みそ筋肉タイプの男かと思っていたが、思ったよりも冷静で聡明らしい。


「陛下の……異世界でのデータは、全て取り揃えておりますから。場合によっては、陛下自身が知らないことさえ私は知っていますからね」


 相手にする必要は、本来ない。

 だからこれは、静なりの泰輔への礼儀だ。


「サッカーの力量も、司令塔としてのスキルも、全て把握しておりました。そして、貴方が挑んでくるとしたらサッカーになるだろうということも織り込み済み。あの方が負ける要素など1ミリもありません。万が一の時はちょっと私がしゃしゃり出ればいいだけのこと。……あの方の最初の踏み台に貴方は相応しい。実際、そうなったでしょう?」

「この野郎……!」

「殴りたければご自由にどうぞ。でも今度は、教室の時みたいに優しくはしませんよ」


 自然と笑みがこぼれる。静は、己の美貌が武器になることを自覚していた。そして、その自分が嘲り笑うだけで、時に相手に絶大な圧力を与えることも。


「貴方の手足でダルマ落としをして差し上げましょうか。それとも、氷漬けにされて叩き折られるのがお好みですか?ああ、生きたままじわじわと炎で嬲りつくされるのも、なかなか味があっていいですよね。あるいは何度も溺死させて蘇らせて差し上げることもできますけど、どうです?」

「う、ぐぐぐぐう……!」


 泰輔の顔色が紙のように白くなる。けして脅しではない、ということはわかっているはずだ。彼も実際、舎弟だった兄弟から拷問の様子を聞いている。静が彼らを生かして返したのは、この泰輔への見せしめが必要だったからに他ならない。

 己が悪魔であることを、静はよく理解している。けして天国に行くことなどできないだろう。なんなら、地獄に堕ちて永遠に魂ごと焼き尽くされ、消滅する運命なのかもしれない。

 それでも、良かった。

 今の自分にとって最も大切なものは一つ。それを奪い、壊そうとする者に一体どうして容赦などする必要があるだろうか?


「大人しくしていていただければ、私からは何もいたしません」


 ふふ、と静は笑って、人差し指を唇に当てた。


「だから、ね?貴方も……今聞いたことは秘密にしておいた方が賢明です。五体満足で長生きしたいでしょう?」


 泰輔は、もう何も言わなかった。その場でショックを受けたように崩れ落ちた男を置き去りにして、静はゆうゆうと歩き去っていく。

 さて、思ったよりも時間がかかってしまった。

 ミノルが教室で大人しく待っていてくれればいいのだが。




 ***




「お、おおおおお……!」


 思わず感嘆の声を上げるミノルである。

 それは見事な二十五メートルプールだった。窓の外からの光を浴びて、キラキラと水面が光っている。全部で十レーン。カラフルなロープと、天井に掲げられた三角形の旗がなんとも可愛らしい。

 プール再度には青くて細長いベンチが置かれており、奥にはビート版などの補助具を入れた棚もあるようだった。小学生の時には泳げるようになったので、ミノルにとってはかなり懐かしい道具である。他にも、足につけるヒレとか浮袋のようなものが棚からちらほら覗いている。

 そして何より驚いたのが、プールに誰もいないこと。つまり、貸し切り状態だったのだ。


「すげえ、綺麗。広いし。……奥にもう一つプールある?」

「あるよー!」


 のほほん、と大空が言う。競泳用のプールと、奥にもう一つ飛び込み競技用のプールがあったのだ。少し距離があるが、飛び込み台の高さは相当なものらしい。天井が高いからこそ成立するものである。

 というのも、このプール、実はプールとその関係施設だけで建物を一つ使っているのだった。初日に散歩した時に、東校舎の奥に白い円形の建物があるなと思っていたが、それがプール施設だったというわけらしい。


