校長へ、定期的に報告することは必須だ。
だから今日の校長室の呼び出しも同じ用件だと思われた。
「五條泰輔の最初のゲームから一週間過ぎましたが」
静はまっすぐ京堂の目を見つめて言う。
「あれから、他の生徒が陛下に手出しをしてくる気配はありません。少なくとも、表立って勝負を挑んだ者はいないです」
「なるほど。平穏無事、というわけか」
「はい。そういうことになっています」
何故〝そういうことになっている〟なんてぼんやりとした言い方をするのか。これにはもちろん事情があった。
というのも、実はミノルに手を出そうとした人間がいなかったわけではないのである。特に、この学園にいる不良と呼ばれる一部の人種。彼らの中には、五條泰輔へ忠誠を誓っている者もいれば、逆に反発している者もいた。
ボスがゲームとはいえ倒されたことでリベンジを誓っていた者も、泰輔が失墜したなら自分達の出番だと息巻く者も目的は同じである。ミノルを叩きのめして、とにかく悦に浸りたい。あわよくば継承者の地位を狙いたい。実際、そういう輩がミノルの周辺をちらほらとうろついていたのだ。
何故、そいつらがミノルの前に姿を現さなかったのか。
決まっている。――自分が秘密裏に処理したからだ。
「五條泰輔はヤンキーでしたが、魔女の
はあ、とため息をつく静。
「私個人の感情はともかく……この学園の目的は魔王陛下の継承者を見出し、同時にそれを補佐する優秀な魔王軍を育てることにあります。最も避けるべきことは、継承者が〝生まれない〟状況になってしまうこと。……それこそ、継承する前に陛下が死んでしまったり再起不能になってしまったりしたのでは、次の魔王を生み出す道が完全に途絶えてしまいますから」
「その通りだ。……一方的に、ただ暴力をミノルくんに向けようとするような輩は排除しなければいけない。……残念ながら、そういう者がちらほらいたということらしいな」
「ええ」
既にデータは送ってあるので、新たな資料は必要ない。静は淡々と京堂に報告する。
「三年二組の
筋骨隆々のヤンキーが三人。もし、これが肉体だけの勝負だったならどうにもならなかったことだろう。
しかし実際は、静は黒魔法の名手である。自分の魔法に勝てる人間はそうそういないということも自覚している。元より他の生徒たちより発動のタイムラグは少ないし、補助具をつければそのラグをさらに減らせることも知っている。
まあようするに。
ミノルを陰でこそこそ狙う馬鹿どもを背後から吹っ飛ばすくらい、なんら訳の無いことなのだ。
「騒ぎにもしていません。元々学園で嫌われていた連中です、気にする者もいないでしょう」
「……わかった。彼らは〝退学〟処理にしておく」
「話が早くて助かります。それと、つい昨日のことなんですが。……こちらは五條泰輔の舎弟ですね。三年三組の
まったく、忌々しいといったらない。
ミノルがコンビニから出てきたところを、よりにもよってナイフを持ち出して強襲しようとしていたのだ。だから、静が裏手に引きずり込んで処分した。雷魔法をうまく使えば、相手にほとんど傷を負わせることなく、激痛だけを浴びせることも可能なのだ。
『あがが、ががががあっ……!』
びくびくとまな板の上の鯉のように体を痙攣させる兄弟。顔から出るものを全部出しつつ、濁った眼でこちらを見上げていた。
『せ、千堂静……て、てめえっ……!』
『口を開くなと言いませんでしたか?ゴミはゴミらしく、おしっこ漏らしながら地べたを這いずり回っているのがお似合いですよ。〝Thunder〟』
『んぎっ!?』
『ぎゃあああああ!いでえ、いでえよおおお、ぐお、おおおおお!!』
バチバチバチバチ、と金色の火花が散る。雷属性の魔法で痛覚神経を刺激されるのはさぞかしハードな体験だろう。排泄物の臭いが漂った。どうやら自分が言った通りになったらしい。なんとも滑稽な話である。
『臭ぇ息すんじゃねえよ、ボケが』
静は兄の北一の髪の毛を掴むと、至近距離で睨みつけてやった。
『金輪際、陛下に近づかないでくださいね。次は……手足全部切り刻んで、ダルマになって死んで頂きますから』
『あ、あああ、ああああ、ひいいいっ……!』
こくこくこく、と壊れた人形のように首を縦に振った兄弟。彼らは生きてはいるが、まあ相当なトラウマになったのは間違いない。流石にあそこまでやって、反抗する気力は残っていないだろう。というか。
