――そういうことか、クソ野郎がっ!
ギリリ、と泰輔は奥歯を噛みしめる。
このゲーム、魔法で相手を妨害することはできるものの、『二人しかプレイヤーがないので、魔王で妨害する役とボールを持ってゴールする役は別々でなければいけない』というネックがあったのだ。
何故なら魔法を発動させると、大抵の発動者はすぐ体が硬直して動けなくなる。硬直時間は熟練者であればあるほど短くなるが、少なくともドリブルしながら魔法を発動するなんて離れ業はまず不可能だと言っても過言ではない。
だから、結局のところ――こちら側は『静が何をしてこようが、ミノルさえ封じ込めることができれば勝ち』のはずだったのだ。何故ならミノルが行動不能になれば静がドリブルかブロックをせざるをえず、いくら彼が魔法の成績優秀な生徒であってもそれらを行いながら攻撃魔法・防御魔法の発動はできないからだ。
そして、静はサッカーの技術であればミノルに遥かに劣ることがわかっている。うまくいけば、小細工なしでも駆が一人で突破できるかもしれないレベル。
警戒するべきはミノルがフリーの状態で、静が魔法で援護射撃してくることだけ。ミノルを直接駆が撃ち抜こうとすれば、仮に静が防御魔法をかけたところで硬直し、単純なミノルと泰輔の一対一になるばかり。いずれにせよ、泰輔が負けるつもりはないのだ。
そして失敗すれば、ミノルが動けなくなって何もできなくなるだけ。
いずれにせよ、中級魔法で駆がミノルを撃てば、それで全ては終わるはずであったのに。
――まさか、キックオフ前……ゲームが動き出す前に、雷属性の防御魔法をピンポイントでかけてやがったか!
防御魔法にはいくつか種類がある。
魔法を幅広く防ぐ〝Barrier〟。物理攻撃を広く防ぐ〝Protect〟。それらは有効だが、対象範囲が広い分防御魔法としてはやや威力が落ちる。それよりも強力なのは、特定の属性魔法を打ち消す防御魔法だ。
例えば〝Anti-Thunder〟ならば、雷属性魔法をピンポイントで一度、ほぼ確実に防ぐことができる。雷属性に限定されているので他の属性魔法が来たら防げないし、しかも一回きりで効果が切れるがほぼ100%防御できるメリットは甚だ大きい。
まさかそれを、相談時にこっそり発動させていたとは。
――確かに……あのクソ二人が話している間にこっそり魔法を発動させて静が硬直していたとしても、気づくのは無理だっただろうな。だが……くそ、くそが!
これは非常にまずい。とにかくシュートを打たせてなるものかと、泰輔は必死で足を動かす。
防御魔法を発動させたのが数分前なので、静の硬直時間はとっくに終わっている。つまり、彼はいつでも追撃の魔法を使えるのだ。その上。
「う、ううっ」
中級魔法を撃った反動で、こちらの味方である駆は動けない。実質泰輔は、一人でミノルと静の両方を相手にしなければいけないわけだ。しかも、いつ静から魔法が飛んでくるかもわからない状況で。
――くそが……くそがくそがくそがああああ!俺が、俺が、お前らみたいなナメた連中に負けるか!負けてたまるかあああああ!!
蘇る、父の無情な言葉。いつもそうだ。父は己を、兄の下位互換としか見ない。優秀な兄とは違う、くだらないことばかりに興味を持つスペアでしかないのだと。
『サッカーの何が面白いんだ、泰輔。あんなくだらない球遊びをいつまで続ける気だ』
忘れもしないあの日。
あの無情な宣告を聞いたあの日。
『いい機会だ。お前、高校は魔王学園に進学しなさい。お前程度の頭でも、推薦で入れてくれるそうだからな』
『ま、魔王学園って……あの魔王の継承者と、魔王軍を育成するっていうアルカディアって学園のことか?な、なんでだよオヤジ。俺、高校はオオサカのサッカー強豪校に行くって……推薦だって』
『こっちの推薦の方が優先だ。魔法の素質があると、魔族の長が認めてくれたんだぞ。光栄に思ったらどうだ。うまくいけば魔王陛下の継承者に、お前がなれるのかもしれん。そうすれば、我が五條家も安泰だ。いつまでも没落しかけの外様の貴族、だなんて呼ばれてなるものか……なあ?』
両親は、魔族として優秀であること、家を存続させることにしか興味がなかった。もちろんそれは父が代々、五條家のプレッシャーに耐えて英才教育を受けてきた人間だからなのはわかっている。
それが一族の遠い故郷を思い出し、屈辱の歴史を払拭するためということも。
魔族は元々は、ジオンド合衆国以外の国々にも散らばっていた。ところが人間達が主導する世界政府が決めた国際法に基づき、魔族は全てこのジオンド合衆国に強制的に集められることになってしまったのである。魔族は危険、人間の手で一括で監視すべしという滅茶苦茶な法律ができてしまったがゆえに。
五條家の遠い先祖は、元々はフランシア共和国に住んでいた。にも拘らず無理やり故郷を捨てさせられ、このジオンド合衆国のトウキョウ自治区に押し込められることになってしまったのである。
そして魔族の中にも、優劣ができるようになった。
元々ジオンド合衆国に住んでいた魔族と、先代魔王の出身国だったアメリスト連邦に住んでいた魔族は特別。それ以外の者は故郷を捨てて逃げ込んできた外様どもなのだ、と。
――五條、という苗字。全員、ジオンド合衆国の名前に変えられた屈辱。それを払拭すべしと、我々はけして下等な魔族ではないのだと証明したい。そのために、五條家ここにありきということを示したい。親父はそうジイちゃんたちから教育されてきた。気持ちは理解できなくもねえ。でも!
