目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
<3・真夏のリグレット>

 どこにでもある、実にありふれた話だ。

 今年の夏――ミノルは、自分達、数沢高校かずさわこうこうサッカー部は、今年こそ全国に行けると信じてやまなかったのである。二年、三年は去年より遥かに成長している。いいコーチがついて指導してくれたのが功を奏した結果だ。マネージャーたちも増えてサポートも万全だったし、良い一年生ストライカーも入った。

 去年は関東大会で敗退。

 今年は必ず全国に行って、先輩たちが叶えられなかった悲願を達成する。それが、先代キャプテンから託された夢であり、ミノルにとっての夢でもあった。実際、地区大会はほぼ圧勝に近い形で勝ち進んでいたし、県大会だって途中までは順調だったのである。

 ところが、県大会の準決勝で――ミノルは、致命的なミスを犯してしまったのだ。


――あいつにだけは、絶対負けたくねえ。


 準決勝で戦った学校は文ヶ丘高校ぶんがおかこうこう。最近、メキメキと力をつけているダークホースの学校だった。というのも、この学校の去年全国優勝した高校からの転校生が入ったのである。

 設楽敬之したらけいすけ。どこか、こちらを嘲笑うような眼で見てくる、鼻持ちならない男だった。そいつがまだ二年生、というのもムカついた。一年年下の男に、それも全国優勝のチームから別の学校に転校してきてしれっとレギュラーに加わっているようなヤツに負けたくない。彼に固執するたまり、ミノルは司令塔として冷静さを欠いた指示を出してしまったのである。


『あの11番の設楽をなんとしてでも止めるんだ。ディフェンス、もうちょっとオフサイドトラップのタイミングを合わせろ。それから高橋と松林、お前ら二人がかりできっちりマークしろっつっただろうが、手を緩めてんじゃねえよ!』

『で、でもキャプテン……』


 名指しされた一年生二人は、どちらも中学からのサッカー経験者だった。だからこそ理解できたのだろう。オフサイドトラップに関してはいいとして――いくらなんでも、設楽に二枚もマークを割くのはやりすぎだ、と。


『オレ達二人とも設楽に関わってたら、左サイドがら空きになりますよ。さっきから、そっちばっかり抜かれてるじゃないですか。さすがにマークは一人にした方が……』

『一人であのパワーを抑え込めるわけないだろ!悔しいけど、俺らの方が力が下なんだから!!』


 半分、八つ当たり。

 本当に本当に――あの時の自分はどうかしていた。


『あいつを自由にしたら、もっともっと点を取られる。これ以上失点したら取り返しがつかない!……とにかく、あいつを封じて向こうを焦らすんだ。向こうが左から攻めくるのがわかってるならこっちも対応のしようがある。向こうのパスを誘導してカットするんだ、あちらさんは左から攻めて煮え詰まったら、今度は10番の秋山にパスするパターンが多い、そこを狙え!!』

『わ、わかりました……』


 フィールド全体が見えている気になっていた。実際、観察眼にも、サッカーの個人技にも自信はあったのだ。

 ただ、チームの指揮官としては失格だった、というだけで。


『ああっ……!』


 運動量も多く、体力バケモノである設楽のマークに割り振られた一年生二人は――後半で、あっけなく潰れた。

 結局自分はエースを押さえきることもできず、向こうの多彩な攻撃を防ぎきることもできず、チームを敗北へと導いてしまったのである。

 そしてそのまま、数沢高校サッカー部の夏は――終わった。三年であるミノルも、そのまま失意のうちに引退することになったのである。


――本当に、馬鹿みてえ。


 確かに、設楽の態度はムカつくところもあった。傲慢だったし、自分のところの先輩に対してもあまり敬意を払っていない様子だった。

 だが裏を返せば、向こうの連携にはまだまだ粗があったということである。実際、自分達に勝利した文ヶ丘高校もまた、関東大会で敗退し全国へ行くことができなかった。もう少し、もう少し自分が冷静に作戦を立てていれば、彼を倒すことに必要以上に固執しなければ――チームはもっと先まで勝ち進むことができたかもしれないのに。

 みんなの為の勝利。みんなと勝って笑えるチームを作りたい。先代キャプテンに、確かにそう誓ったはずだった。絆を大事にするチーム、仲間の力を信じるチームにしようと。

 しかし結局、最後は自分のエゴでチームの夢を終わらせてしまったのである。己の心の狭さ、器の小ささが本当に嫌になる。年相応の若さだの幼さだの、そんな言葉で片付けたくはなかった。どんな理由であれ、自分は先輩たちのことも、仲間や後輩のことも裏切ってしまったことも間違いないのだから。


――サッカー、やりたいな。


 学校の休み時間。ちらりと窓を見たミノルは、グラウンドを見てため息をついた。

 一部の少年達がボールを蹴っているのが見える。遠くて顔までは見えないが、多分サッカー部ではないのだろう。ドリブルもおぼつかない、パスも明後日の方へ向くという体たらく。お世辞にも、彼らの技量が高いとは言えない。

