泰輔がそのまま伸びてしまったので、とりあえず騒ぎは一端収まることとなった。
「あのーもしもし?えっと……千堂サン?」
「静でどうぞ。呼び捨てで構いませんよ、陛下」
「あの、その、じゃあお尋ねするんですけどもね?」
さっきのアレを見てしまったせいで、口調がおかしなことになっているミノルが尋ねる。
「あれ、魔法?何をどうやったわけ?」
大柄な泰輔が、静に殴りかかることもできずに吹っ飛ばされた。突風が巻き起こったことはわかるが、静は一切の予備動作もなかったのである。精々、呪文を一言唱えただけにすぎない。
「あれは風属性の、一番下級の魔法ですね」
教室の倒れた机と椅子を戻しながら言う静。他の生徒たちも手伝ってくれている。小さな風が巻き起こっただけなので、ものが派手に壊れるようなことはなかった。まあ、約一名壁に叩きつけられて白目をむいているがそれだけである。
「基本的に攻撃系の魔法は八属性+無属性から成ります。炎、水、氷、雷、風、土、光、闇。そのうち貴方も授業で勉強することになるでしょうが……教科書が届いたら、真っ先に読み込むことをお勧めしますよ。自衛の手段にもなりますからね」
「俺にも使えるようになるのか?」
「勿論です。ただ、陛下の場合は記憶を取り戻さないと魔力も戻ってこないでしょうから、まず記憶を取り戻すのが先決ですけどね。それまでは知識を蓄えるのを優先した方がいいかと。魔力を手にしたらすぐ使えるように」
「う、うむ……」
なんだか、属性の名前もものすごくRPGっぽい。そんな場合ではないとわかっていつつも、わくわくしてしまうのはゲーム好きの性だろうか。
静によると。
魔法はどれも基本的に、基本八属性か無属性のどれかに属するものだという。そしてどんな人間も自分の得意属性というものを持っており、得意な属性の魔法は発動しやすく、苦手な属性の魔法は発動しにくいようだ。もちろん鍛えれば、苦手な属性もある程度は使いこなすことができるようになるようだが。
稀にこれらの属性の外にある魔法も見つかることがあるが、それは本当にレアケース中のレアケースなので、とりあえず忘れておいていいと言われた。
「確か、令和の日本にもゲームは多いんでしたね。魔法も登場する、と聴いています」
静はある程度、令和日本の文化に関してリサーチが済んでいるらしい。なるべくミノルがわかりやすいように説明してくれる。
「魔法は無属性以外、反発属性というものが存在します。炎と氷が反発し、水と雷が反発し、風と土が反発し、光と闇が反発する。炎属性が得意な人は潜在的に魔力が炎属性になるので、氷魔法を浴びると通常より大きなダメージを負います。氷属性の人が炎属性魔法を浴びてもしかり。また、相手の攻撃を防ぐ時も、反発属性の魔法を有効活用すると効率的に防いだり、打ち消すことができるというわけですね」
「ほうほうほう。で、さっきのは風属性魔法だから……あれを防ぎたいと思ったら土属性魔法をぶつけるのがいい、と」
「ですね。ちなみに、風属性魔法と土属性魔法はどちらも他の属性魔法と比べて派生技が多いことでも知られているので、このどっちかはある程度使えるようになった方がいいとは言われています」
このへんはおいおい説明しましょうかね、と言う静。
「召喚魔法になると少しハードルが上がるのですが……通常の攻撃魔法や回復魔法なんかはいたってやり方がシンプルです。魔力を練り上げて呪文を唱えて、それをトリガーにして発動し打ち放つ、それだけです。弱い魔法ならば少ない魔力で済み、強い魔法ならば大きな魔力が必要というわけですね」
「そんな、簡単に言ってくれるけどさあ……」
正直、自分にできるビジョンが見えないのが事実だった。自分の拳をグー、パーしながら言う。
あんな不思議な力が、本当に自分にも使えるようになるのだろうか。さっきしれっと静が言っていたが、どうやら魔王と参謀の二人は魔王軍の中でも頭一つ抜けた魔法の才能の持ち主だったらしいというではないいか。
正直現状では、静の方がよっぽど魔王っぽい、と言わざるをえないのだけれど。
「そのうちできるようになるって、君も!」
その時、ひょっこり顔を出した人物がいた。子供のように高い声、小柄な体躯、可愛らしい顔立ちの茶髪茶目の少年である。
「魔王陛下の力が戻ってくれば、魔力も戻ってきて、魔法の使い方なんかすーぐ思い出せちゃうと思うなあ!ね、ね、ね、いろいろ思い出したら、過去の戦争の歴史とか教えてね。僕そういうのすっごく興味あるんだー!」
目を輝かせる彼。そういえば、さっき群衆の中で、しきりに過去の魔王の話を聞き違っていた人物がいたような。どうやらこの少年だったらしい。
「えっと、お前は……?」
彼もこのクラスの生徒であるなら、高校三年生――十七歳か十八歳であるはずである。しかし、その見た目ははっきり言って小学生にしか見えない。身長も150cmあるかないかといったところだろう。
「むむむ、小さいからって今馬鹿にしたね?僕だって、結構魔法の成績いーんだからね?」
ぷくー、と頬を膨らませる少年。
「僕は
「俺、ミノルだからな?できれば名前で呼んでくれよ。……よろしく、三ノ宮」
「静くんを名前で呼ぶなら、僕のことも大空って呼んでくれなきゃやーです!」
「す、すまん。大空」
なんだかテンションが無駄に高い。そして、とても十八歳の男子高校生には見えない。
手を掴まれてぶんぶん振られながら頷くミノル。