そんな一族どうのというのより、ただ自分はサッカーがしたかった。
やりたいことを一生懸命やって、それで認められる人生を送りたかっただけなのに。自分には、サッカーの才能だけはあるのだとそう信じていたというのに。
一族のエゴでそれを奪われ、望んだ高校に入ることも許されず。高校に入ってからも、魔王陛下の継承者に選ばれるまではサッカー部に入ることさえ許されなかったのだ、自分は。
――ここで、てめえを……一倉ミノルをぶちのめして、継承者としての権利を得れば。それで、親父たちにもやっと許して貰えるんだよ……!
大学からは、サッカーができる。プロにだって挑むことが許される。
だから自分は、こんなところで無様に負けるわけにはいかないというのに。
「お前なんかに……俺の気持ちが、わかってたまるかあああぁぁ!!」
「ぐあっ!?」
反則だろうが、なんだろうが構わなかった。どうせ審判などいないのだから。
泰輔は叫びながら背後からミノルにタックルする。とにかくこいつをボコるなりなんなりして動きを止めてしてからゆっくりボールを奪えばいい。どうせ、こいつがいなくなればあとはサッカー素人の静しか残らないのだから。
「くううっ!」
「おおおおお!!」
抱き着くようにミノルの腰にしがみ付き、そのままゴロゴロとコートを転がる。抵抗するミノルを抑え込み、そのまま馬乗りになって殴る体制に入った。
「小細工しやがって、ゴミが!」
アンチ・サンダーの魔法は物理攻撃には一切向こう。このまま殴られたら、普通にミノルは意識を飛ばして終わりなはずだ。
しかし、腹の上に跨られているはずのミノルは、右ストレートを打ちこもうと振り上げられる拳を見ても、まったく動じる様子がなかった。
それどころか、うすら笑いさえ浮かべているような。
「これはサッカーだぜ、五條泰輔。よく見ろよ」
彼はくい、とゴールを指さす。
「もう終わってる」
なんだと、と泰輔は自陣のゴールの方へ視線を投げた。ボールが奥のネットに跳ね返り、ころころと手前に転がってくるのが見える。
そんなバカな、と絶句する他なかった。一体いつの間にシュートを打った?自分がタックルする直前まで確かにドリブルしていたはずだというのに。
「ご、五條さあん……!」
そこで、ようやく硬直が解けた様子の駆が、泣きそうな顔で言う。
「さ、さっきそいつ……倒れながら、ボールを蹴って……」
「なんだと?」
「う、浮かせたボールに、ヘディングを……」
「なっ」
そんなバカな、と絶句する他ない。自慢じゃないが、泰輔のタックルは相当な衝撃だったはず。それこそ喧嘩でぶちのめした相手には、ダンプカーにぶつけられたかのよう、なんて感想を貰ったこともあるのだ。
体格だって、ミノルと自分ではお話にならないくらいの差がある。身長、体重、筋肉量、腕力、脚力。全てにおいて自分が勝っていたはず。
それを背中から不意打ちでぶっ飛ばされて、それなのに冷静にシュートからのヘディングを決めるなんて、そんなこと人間に可能なのだろうか。
「あ、ああ……」
紫色の光が砕けて、結界が解けていく。魔女の
「ば、馬鹿な、そんな、俺様が負けるなんて、そんなことあるはずがっ……」
「五條」
力が抜けて座り込む泰輔に、その下から這い出したミノルが告げる。
「お前、ドリブルもタックルも大したもんだわ。マジでサッカーやってたんだな。それも、相当ガチガチに」
「……だったらなんだよ」
「お前の家とかさ、いろいろ事情はあるのかもしれねーけどさ。でも……お前、そんだけの実力があるなら、やめるなんてもったいないよ。やりたいなら、それ、誰に邪魔されても貫き通したらどうだ」
どうすればいいとか、そういうのわかんないけど、とミノル。
「俺は、お前がただのヒキョーなフリョーで終わったらもったいねえなと思うから。ただ、それだけ言いたかっただけだから。……んじゃ」
「……くそが」
多分、最後の泰輔の罵倒は彼には届かなかったことだろう。静が一度こちらを振り向いたが、彼もまた何も言うことはなかった。ただ、二人で校舎の方に黙って歩き去っていった、それだけだった。
これでもう、自分はルール通り、ミノルと静に直接勝負を挑んだり、嫌がらせをするようなことはできないのだろう。魔女の
わかっている。それはとても、とても理不尽で、悔しいこと。最終的に自分は魔法でも小細工でもなく、純粋な彼のサッカーの技量に敗北したようなものなのだから。
それなのに。
「……五條さん?」
駆が心配そうに声をかけてくる。泰輔は、返事をすることもできずに俯くしかなかった。
「ちく、しょう……ちくしょう!」
ああ、あまりにも悔しいことではないか。
サッカーをやめるな。
そうミノルに言われたことが、泣きたいほど嬉しかっただなんて。