ミノルの話を、静は黙って聞いてくれた。彼にとっても、あまり愉快な話ではなかったはずだというのに。
「……今から何百年も昔のことです」
静は窓に寄りかかり、静かに告げた。
「その頃はまだ、魔族を可能な限りジオンド共和国に集める、なんてことはありませんでしたからね。この国の外にも、多くの魔族達が存在していました。特にアメリスト連邦には多かったようです」
「俺の前世の……ルカインだっけ。そいつもアメリスト連邦の人間だったか。だから名前がアルファベットなんだよな?」
「そうです。ちなみに、あなたの世界でもそうだったのかもしれませんが……この国のように、平仮名と漢字とカタカナを全て使っている言語は他にありません。多くの国がアルファベット、あるいはその変形。一部の国は漢字だったり、ハングルだったりもします。……まあ、そのへんはこの間の歴史の授業でやりましたよね?貴方が寝ていた可能性も否定はできませんが」
「お、覚えてるよ。起きてたってば。歴史についてはその、多少興味はあるし……」
魔族と人間。ジオンド合衆国などなど――様々な国の歴史は、かなり複雑なものとなっている。ミノルが知る地球の歴史との最も大きな転換点は、第二次世界大戦が魔族の力で強制終了したことによるのだそうだ。その前にも、細かな違いはあったようだが。
その当時、魔族と呼ばれる人間は世界各国に散らばっていたが、特にアメリカと日本には多く存在していたという。世界大戦の勃発によって、魔族達は嫌でも戦争に巻き込まれていくこととなった。それぞれの国の徴兵令や協力依頼を、彼らはことごとく突っぱねていたという。
というのも魔族と呼ばれる者達の多くは、己を人間とは別種の生き物だと理解した上で、表舞台に出ることなくひっそり生きてきたからだ。
陰で歴史を操った者もいる。
例えば現在のチャイニン共和国――旧・中華人民共和国。あの国の殷王朝時代、優秀な肯定だった紂王を妲己という后妃がたぶらかしたことで国が乱れ、周の武王に討たれたというのは有名な話だ。このへんの歴史は、令和の地球となんら変わらない。違いはその真相が――この世界では『実は妲己の正体は魔族であり、魔法で紂王を操っていた』とされていることだろうか。しかも『殷を打倒するべく、クーデターを目論む一部の反乱分子に依頼されたもの』かもしれないという。
――まあ、このへんは……俺の知る世界でも、実は妲己は九尾の狐だったとか言われちゃってるから、あんま変わらないかもしれないけどな。
自分達が人間より優れた存在だと知っているからこそ、彼らは己の力をひけらかすということをしなかった。特にそれを私利私欲で使う者もあったようだが、多くの者は人間の影に隠れることを望んだのである。それは自分達の力が争いの種になることを知っていたのと、魔族自体が本来争いを好まない穏健な種族であったというのが大きいそうだ。
ところが、影に隠れていようと、一部の権力者に力を貸して政治を動かすようなことをしていれば――当然それらの者達に存在は知られていたわけで。
大きな戦争が起きた時、その力を国の役に立ててほしいと依頼されるのもまた、必然であったというわけである。
――しかし魔族は、国や故郷より自分達の血と一族の絆を重視する。一部の権力者に時々力を貸すとか、食い扶持を稼ぐために仕事をするならいざ知れず……国のために戦争の道具にされるなんてまっぴらごめんだったわけだ。
しかし、戦争に参加したどの国も勝つために必死の状況である。日本も、アメリカも、ロシアも、イタリアも、フランスも、中国も、ドイツも――多くの国が、現地にいる魔族たちに多かれ少なかれ魔族への協力を要請。あるいは、脅迫を続けた。それにより身の危険を感じた魔族達は、ついに長――彼が最初の魔王である――の命令で決起することとなるのである。
つまり、魔族による永世中立組織の設立。
彼らは連合国も枢軸も関係なく自分達の力を見せつけると(一部の兵器を派手に破壊したり、施設を魔法で爆破したりといったことをしたようだ)、彼らとある契約を結んだのである。
つまり、これ以上自分達を巻き込むな、と。
こんなくだらない戦争は今すぐやめろ、でないと自分達が黙っていないぞ、と。
詳しいことは割愛しよう。ただ、この時点で第二次世界大戦の末期であったこと、どの国も疲弊していたことで、リスク回避の選択を取ることになったのである。
結果、広島と長崎に原爆は落ちなかった。ただ元々ほとんど戦う力を持っていなかった日本および枢軸国側は、かなり不利な条件で連合国側と講和を結ぶことになったという。そしてここから、大きく歴史が変わっていくことになるのだ。
――詳しいことは……俺も全部覚えてねーけど。最終的には俺が知ってる世界とは、大きく国の名前が変わった国ばっかりになった……んだよな?まあ、日本とかアメリカとか、そういう名前は一つも残っていない、と。
ただそんな経緯があるがゆえ、魔族という存在そのものを人間達は危険視するようになってしまったのは確かなことである。
少なくとも第二次世界大戦終結後すぐ、とある国で人間の政府と魔族が激突。小規模な内乱を起こすに至っている。その戦いで勝利した者こそ、二代目の魔王だったというわけだ。