 それでもどこか、楽しそうに見えるのだ。時々楽しそうな声とともに、お互いを励まし合っている声が聞こえてくるのだから。


――俺も、昔はああやって……ヘタクソでもいいから、ボール蹴ってるだけで幸せだったってのに。


 勝つことが全てではない。

 それでも、勝てなければ望んだ夢は見られない。

 自分は楽しいサッカーをしながらも、みんなを勝たせてやるのが仕事だった。チームの者達の中にはきっと、自分を恨んでいる人間もいることだろう


「……ル」

「はあ……」

「……ル!おい、ミノルってば!」

「あっでえ!?」


 突然額に衝撃。真ん中あたりをデコピンされたのだと気づいたのは、目の前にクラスメートの顔が見えたからだ。同じクラスにして同じサッカー部に所属している万田謙介である。ツンツン頭が特徴的で、180cmという高身長男子だった。まあ、本人はあまりモテないと嘆いてはいたが。


「ミノルくんや、ちょっとナーバスになりすぎてやしませんかねえ?」


 呆れたように、謙介は言った。


「グラウンド見てため息。何回目?」

「……そんなにやってたか、俺?」

「おれが見るたびにやってんねー。まあ、何を思ってるのかは想像つきますけども。人と喋っている途中で意識飛ばすのはちょっと酷くないですかね?」

「いや、その、別に飛ばしていたわけじゃないけど……」


 そういえば、彼と進路について喋っていたんだっけ、と思い出す。グラウンドの光景を見たら忘れられない試合のことを思い出してしまって、ちょっとだけ気持ちが沈んだというだけで。


「……あんな、ミノル。何回も言うけどさ」


 謙介は前の席の椅子に座って言った。


「あの準決勝の試合。負けたの、ミノルのせいじゃないかんな?」

「…………うん」

「ほら、その顔だよ。『慰めありがとう、本当は恨んでるんだろ』……みたいな顔やめませんかね。いやほんと、誰もお前のこと恨んでないから。作戦ミスがなかったとは言わないけど、最終的に納得してお前の指示に従ったのおれら全員なわけ。それに、あの時はどんな作戦取るのが正解だったかなんて誰にもわからないっつーか。今でも、おれもわかんないしな。きっとみんなそうだよ。だから、お前ひとりに責任押し付けらんないわけ。みんなで頑張った結果、及ばなかったってだけなんだからな?」


 ぐい、と顔を近づけてくる謙介。


「文ヶ丘高校は、強かったんだよ。設楽の奴もヤバかったけど、サポートしたキャプテンの秋山もイカしてたし、他のチームメイトの動きも良かった。単純に、実力の差で負けたんだよおれ達は。お前の作戦がどうであれ、結局負けてたかもしれないんだ」


 だからお前のせいじゃない、と。彼は繰り返しそう言う。

 わかっている、謙介が自分を心配してくれていることは。いつまでもひと夏の出来事を引きずって、未来まで壊してしまうのはもったいないと思ってくれているということは。


「大学行っても、サッカーやめないでくれよ。勿体ないだろ」

「謙介……」

「まあ、おれみたいに、そもそも志望校に受かるかどうかも怪しい人間もいるんだけどな!二学期のさあ、期末テストマジでヤバかったかんな。おれ一生日本で過ごすわ。外国行かない。外国行かなければ英語なんてものは必要ないって、なんで先生たちはわからないのかねー」


 英語滅べー!と叫ぶ少年。明らかに、ミノルを笑わせたくて話題を切り替えたのがわかった。

 ここでその厚意を無下にするべきではない。だからミノルも、笑顔を作って言うのだ。


「昔ながらのコロコロ鉛筆でも作ってみるか?少なくともそれで、マークシートくらいは当たるようになるだろ」

「ミノルくんや。それは俺の正答率が、運任せよりも低いと言いたいわけ?」

「だって赤点だったんだろ?もう一回赤点取ったら次は……」

「いやあああああやめてええええぇぇー!!」


 まるでムンクの叫びのような顔をして派手に悲鳴をあげる謙介。ミノルはそれに、大袈裟なほど声を上げて笑ってみせたのだった。笑えた、フリをしたのだった。


――そうだ、いつまでも同じところで立ち止まっているわけにはいかない。時間はどんどん進んでいく。望んでも、あの日に戻れるタイムマシンなんかないんだから。


 適当なところで、トイレに行くからと席を立った。

 最後の試合のミスで、自信をなくしている。自分の力不足を悔いて、後悔している。そして、今までずっと死ぬ気で頑張っていたものがなくなって、感情の行き場がなくなっている。そんなもの、自分だけが経験するようなことではない。苦しくて、悔しくて、眠れないくらい気持ちを持てあましている人間なんてこの世にどれだけいることか。

 自分は間違いなく恵まれている方だ。優しい家族がいて、友達もいて、辛さを分け合うこともできるのだから。世界で一番不幸なんて大袈裟なものではない。それなのにいつまでもうじうじと悩んでいては、支えてくれた人達にも失礼ではないか。


――前を向かなきゃ。サッカーが、この世の全てじゃない。


 用を足した後、手を洗いながら鏡を見つめる。


――他にもきっとあるはずなんだ。俺にしかできないこと。人のためにできること。大学に行った後だって、それよりもっと後だってきっと。だから……。


 その時だった。

 鏡の中の自分の顔が、ぐにゃりと歪んだように見えたのは。そして。




『み つ け た』




 その声が、はっきりと脳内に響き渡ったのは。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?