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<19・残酷な鳥が堕ちる>

『全軍、退け!』


 ルカインは絶叫した。全身に走った悪寒。今までの経験上、これを無視してはいけないとわかっていた。

 ところが、敵を押していると思っている味方の軍勢は、その指示の意味を理解するまで時間がかかる。しかも、前線が横に長く伸びすぎた。叫んだだけでは、すぐに全員に指示が伝わらない。


『魔王様、何故です!?我が軍が優勢の状況です。このままいけば、クワイット軍が守る砦が落ちるまでさほど時間はかかりませんのに!』


 案の定、近くにいた幹部の一人が声を上げた。彼はもう何年も自分達の元で働いてくれている人物だ。それなりに戦場の経験も豊富。普段なら、ルカインの指示にそうそう背くようなことは言わない。

 それでもここで退くなどあり得ない、そう思っているのは砦をもうすぐ落とせそうで気分が高揚しているのもあるし――死んだ仲間たちの仇を取らんと気が急いているというのもあるだろう。

 それは仕方なないことではあった。この砦を守る武将クワイットには、山ほど仲間が殺されている。しかも、かなり残酷なやり方で見せしめにされていることも知っていた。絶対に許さない、報復すべしと思うのは当然のことではあるが。


『いいから、退くんだ。あまりにも順調に行きすぎてんだよ!これでは……!』


 次の瞬間だった。ずずずず、と地面を震わすような地鳴りが起きる。石畳も、茶色の城壁も、何か足元から突き上げられるように蠢いているような感覚。

 まるで延髄に針を差し込まれたような、直感。


『お前ら、逃げろおおおぉぉぉぉぉー!!』


 次の瞬間、爆発音が響き渡った。砦の壁が次々内側から破裂するように崩落し始めたのである。


『うわあああああ!?』

『なんだ、なんだこれ、なんだっ』

『だ、ダイナマイト!?』

『逃げろ、いいから逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!』

『いやだ、死にたくなっ』

『痛い!』

『があああああ!!』


 誰も彼も、慌てて城壁から離れようと走り始める。しかし、壁のみならず石畳も崩落し、兵士たちの足元を次々破壊していくのだ。

 崩れ落ちる壁の下敷きになる者、足元から崖下へ転落していく者。それ以前に爆発で吹き飛ばされ、重篤な傷を負う者。

 それはやや後方にいた指揮官であるルカインにも等しく襲いかかったのだ。


『くそっ……〝Protect〟!みんな、落ち着いて防御魔法を使え、そのまま後方へ下がれ!』


 指示を出すが、パニックになっている兵士たちには届かない。そして、ぴしぴしぴし、と足元から嫌な音が響いた。まさか、と思って下を見れば、大きな亀裂がつま先のところまで走っているではないか。

 次の瞬間。


『ま』


 幹部の男が、頭から血を流しながらこちらに手を伸ばしてくる。


『魔王様あああああぁぁぁぁぁ!!』

『うわああああ!?』


 互いに悲鳴を上げながら、ルカインは奈落の底へと落ちていったのだった。




 ***




 ミノルは先代魔王として、特別に魔王学園に招かれたゲスト。現在、そういう扱いになっている。

 よって、授業は出ても出なくてもいいということにはなっているが――正直なところ、授業に出なければ暇というのも事実だった。よって、なるべく授業に出ることにはしているのだが。


「おおお、落ちるううううう!?やめて俺高いところは苦手なんだけどおおおおお!?……あれ?」


 絶叫し、ミノルは飛び起きることになった。口元から涎が垂れている。周囲の生徒たちが、一斉にこちらを見ているのがわかる。

 そう、ここは教室。

 物理の授業中に、ミノルはすっかり居眠りをしてしまっていたということなのだった。


「……魔王陛下」


 中年の女性教師が、ぴきっとこめかみに青筋を立てながら言った。


「確かに、陛下は授業を受ける義務はございませんし?成績なども気にしなくていい立場ですけどね。……堂々と居眠りをされるのは、さすがに楽しくないというものですわよ?」

「は、はい……」

「しかも突然大声で叫んで授業妨害とは、なんというか、いい度胸をなさってますわねえ」

「す、スミマセンデシタ……」


 思わず片言で謝罪をするしかない。ああ、生徒たちの視線が痛い。しかも今日は、サボりが多い泰輔も真面目に出席していて、ちゃんと座っていたから尚更に。

 でもって。


「……かっこわるすぎだろオマエ」


 ぼそ、とその泰輔に呟かれた。こればっかりは、ぐうの音も出ない。ミノルはしょぼんと肩を落として、スンマセンデシタ、と再度呟いたのだった。

 物理の授業に出たのは、失敗だったかもしれないと思う。というのも、ミノルは元居た学校でも極端な文系寄りの生徒だったのだ。数学や物理はからっきし、かろうじて生物だけはなんとかなっていたくらい。化学も、元素記号がちっとも覚えられなくて留年しかかったことがあるくらいだ。


――はあ。……魔王学園の授業ってどんなもんかなーと思ってなるべく受けることにしてるけど。


 教科書を見る。黒板を見る。そして、ため息。どちらにも、何やら難しい記号やら単語やらがずらずら並んでいる状態である。そもそも物理というのは、半分は数学みたいなものなわけで。


――どうしよう。一ミリもわっかんねえ……!