「そのうち授業でやるだろうけど、魔法って理論上、できないことはなーんもないって言われてるんだよ。ね、静くん!」
「そうですね。あらゆる奇跡を実現する方法だと言われています。それこそ、私達が想像できる奇跡なら、なんでも起こすことが可能なんです」
静が大空の言葉を引き継いで言う。
「ただし、魔法には対価を支払う必要がある。炎の柱を立てる、雷を落とす……そういった攻撃魔法を行うために、我々は魔力という対価を支払っている。そういう仕組みなわけですね。裏を返せば、魔力で足らない奇跡を起こすためには、それ以上の対価をなんらかの形で支払わなければいけない、ということです。例えるなら、悪魔を呼び出すために命が要求される、とか」
なるほど、とミノルは頷く。理論上できないことはない――なんて言い方を大空がした理由がわかった。つまり。
「対価さえ支払えば何でも実現可能だけど、支払いようのない対価を要求される魔法は実質実現不可能になる……ってやつか。例えば、大魔王を呼び出すために百億人の命を捧げろとか言われたら実現できない、みたいな」
「そういうことです。話が早くて助かります」
「うんうん。だから、少ない対価で大きな魔法を発動する方法、みたいなのはずーっと魔族の研究者の間で研究されてるんだよねー。魔法って、研究対象としてもすごく面白いだよ。その歴史も!ミノルくんにも興味持ってもらえたらうれしいなあ!!」
なかなか奥が深い話のようだ。
後で、先生たちにもいろいろ訊いてみようかな、と思う。――この学園の敷地内から出られないというのはかなり退屈な気がしていたが、この世界のことを知るだけでも結構な娯楽になりそうだ。
「……ところで」
静は不意に、大空を含めた教室の皆を振り返った。
「私は今日、生徒会活動がないので問題ないのですが。……部活がある皆さん、そろそろ行かなくてよろしいのですか?遅刻しますよ?あと、滝川くん西畑くんは補習があるのでは?」
「ぎゃあああああー!?」
「うっわやべえ、そうだった!!」
「急げ、急げ、急げぇぇ!!」
静の言葉に、クラスメートたちは急に慌て始める。どうやら、この学校にも部活動の類があるようだ。あと、生徒会ということは、委員会もかなりの種類存在しているのかもしれない。
「とりあえず、陛下。寮の部屋をご案内します。それから、学校内の施設についても一通り。部活動も所属できますし、やってみたいでしょう?」
「あ、うん!三年生でもいいのか?」
「問題ありません。この魔王学園、成績良ければ大学もエスカレーターです。外部受験もできますけどね。だから三年生も基本引退しないんですよ」
「いいなソレ!」
やいのやいのと話すミノルと静。大空とも手を振って別れて、そのまま教室を後にしたのだった。
気絶している状態の泰輔を、置き去りにしたままで。
***
「くそ、がっ……!」
頭がガンガンする。一体どれくらい時間が過ぎたのだろう ――泰輔は頭を振りながら、体を起こしたのだった。
真から西日が射しこんできている。数十分は経過した、と見て間違いない。座っているこの位置からは、残念ながら壁の時計を見ることはできなかったが。
「くそが、くそが、くそがっ!」
ドン、ドン、ドン、ドン。
床に拳を叩きつけ、罵倒する泰輔。
「くそが、くそが、くそが、くそが……くそがよおおおおぉぉ!!」
バキ!と教室の床から嫌な音がした。床板がへこみ、大きな穴が空く。自分が壊したと知られたらまた先生に何か言われそうだが、もはや知ったことではなかった。後先を考えられるほどの余裕がない。イライラして、とにかく何でもかんでもブチ壊してやりたい気持ちでいっぱいだった。
元々、あの千堂静という男が泰輔は大嫌いなのである。
いつも自分を見透かしたような眼をして、どこか哀れむように見下ろして。確かに、自分は望んでこの学校に来たわけでもないし、望んで魔王の継承者を目指しているわけでもない。本当はもっとやりたいことがあったのにそれを取り上げられてここに来て――それでやや腐ってしまったのは事実だ。
しかし、来たからには選ばれなければいけない。中学では誰も自分に逆らえなかった。いつだって自分が一番で、最強だったのだ。あんなモヤシのような優男に、自分のアイデンティティを侵害されるなんて冗談ではなかった。
最強であることこそ、自分が自分であることの証明だというのに。
次代魔王に選ばれなければ、自分は欲しいものの一つも手に入らないというのに。
『泰輔、わかっているな?……お前の役目は、次の魔王に選ばれ……次世代を担うのはこの五條家であると、魔族全てに知らしめることだぞ。そうすればお前が好きなことをやる許可も出そう。悪くない条件のはずだが?』
父の冷え切った目を思い出す。わかっている、自分は、兄のスペアでしかない。学校の成績も兄ほど良くはなく、スポーツにばかりかまけていたことでほとんど見限られているということくらいは。
見返してやるためには、魔王の座を射止めるしかない。例え、人道に外れる行いをしたとしても。
「ナメやがって……」
ぎりり、と拳を握りしめて呻く泰輔。
「俺様をコケにしやがってよお……!何がなんでも、あいつの鼻を明かしてやらなきゃ気がすまねえ!!」
そのためには、あの静が狙っているという意味でも、魔王の座を横取りするのが最も効果的だ。ならば。
――一倉ミノル。あいつをぶちのめして、俺を継承者に指名させてやる……!
そのための方法は、あるのだから。