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<10・本音、嘘、冗談>

「お、おおお!」


 ミノルは思わず声を上げていた。思ったよりも案内された寮の部屋が綺麗で広かったことである。しかも、二段ベッドまで用意されている。


「二段ベッド!お、俺上でもいいか、静!?」

「そこに喜ぶんですかアナタ」

「俺にも弟がいるけど、弟と年離れててさー。二段ベッドの上はいっつも譲ってたから、そっちで寝たことなくって!寝てみたい!」

「どうぞ。まあ、元よりそのつもりです。下の段が私が寝ていたベッドで、その上に陛下のベッドを併設させた形ですから」

「やっりー!」


 子供みたいですねえ、と静が笑っているのもなんのその。ハシゴを登って、上のベッドに寝かせてもらう。

 ありがたいことに、この部屋の天井はもともとかなり高い作りになっているようだった。二段ベッドの上で立ち上がることはできないが、あぐらをかいて座るくらいのことは問題なくできそうである。まあ、ミノルがそこまで長身でないから、というのもあるかもしれないが。


「思ったより、マットレスふっかふか……あ、いいかんじ。新品のにおーい」

「気に入っていただけて何よりです」


 ごろんごろんと寝っ転がるミノル。いきなり来てくつろぎすぎかと自分でも思うが、どうせ暫くの間ここで過ごさなければいけないのだ。慣れておくに越したことはあるまい。


――寮生活って、したことないんだよな。


 ひょっこりとベッド柵から顔を出し、下を覗いてみる。


――ドキュメンタリー番組とかで寮の部屋とか出てきたことあるけど、こんなに広いもんだったっけ?


 部屋に入ってすぐ、右手側に二段ベッド。反対の右手側には、二つ学習机が並んでいる。ミノルと静、それぞれのものだろう。恐らく本やら付箋やらが貼ってある手前側が静の机。ならば奥がミノルに用意してくれた机なのだろう。

 奥には広い窓があり、ベランダもついている。薄緑色のカーテンと、白いレースカーテンが窓からの風にふわふわとはためいていた。この部屋は三階に位置していて、広い広いグラウンドが一望できる仕組みになっていた。どうやらこの魔王学園は西側が森に面しているらしく、青々と茂る森が良く見える。

 そういえば季節はいつ頃なんだろう、と静の机の上の日めくりカレンダーを見た。五月十二日、月曜日。令和日本だがゴールディンウィークが終わったタイミングである。この世界に、そういうものはあるのだろうか。


「なかなか広い部屋でしょう?」


 静が下からこちらを見上げて言う。


「この寮、ほぼ西向きなのでちょっと西日が入るのが難点ですけどね。風通しもいいですし、ちゃんとエアコンもついてますからご心配なく」

「そういえば、このあたりってトウキョウ自治区とか言ってたよな?みんな普通に俺と同じ日本語が通じてるし……ってことは、ここは遥か未来の日本、なのか?」

「そういう認識で間違ってないかと。昔ここが日本と呼ばれた国であり、東京という首都などの名前がそのまま残っているのは確かですからね。気候は四季がはっきりしていて、日本だった頃のイベントや行事もほとんどが残っているんですよ」

「へえ、そりゃありがたい」


 そういえば、静の名前といい大空の名前といい、みんな日本人らしい名前をしている。顔立ちも、外国人っぽい者から日本人ぽい者まで様々であるようだ。

 この世界は第二次世界大戦末期の頃をきっかけに大きく枝分かれした世界だという。それ以降何百年も過ぎているのだから、様々なものが変わっていてもおかしくあるまい。令和の日本では人口減少と人手不足、超少子高齢化社会が問題になっているが――この世界は早期に移民を受け入れることでそれらを解決した世界、なのかもしれなかった。いや、それらはまだ想像の余地を出ないが。