 中学くらいまでは理科も得意だったのにな、と。

 ミノルは心の涙を流しながら思ったのだった。




 ***




 この世界にミノルがやってきてから、一週間ほどが過ぎていた。

 慣れない寮生活である上、学校の敷地の外に出られないなどの問題はあるが――それ以外は普通の学生生活となんら変わることはない。同時に、泰輔が勝負を挑んできてから、ミノルにちょっかいをかけてくる人間はまだいなかった。てっきり何度も何度も勝負を挑まれて面倒な思いをすることになるかと思っていたのに、だ。


――まだみんな様子見してんのかな。あるいは、ゲームのための準備をしてる、とか?


 昼休みの時間。ミノルはトイレに行って、教室に戻るところだった。


――この間は静もいたし、なんとか勝てたけど。……変に頭脳プレイ要求されるようなゲームとかだときついし、負けた時に失うものがデカいのやばいよな。……なんとかならねえかな。


 小康状態でしかない、というのは自分でもわかっている。解決するには一刻も早く記憶を取り戻して、さっさと継承者とやらを決めてしまうしかないということを。

 だが、現状記憶はほとんど戻っていない。魔王ルカインとしての夢を見る頻度は増えたが、あれを自分のことだとはまだ認識できていなかった。なんだか、映画でも見ているような感覚と言えばいいのだろうか。

 同時に、どういう人間を次の魔王に選べばいいのか、というのも皆目見当がつかないのだ。魔法が強い奴ならばいいのか?人望がある奴ならばいいのか?それとも、あらゆる能力でバランスが取れた奴がいいのか。

 校長やら兆野先生やらにも一応相談はしてみたが、彼らも明確な基準は持っていないようだった。というか。


『うーん、基準ねえ。それ、結構曖昧というか、いい加減みたいよ?』


 兆野先生はあっさりとこうのたまったのである。


『過去の魔王陛下は、ジオンド合衆国出身の人もいたし、アメリスト連邦とかチャイニン共和国とかいろんな国の出身の人がいたんだけど……そのお国柄もあってか、みんな継承者を選ぶ基準がまちまちだったわけ。中には「なんとなく直感でそいつ選びました!」ってことを堂々と宣ってた人もいたしね?』

『え、えええ……』

『先代魔王であるルカイン様も、その前の魔王様から継承を受けて魔王になったわけだけど。どういう理由だったかしら……あ。顔が好みだったからとか言ってたんじゃなかったかしら?』

『えええええ……』


 もう「えええええ?」以外の感想も出てこない。そんないい加減な選び方で本当にいいのだろうか。

 少なくとも、魔王が生まれる、継承を要求されるようになる時というのは戦争レベルの問題が起きている時に限定されるはずである。少なくとも自分は校長からそう聞いているのだ。

 つまり、魔族を守るために一族を率いて戦える者でなければいけないはずである。選ばれた魔王がポンコツだったら、勝てる勝負にも勝てなくなってしまう。

 もし魔王ルカインが顔だけで選ばれたというのが本当なら――むしろよく仕事できたな?と突っ込まざるを得ないのだ。


――そもそもルカインって、本当にちゃんと魔王として仕事できてたのかよ?




『くそっ……〝Protect〟!みんな、落ち着いて防御魔法を使え、そのまま後方へ下がれ!』




 さっき教室で見た夢を思い出し、憂鬱な気分になるミノル。

 あれが本当に起きた出来事なら――ルカインと魔王軍は敵の罠にはまり、多大な損害を出した、ということになる。恐らく敵の軍勢が砦を捨てて、砦ごとルカインたちを爆破して一網打尽にしようとしたということなのだろう。

 それに気づけなかったなら、それは向こうが一枚上手だったか、ルカインのミスでしかありえない。恐らくあそこでルカインは死んでいないのだろうが、それでもあの様子だとたくさんの部下が亡くなったのは間違いないはずなのだ。

 だって、ミノルは夢の中で見てしまっているのである。

 巨石に潰されて、頭がなくなった兵士を。

 石の破片が腹につきささり、内臓がその場にぶちまけられて血泡を吹いて痙攣している兵士を。

 片目が潰されたと泣きわめいている兵士を、手足がなくなってダルマとなってもまだ死ねない兵士を、あるいは血と肉片以外何も残らなかった兵士を。

 ルカインはもっと賢明な判断をしていれば、あの兵士たちは死なずに済んだかもしれないのだ。


「うっ……ぐううっ……!」


 残酷すぎる戦場の風景を思い出し、胃がぶるりと痙攣した。さっき食べた給食が出そうになり、思わず口元を押さえるミノル。

 あんな場所にいたら、普通の人間なんぞ狂ってしまう。

 あるいはルカインは魔族だから――もしくはイカレた存在だったから平気だった、なんてこともあるのだろうか。いや、そんなことこの学園の人に尋ねることなどできないけれど。


「陛下!」


 ぱたぱたぱた、と足音が聞こえてきた。見れば静がこちらに駆け寄ってくるところである。ミノルの顔を見て、眉間に皺を寄せてみせたのだった。


「トイレに行く時も私がお供しますと言ったでしょう。一人で行動するのは危ないから……って、どうしたんです?顔色が真っ青ですよ?」

「ああ、うん、その……」


 誰にも吐き出さない、なんてのは無理だった。ついついミノルは、苦笑いをして告げるのである。


「ちょっとだけ、愚痴、聞いてもらえるか?」


 残念ながら自分の精神は結局のところ――平和な令和日本を生きる、一般的な男子高校生でしかないのだから。


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