「僕は飛び込み競技はやってないんだけどね。うちの学校、凄い選手もいるんだよー」


 えっへん、と大空が胸を張る。


「あのプール、5メートルも深さがあるんだ!前に飛び込みで使って無い時に潜らせてもらったけど、結構スリルあって面白かったなあ」

「まあ、飛び込み競技のプールが浅いとダメだもんな。オリンピックだと、水深3メートルのプール使ってるんだっけか」

「あ、君達の世界でもオリンピックってあるんだ?いいよね、スポーツの祭典。まあ……」


 そこまで語ったところで、少年の顔が少しだけ曇った。


「最近は……魔族のチームは国の代表にするなとか、不利な採点をされることがあるとか……いろいろ問題は起きてるんだけどねえ。少なくともオリンピックの審査員、絶対魔族は採用されないしね……」


 こういうところにも、人間と魔族の対立の影響は出ているらしい。ミノルはじっと大空の顔を見る。こうして見ていても、彼の容姿に特別な点は見つけられない。ゲームに出てくる魔王のように角が生えているとか耳が尖っているとか、ドラキュラのように牙が鋭いなんてこともなさそうだ。

 はっきり言って、見分けがつく気がまったくしない。

 それなのに人間達は何故、魔族というだけでこうも差別しようというのか。


「……理不尽じゃねえか」


 思わず、ぼやいていた。


「魔族と人間、何が違うんだよ。魔法が使えるかどうか、くらいの差しかないだろ?真っ当な魔族の選手だって一般のスポーツで、魔法使ってズルしようなんてしないはずだ」

「本当にね。でも、気持ちはわかるんだ」

「なんでだよ」

「簡単さ。……武器を持っている相手は、怖いんだよ。丸腰の人間にとってはさ」


 くい、と大空が銃を構え、引き金を引くようなポーズをする。


「例えば、銃を腰からぶら下げている人間が向こうから歩いてきたとする。相手に敵意があるか、ないかは不明。ミノルくんならどうする?」

「どうするってそりゃ……道を変えるとか?顔を合わせた途端にズドン!ってやられるかもしれないし」


 と、言ったところでミノルも気づいた。

 この世界の人間たちにとっては、つまり。


「……銃は普通、取り外して、家に置いておくこともできる。でももしその銃が、人の手にくっついていて取れないものだったら……ってことだろ。それがつまり、魔法なんだと」

「そういうこと」


 はははは、と大空は乾いた声で笑った。


「魔族は、魔法を使える。君もちょっと授業でやったから知ってるだろうけど、風とか炎とか氷とか……とにかくバリエーション豊かな攻撃魔法がたくさんあるんだ。でもって、必要なものは魔力と呪文だけ。人間は素手だったら飛んでくるのはパンチやキックくらいだけど、魔族は魔法が飛んでくる。優秀な魔導士は、たった一人で国一つ破壊できてしまうんだってさ」

「だから、魔族がそこにいるだけで攻撃されるかもしれなくて、怖い……と?」

「そう。……攻撃しようとしなければ、しない。嫌われたり、酷い目に遭わされたりしなければ反撃だってしない。そんなの、人間も魔族も同じだってのにさ」

「…………」


 言葉が出なかった。それは、犬が人間と親しくしているのと同じ理屈だ。

 大半の犬は、その気になれば人間の手くらい噛み千切れるほどの鋭い牙を持っている。にも拘らず、多くの犬が人を噛まない。むしろどこまでも仲良くしてくれようと努力する。

 それは武器があっても攻撃しない選択ができる、それが知性を持った生物だという証明だ。犬が人を意図的に傷つけるのはそういう訓練をされた時か、命の危険を感じるような目に遭った時くらいなものだろう。


「……でも、高校生の水泳大会はちゃんとあるんだ。僕達も参加できるんだよ!」


 暗い空気になってしまったのを感じたからだろう、にっこりと笑って言う大空。


「ねえ、せっかくならミノルくんも泳いでいこうよ。新品の水着、部室にストックされてるんだ。タオルとかも用意できるし、どう?」

「まあ、興味ないわけじゃない、けど、でも……なんで誰もいないんだ?」

「そりゃ、今日が部活休みの日だからだよ、ミノルくん」

「え」


 部活が休みなのに、何故ミノルをプールに連れてきたのだろう。ミノルの思考がフリーズした、その時だった。


「発動。……〝魔女の夜会サバト〟」


 大空がニヤリと笑って呟いたのだ。


「ごめんね、ミノルくん?今日は……僕と遊んでよ」


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