「ちなみに、ちょっとわかりづらいんですが」

「お、おおおおお?」


 静とミノルの机の間に立つ静。その真ん中の壁に手をかけると、なんとぱっかりとこちら側に開くではないか。なんと、やや死角になるその位置にドアがあったらしい。


「この向こうに本棚とクローゼットがあって、服とか本とかいろいろしまえますよ。この部屋は特別に、この奥にトイレと風呂までついてます」

「え、すごくね?寮なのに?」

「元々この部屋、特別室なんですよね。一人で豪華に使う部屋だったわけです。……寮に入る時、私がジャンケンで勝ち取りました」

「え、すごくね!?」


 こいつジャンケンも強いのか、なんて感心していsまう。同時に、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 確かに広い部屋だが、二段ベッドになったことと机が増えたことで、少々手狭になってしまった感は否めない。このあと、他にもミノルのための備品や家具が運ばれてくる可能性もある。せっかくの広い部屋だったのに、二人で使うとあっては台無しになってしまったのではないか。


「なんか……悪いな。俺と二人部屋になったことで、せっかく広い部屋だったのに狭くなっちゃっただろ?」


 梯子を降りながら言えば、そんなことないですよ、と静は驚いたように声を上げた。


「二人部屋になったからといって、この部屋が元々広いことに代わりないですし……もっと狭い一人部屋で暮らしてる方もいますから。それに」

「それに?」

「……陛下も仰っていたでしょう、迷惑だ、と。……わかっているんです。普通の男子高校生として生活していた貴方を、同意も得ずに無理やり異世界転移させたのはあまりにも身勝手なことだったと。校長がその魔法を行うのに、手を貸したのが私です。自分の部屋で貴方を守るくらい、当然のことですよ。貴方は何も、負い目を感じる必要なんてないのです」


 守る。その言葉で、いろいろ察してしまった。やはり、この学園の中においてもミノルの安全は担保されない、ということらしい。だから、その護衛もかねて静が一緒の部屋になった、ということなのだろう。


「なんか、お前に守って貰うの変な気分だなあ。そりゃ、ものすごく魔法の成績がいい、ってのは聞いたけど」


 そういえば、学年トップだったみたいなこと言ってたなあ、と静の顔をまじまじと見て思う。確かに、いかにもインテリっぽい見た目ではある。眼鏡キャラだし。


「俺が、変な奴に襲われないようにするため、か?でも、俺の記憶が戻らない限り、継承の儀式は成立しないんじゃなかったっけ?」


 記憶を取り戻した上で、肉体の交わりを行うと魔王の存在が継承される――みたいなことを言っていたはずである。

 つまり、記憶もなんもない今の状態のミノルは、むしろ儀式に値しない分安全ということではないのだろうか。


「理屈ではそうなんですが……そう簡単なことでもないんですよ」


 はあ、と静はため息をついた。


「今の状態の陛下だって、襲われる可能性があるんです。例えば……今の状態で〝何でも言うことを聞く〟魔法をかけられたらどうなります?そこで『記憶を取り戻したらオレサマに抱かれること!』みたいな命令を下されたのであれば?」

「……確かに、まったく安心できないな、そりゃ」

「そうでしょう?でもって、今の貴方は記憶もなければ魔力もなく、魔法の知識もありません。魔法に関して、まったくの無防備な状態だと思って頂いて結構。魔法耐性がゼロということは、その効果も抜群ということなのです。場合によっては効きすぎて、心身に悪影響を及ぼすこともあるくらいには」


 理解してしまった。

 ようは、ある意味では記憶が戻っていない今の方が危険、ということだ。戻っていなくても、洗脳するような魔法をかけられてしまってはいずれ無理やり操を奪われるということなのだから。想像するだけでぞっとしてしまうことだけれど。


