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<12・サッカーボールが転がった>

 事件が起きたのは、陸上部、バスケ部、野球部と三つの部活動見学を終えた後になってからのことだった。


「晩御飯どうします?九時までは食堂開いていますよ。あとコンビニは二十四時間営業です」


 静がちらりと腕時計を見て言う。今、自分達は西校舎のさらに西にある、自分達の寮へ戻る道を歩いているところだった。部活動の見学と仮入部で一生懸命になっていたら、すっかり時刻は夕方六時を過ぎてしまっている。

 お腹もすいてきた頃合いだし、空も暗くなってきた。学園の敷地内は明るいところも多いとはいえ、ミノルの状況を鑑みるならあまり長くうろうろしない方がいいだろう。


「ドラッグストアとかスーパーもこの時間ならまだ空いていますし、ご飯買って帰っても大丈夫ですよ。キッチンも借りられるので、簡単なものを作ることもできるはずです」

「んーんー……どうしよう。汗かいたから風呂先に入った方がいい気もするし……大浴場もあるのか?」

「もちろん。ただ、時間帯によっては混んでいます。あと、今日は着替えの問題が」

「そういえばそうだった!」


 実のところ、ミノルはまだ元の世界の制服姿のまま過ごしている。明日になればアルカディアの制服も来るそうだし、いろいろと支給品もあるとのことだが。


「着替えとか一式、スーパーで買った方がいいのか?でも俺、この世界のお金持ってないんだよ」


 それである。失念していたのか、そういえば、と静が目を丸くした。


「すっかりそこは忘れていました。そうですよね、陛下の世界の通貨、ここじゃ使えないんでしたね」

「なんか、日本に近い空気もあって、俺もさっきまで忘れてたけどな。もっと言えば、そもそも金持ってきてないんだわ。俺学校にいて、財布とか教室に置きっぱなしにしてたもん。ポッケに入ってるのはスマホとハンカチとティッシュだけ。あ、スマホって充電できんのかな。充電できても電波通じないかもだけど……」

「それは端子が合うかどうかですね……あとで確かめてみないと。とりあえずお金は校長先生に言えば貸してくれるはずです。支給品の中にお金もありますし、スマホもこの世界に対応したものを新たに購入してもらえるんじゃないでしょうか」

「あ、そうなんだ。助かるわ」


 ならばまず校長室に行かなければ、と玄関から西校舎に入ろうとした、まさにそのタイミングだったのである。


「よお、お前ら」


 低く、唸るような声が聞こえてきたのだ。どこかで聞いたような声。嫌な予感しかしない、とミノルが振り返った時である。


「発動」


 そこに立っていた男が右手を挙げるのが見えた。


「〝魔女の夜会サバト〟!」

「!!」


 ぶわ、と一瞬大きな風が吹いたような気がした。これは、とミノルは焦る。周りの空間が、紫色に変わった。さっきまでオレンジと藍色のグラデーションだった空も紫色になっている。まるで、一瞬にして別世界に転移してしまったかのような。


「な、なななな、な」

「やられた……!」


 静が舌打ちをしたのが聞こえた。


「どういうつもりですか……五條!」


 そこにいたのは、刈り上げた茶髪に三白眼が特徴の大男だった。五條泰輔。同じクラスのヤンキーであり、教室で静に絡んでいた人物でもある。


「どういうつもりもこうもねえよ。わかってんだろ?……魔王陛下の継承者ポジションは、全員が狙ってるってことはよお」

「そうだそうだ!継承者に相応しいのは、五條さんなんだからな!!」


 ひょっこりと五條の後ろから顔を出したのは、地味な顔立ちの黒髪黒目の少年。どうやら、泰輔の舎弟のようなものらしい。


「お前らが五條さんを馬鹿にするからこういうことになるんだからな、ばーかばーか!怖かったらさっさと負けを認めるといいんだぞ、ばーか!なんならボクも一緒にいるんだからなー!」

「あー、ハイ」


 こういうキャラね、とミノルは苦笑いするしかない。というか、今日のアレで騒いでいたのは主に泰輔一人で、ミノルは彼と喋ってもいない。馬鹿にしたと言われても、完全に誤解だとしか言いようがないのだが。

 少年の方はご丁寧に名札をつけっぱなしにしている。参道駆さんどうかけるというらしい。ひょっとして同じクラスだったのかもしれないが、小柄な上に目立たない顔立ちなのでさすがに覚えていなあった。


「陛下は今日転移してきたばかりでお疲れなんですよ。まだ記憶も全然戻っていない。にも拘らず、不躾ではありませんか」


 静は剣呑な目を泰輔に向ける。先のいざこざもそうだが、やはり二人は最悪に相性が悪い、ということらしい。対して泰輔は、イライラしている静に余裕の笑みを浮かべている。


「不躾も卑怯もあるかよ。俺様はな、さっさと継承者に選ばれて……俺様こそが一番偉いってのを証明してえんだよ。そうすりゃ、このクソみてえな学校からもおさらばできる。魔王に選ばれさえすりゃ、その後は俺様の好きにできるからなあ……!」