そうやって戦いが起きるたびに魔王が選ばれ、その圧倒的な力をもってして魔族の平和を守り、戦争を終結に導いてきたというわけである。
「第二次世界大戦から数百年後。アメリスト連邦は、元々は魔族に対しては比較的寛容な国でした。国としては、そうだったんです」
ですが、と静は首を振る。
「きっかけは些細な噂でした。アメリスト連邦の一部の都市で、火災が頻繁に起きた時期があったんです。その年は乾燥注意報が毎日のように出ていて、雨が異様に少なく、その都市近くの川は干上がっていました。条件は充分だったのでしょう。街のあちこちで火事が頻繁に起き、ついには……一地区を全て焼き尽くす大規模火災にまで発展してしまった」
「あれって、風向きの問題とかもあるって聞いたことあるぜ。俺達の世界でも時々起きちまうんだけどさ」
「ええ。恐らく、不幸な事故か何かだったのでしょう。それこそ、煙草のポイ捨て一本でホテルが丸ごと焼けてしまうなんてざらにあるわけですからね。ところが、そのエリアが政府高官が多く住むグレードの高い地区であったことが問題でした。誰かが言ったのです。これは、炎魔法を使った……魔族によるテロだ、と」
「……めっちゃくちゃ理不尽じゃねえか」
あんまりにもあんまりなことだ。
ひょっとしたら最初にそれを口にした人間は、冗談のようなものだったのかもしれない。ただ、何万もの人々が死に絶え、その悲劇の大きさに人々が憔悴していたのは事実だった。そしてその苦しみを、怒りを、誰かのせいにしたくてたまらなかったというのがあったのだろう。
証拠もない。根拠もない。
それでもSNSを中心に、その陰謀論は爆発的に広がり、ついには魔族達が住む郊外の集落を暴徒たちが襲うまでに至るのだ。
もちろん、魔族達とて黙っているわけにはいかない。自分達がやっていないと言っても信じて貰えないのなら、そして自分達を殺そうとする者達がいるのならば、自分達の故郷と仲間を守るために戦うしかないのだ。
その結果、最初に襲ってきた暴徒たちが何人も魔族の手によって殺害されることになる。いわば、正当防衛のようなものだった。しかしアメリスト連邦の政府と民衆はそう受け取らなかったのである。
見ろ、やはり奴らは野蛮な存在ではないか、と。
自分達みんな、あの街の者達にしたように焼き殺すつもりであるはずだ、と。
そうなる前に皆殺しにしなければ、自分達の安全を守れない――と。
「魔族によるテロっていう冤罪と陰謀論の拡散。そして暴徒による魔族の村の襲撃。それをきっかけに、ついにはアメリスト連邦VS魔族という戦争が始まっちまったわけだな」
最初はその国だけの問題だった。
しかしアメリスト連邦は同盟の国々に応援要請をし、魔族も魔族で外国に住んでいる仲間を呼び寄せて応戦し続ける。
泥沼の戦いの中現れた者こそ、先代魔王であるルカインだったというわけである。
ルカインは、アメリスト連邦首都へと進軍。首都を完全に掌握し、半ば強引に自分達の安全と権利を時の政府に約束させ、戦争を終結させたのだった。
「戦争は実質、魔族の勝利で終わりました。ただ、そこに至るまでの道のりは険しく……互いの犠牲も甚大なものとなってしまった。アメリスト大陸……あなたの世界では、北アメリカ大陸になるんでしょうかね?大陸を中心に、とにかく死体の山が無数に転がる事態となったわけです。恐らく現在も、骨さえ見つかっていない戦死者が多数に上るのでしょうね」
静はゆっくりと首を横に振った。
「魔王ルカインは、最大限の努力をしました。彼でなければ、戦争はもっと長引いたし……魔族がミナゴロシにされて終わっていた可能性も充分にあった、と私は考えています」
「優秀だったのか、ルカインって」
「ええ、とても。人望に厚い、偉大な魔王だった……と私は聞いています。ただ、彼が経験した戦場はことごとく地獄だったことでしょう。貴方がそれを見て苦しむのは、至極当然なことです」
陛下、と。彼は少し泣きそうな顔でミノルを見た。
「貴方には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。その記憶は辛いでしょう、苦しいでしょう、痛いでしょう。何も知らなければ、貴方は異世界で平和な高校生のままでいられた。……本当にすみません」
「静……」
「それでも、我々には魔王の力が必要です。……誰を次期魔王に選ぶのか、その決断が簡単なことでないのはわかっています。ですがどうか、自分の心に嘘をつかない選択をしてください。どんな理由でもいいのです。でも私は、貴方が本当に……身をゆだねても構わないと思える相手であってほしいと、そう思います」
そっと白い手が、ミノルの手を握ってきた。静のサファイアのような瞳の奥に、どこか悲しいような、切ないような色が宿る。
「私で良ければ、いつでも相談に乗ります。私は、貴方の盾となれるのなら死すら厭わない。それだけの覚悟はありますから」
「なんで、そこまで……」
「ふふふ、まあ、いきなりこんなこと言われても困りますよね。でも、覚えておいてください、これだけは」
上目遣いで見上げてくる少年。その唇が、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「昔から言うでしょう?恋とは、盲目なもの。惚れた男を守りたいと思うのは、何も間違いではないのですからね」