「条件を満たせば相手に何でも言うことを聞かせられる魔法があるつってたもんな。魔女の夜会サバトだっけか」


 でもって、とミノルは続ける。


「その条件ってのが、なんらかの勝負をして相手を屈服させることだ、と。……なんらかの、ってのがだいぶぼんやりしてて怖いなあ」

「ええ。しかも、当たり前ですが仕掛けてくる相手が有利な勝負を持ち込んでくる可能性が高いのです。バスケ部にバスケで勝負を挑まれる、とかね。まあ、あまりにも能力に差がありすぎるようなゲームだと、魔女の夜会サバトのルールに抵触して発動しないなんてこともあるようですが」

「うええ、きっついなあ……」


 ならば、なるべくその魔法をかけられないようにする、のが一番いいということなのだろう。暫くは静と一緒にいて、身を護る術を身に着けるしかなさそうだ。


――しっかし、なあ……。


 未だに、現実感がないというのが本心である。

 この学園にいる生徒たちは、次期魔王の地位を狙っている。だからミノルと強制的にセックスをすることで継承させようとしている、と。一応、その事実は理解している。でも。


――いるのはみんな、男ばっかり、なんだよな。


 どんなに地位や名誉が欲しいとしても、彼らとしてはそれでいいのだろうか。そのために同性を抱く、もしくは抱かれる選択をするだなんて。


「……静、あのさ」


 そして、その候補であるのは静も同じなわけで。


「俺もそうだけど……お前らは、抵抗ないわけ?」

「何がです?」

「その、えっと、あの……セックス。同性同士で、やらないといけないんだろ?俺から魔王を引き継ぐためには、さ」


 口にするのもなんだか恥ずかしく、ごにょごにょごにょ、と声が小さくなってしまう。

 同性同士のセックスに過剰な差別意識を持つつもりはない。お互いが納得していて、愛を確かめ合うことができるならそれも全然問題はないだろう。だが、彼らはミノルの恋人になることを狙っているわけでもなければ、ミノルが好きでそういうことをするわけでもないのだ。

 嫌、ではないのだろうか。好きでもなんでもない、しかも同性とそういうことをすることが。


「俺のことが好きだから、ならわかるけど。継承者を狙ってるやつら、そういうわけじゃないだろ?」


 そして、当たり前だが学園にいる生徒みんながゲイかバイだとは思っていない。

 ストレートな趣向を持つ人間からすれば、その行為自体がとても許容できるとは思えないのに。


「……そうですね。この学園にいる全ての人が、バイやゲイというわけではないでしょう。でも、多くの人がワケアリでこの学園に来ていますから。没落しかけの家を建て直したいとか、何がなんでも自分の手で魔族を守る立場になりたい、とか。そういう使命の前には、きっと多少の嫌悪感や苦痛なんて些細なものだと考えている……あるいは考えざるをえない。そういうことだと、私は思っています」


 でも、と静は一歩前に出る。そして、その人形のような美しい顔でミノルを見上げた。淡く色づいた唇がゆるやかに弧を描く。


「私は、全然平気です。貴方なら……抱かれても」

「え、え?」

「嫌ですか?私相手では」

「そ」


 その角度は反則!とミノルは頬が熱くなるのを感じた。正直、静の見目は全然『男』という感じがしないし、静相手ならいいかなあ、なんて思ってしまった自分もいるのは確かなのだ。

 その上でそんな扇情的な顔をされたら――ちょっとぐらぐらっと来てしまう。こちとら健全な十八歳男子なのだから尚更に。


「い、嫌というか!お前もそういうこと言うのやめよう、な、な?」


 誤魔化すように、ミノルはひっくり返った声を上げた。


「もっと自分を大事にしろっての!セックスは好きな人同士でやるもんだ。そういう事簡単に言っちゃいけない、な?」


 その時。静の目に一瞬、寂しそうな色が過ぎった気がしたのは気のせいだろうか。


「……ええ」


 彼は小さく息を吐いて、こう告げたのである。


「安心してください、冗談ですから」

「お、おう……?」

「ええ、本当に。冗談ですよ」


 冗談。果たして、それはどこからどこまでだろう。ミノルはその時、それ以上のことを尋ねることができなかったのだ。


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