 ギラギラとした目を向けてくる男に、ミノルも多少察してしまう。恐らくこいつも、魔王に選ばれるようにと家族やらなんやらにプレッシャーをかけられている人間なのだろう。ひょっとしたら、この学園に入れられた挙句望んだ道を絶たれた、なんてこともあるのかもしれない。無理やりすぎる英才教育のせいで歪んだりグレてしまう人間など、現代日本でも珍しくなかったので想像はつく。

 ただ、それでもミノルとしては、はいそうですかと納得するわけにはいかないのだが。


「おい……お前、本当にいいのかよ?継承者に選ばれるための儀式の内容、知らないわけじゃねえんだろ?お、男の俺と……好きでもなんでもない奴とセックスとか、本当にそれでいいのかよ、おい!」


 さっきの那由多映なんかは、それでもいいとか言い出しそうな空気だったが。

 正直、この五條泰輔が、そういうタイプには見えない。言ってはなんだが、強引に女を犯すのが趣味です!野郎には興味ありません!と言われた方が納得できてしまいそうな雰囲気なのだが。


「キモいとは思うぜ、お前、俺の好みとは程遠いしな」


 そんなミノルに、泰輔はあっさりと言ってのける。


「でもまあ、記憶が戻った後で一発ヤればいいだけだろ。オンナの後ろの穴とヤったことくらいあるしな、顔見なけりゃなんとかなるだろ」

「うわ、サイアク……」

「記憶が戻ってないとか知ったことか。魔女の夜会サバト使ってお前を従順なイヌにすりゃ、記憶が戻り次第俺様が好きにできるだろうがよ。そうしたらお前になんぞ用はねえ。いつでもポイしてやるわ」

「すごい……絵に描いたようにゲスいこと言ってる……」


 まあつまり、そういうことなのだろう。

 ミノルの記憶が戻っていなくても関係ない。記憶が戻るまでは貞操の危機がないとしても、この様子だといずれは戻ることが確定しているようなもの。戻り次第、危険な目に遭うのは避けられない、というわけだ。

 そうでなくても、ゲームに負けたら意志を奪われて奴隷にされるということである模様。はっきり言って、こんな奴の奴隷になるなど論外である。


「……魔女の夜会サバト……だっけか、この魔法。ルールは一応聞いてるよ」


 ミノルはうんざりした気持ちで言う。


「発動者が定めたゲームを完了するか、お前が解除しないとこの空間からは出られない……的なやつであってるか?」

「そのとーり!……この魔法を発動した時点で俺様たちがいる空間は切り取られることになる。他の人間は此処に近づくこともできねえってわけだな。まあ、覗き見くらいできる能力者はいるだろうが。……俺様をゲームで倒さない限り、お前はずっとこの場所から逃げられねえって寸法よ」


 ちらり、と静を見る。彼は苦い表情で頷いた。どうやら、泰輔が言っていることは正しいたしい。

 そして魔法の性質上、ゲームのルールは泰輔が決められる、のではなかったか。無論、こちらも充分に勝てる条件で、というのが前提として盛り込まれているという話だったが。


「……そんで。どんなルールで、俺と戦いたいわけ?」


 頭脳派系のバトルはない、と踏んでいた。明らかにこいつは、頭を回してどうこうしたいタイプではない。

 発動者が決められる以上、少しでも自分に有利なものを選ぶのが当然だ。殴り合いの喧嘩とか言われたらどうしてくれよう、と悩む。無論、静がいるので多少なんとかなるかもしれないが。


「勝負は……これだ」


 そして、泰輔が取り出したものを見て、ミノルは目を見開くことになるのだ。


「サッカーボール……?」

「そうだ」


 にやにや笑う泰輔。


「異世界から来たてめえは知らないだろうがな。これでも俺様は、中学まではちょっとしたサッカープレイヤーだったんだわ。俺様に勝てる奴なんざ誰もいなかった。俺様は最強だった。こんなクソみたいな学校じゃねえ、もっともっとサッカーできるいい学校に行くつもりだったんだよ!それが……ちょっと魔法の素質があったからってよ、家の奴らに無理やりこんなところ入れられて、サッカーを取り上げられちまったんだ」


 ありえねえ、と泰輔は怒りをあらわにする。


「こいつなら、俺様は誰にも負けねえ。……さあて、この空間を作れば、サッカー部の奴らがまだ練習していようが関係ねえからな。サッカーゴールのあるところまで移動してもらおうか」

「……お前」

「ぐずぐずしたら殴るぞ?俺様の拳は痛ぇからな、くっくっく」

「……」


 これは、運命のいたずら、というものなのだろうか。ミノルはサッカーを忘れようとしていたのに、まさかこんな形で強制的に巻き込まれることになろうとは。

 しかも、不良少年だと思っていた男が、元々はサッカー少年だったという。サッカーを奪われて、全然違う未来を押し付けられて、それでグレてしまったということらしい。そういえば、五條泰輔の家はそれなりの名家だったと静も言っていた。ならば、プレッシャーも相当なものだったということだろう。

 だからといって暴力や、乱暴な思想を肯定することはできない。それでも少し、少しだけ思ってしまったのもまた事実なのだ。


――こいつ、俺に……似てるんだ。


 ミノルもまた、サッカー部を引退してから少しばかりやさぐれて、自分のやるべきことを見失っていた人間だ。

 ちょっとだけ同情してしまうのは、どうしようもないことだった。


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