「彼らには〝自首退学〟するように仕向けてください。もうすでに五條泰輔と接触して全て話していそうですが、それもそれで一興。武闘派で有名なあの兄弟があっさり折れたともなれば、五條への牽制になるでしょうから」
「牽制か。……泰輔くんは、魔女の
「残念ながら抜け道はありますから。本人でなくても、彼に命じられた第三者が余計な真似をしてくる可能性だってありますしね。何にせよ、釘を刺しておくに越したことはありません」
「なるほど」
我ながら、過激な真似をしているのはわかっている。実際、京堂に命じられたのは「ミノルの生命を脅かすような輩を排除しろ」であって、どのような排除方法をしろなんてのは一切命令されていないことなのだから。
それでも攻撃的なやり方を取る理由は一つ。
生命の危機、その本質的な恐怖こそ――最も他人の行動を縛る枷となり、抑止力として効果があると知っているからである。
――まあ、個人的に怒りがある、というのも事実ではありますけどね。
自分は、何がなんでもミノルを守らなければいけない。
例え最後に選ばれるのが自分でなかったとしても、彼があんなゴミのような連中のせいで傷つけられるようなことなんてあってはならないのだ。
「安心してください、京堂校長」
静はにっこりと微笑んでみせる。
「この千堂静。必ずや陛下を最後までお守りし……次の魔王の継承者へと繋げてみせます。ええ、何があっても……絶対に」
そんな自分の苛烈さに、校長は何を思っているのだろう。その眼の奥に滲む苦悩の色からして、何もかも納得しているわけではなさそうだ。
それでも一切静を叱らないのは、それが必要なことだと彼も理解してくれているからだろうが。
「……君も、難儀だな」
はあ、と彼は深々とため息をついた。
「ミノルくんの様子はどうだね。……儂も、先生たちから聞き取りは続けているが、君が一番近くにいるだろう?記憶は?」
「残念ながら、まったく戻っている様子はありません。過去の記憶の夢は見ているようですけど、それはあくまで夢、という認識みたいで」
「自分のことだとは思っていない、と」
「まるで映画を見ているような感覚なんでしょうね。……そのズレがいつ、どのようにして修正されるかは全く未知数です。最悪、このままという可能性もあります。もちろん、それでは継承することが不可能ですから、そうならないようにあらゆる手は尽くすつもりですが」
そもそも、命の危険やマナー違反をしない限り、生徒たちがミノルに勝負を挑むのを止めないのはそういう理由もあると知っている。つまり、バトルやゲームを繰り返すことで、ミノルが成長し記憶を取り戻してくれる可能性もあると考えているわけだ。
静としては頭が痛いことではあるが、理にかなっているというのも理解している。
どっちみち記憶と力が戻らなければ、ミノルは元の世界に帰ることもできないのだから。
「今の彼にとっては……魔王ルカインの記憶はまだ他人事であると同時に、辛いものであるようです」
ゆっくりと首を横に振る静。
「無理もありません。数百年前の戦争は……それこそ、史実では語られないような酷いことがたくさんありましたからね。普通に生きてきただけの高校生には耐えられないことも多いのでしょう。本当は、苦しいことや恐ろしいことばかりではなかったはずなのに」
「静くん」
今度はじっと、千堂の方が静の目の奥を覗き込むように見つめてきた。
「後悔は、ないかね」
「何を後悔するんです?」
「自ら、彼の護衛を買って出たことだ。……儂は朴念仁だなんだとカミさんにも揶揄われるような男だが、それでも想像くらいはつく。今の彼の傍にいるのは、君にとっても辛いことなのではないか……ということくらいは。もし辛いと思ったなら、そう言ってくれ。誰かと役目を交代させることくらい、儂にもできるからな」
やはり、心配されてしまっているのだろう。影で邪魔者を排除する、という穢れ仕事。そして静自らが護衛を名乗り出た本当の理由。
不安がらせる材料はいくらでもある。そんなことはわかっているけれど、でも。
「問題ありません。……もうとっくに、決めたことですから」
迷うことはない。その必要もない。
だってそうだろう?
「これからもよろしくお願いします、校長。私も全力を尽くしますので」
地獄なら見飽きるほどに見た。ならば今の状況など、生ぬるい温泉のようなものではないか、と。