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「不純異性交遊禁止っす」

 第三者の声が校舎裏に木霊したのは、僕と由良理がキスを交わしてから数秒後のことだ。

 僕は由良理から離れ、声の主を見る。キスを途中で中断させられたことが不満なのか、由良理は唇を尖らせたまま眉をひそめている。

「キス百回の刑はどうなっとっと? まだ一回しかしとらんよ」

 残念ながら人前でキスをする勇気は持ち合わせていない。僕は由良理の質問に返事をすることができず、苦々しい笑みを浮かべることしかできなかった。

「……佐屋?」

 由良理は声の主を視界にとらえ、佐屋と呼んだ。

「どもども」

 由良理の声に反応し、僕と由良理の前に佇む女の子は片手を挙げて答える。その女の子は長い栗色の髪を後ろで結ってポニーテールを作っていた。表情からは快活さが満ち溢れているような印象を受ける。

「佐屋? ……もしかして、時津佐屋ちゃん?」

「んま、ちゃん付けで琉来先輩から呼ばれるなんて初体験ですねー。照れる照れる」

 由良理から佐屋と呼ばれた女の子は、口元で手の平をバタつかせる。どう考えても照れているようには見えないのだが、突っ込みを入れるべき点はそこじゃない。

 時津佐屋は、僕が才能を開花させた五人の女の子の中の一人だ。

「由良理先輩、琉来先輩が痴呆症になったって聞いたんですけど本当っすか?」

「痴呆症じゃなくて記憶喪失ばい」

 由良理と佐屋は、仲良さそうに話している。その話の内容が些か気に障るのが問題だけど、それはこの際目を瞑ろう。才能者同士で争われたりでもすれば、どうやってとめればいいのかわからないからな。この雰囲気には少しホッとしている。

「二人は仲がいいのか?」

 僕は佐屋に質問する。僕の視線が佐屋に向いていることに気づいた由良理は、頬を膨らませてムッとした。

「別に良くなか」

 その口調には刺がある。僕の視線の先に由良理以外の女の子が映るだけで嫉妬の対象になってしまうのか。佐屋は由良理の膨れっ面を見て、うんうんと唸っている。何を考えているのやら。

「ですよねー」

 和気藹々と自分たちの仲が悪いと言い合えるのは、むしろ仲がいいのではないかと思うが、僕の勘違いなのだろうか。兎にも角にもこれで僕は由良理に続いて二人目の才能者と出逢うことができた。佐屋に出逢った僕がすることはただ一つ。欠落してしまった記憶を取り戻すため、協力してもらうことだ。

 コホンと咳払いをして、佐屋を見つめる。途端に、すぐそばから殺気が沸いた。恐らくは由良理が怒の感情を露にしているのだろう。ここは我慢だ、我慢。

「えっと……佐屋ちゃん、あのさ……」

 由良理のときは、咲也が説明をしてくれたから割とスムーズに才能を行使してくれることが決まったが、今は咲也不在だ。僕が直接、佐屋にお願いするしかないけど、どうやって話を切り出そうか。

「ところで琉来先輩、キス百回の刑って何ですかね? できれば自分も混ぜてほしいんですけど」

「佐屋はダメばい。サキは、うちとキスするとやけん」

「キミの才能を使って、僕の記憶を……」

「そこをなんとか頼みますよ由良理先輩。自分も琉来先輩とキスしたいっす」

「サキはうちのもんばい」

「あの、二人とも……話を聞いてほしいんだけど」

「んん? 何すか、琉来先輩? 今重要な話をしているところなんですけど」

 今の話のどこら辺が重要なのか是非教えてもらいたいものだ。僕は再度、咳払いをして息を整える。僕が佐屋を見るたびに由良理から感じる殺気が凶悪なものへ変化していくような気もするが、ここは耐えよう。この機を逃せば次はいつ佐屋に会えるかわからない。

「佐屋ちゃんの才能について、教えてほしいんだ」

「自分の才能についてっすか?」

 佐屋が聞き返してきたので僕は頷く。その姿を見やり、佐屋は胸の前で腕を組んだ。

「教える必要なんかないっすよねぇ? だって自分の才能を開花してくれたのは琉来先輩じゃないすか」

 佐屋は「ですよね、由良理先輩」と視線を由良理に移して同意を求める。そのお陰で由良理から発せられていた殺気が途切れたので、緊張から抜け出すことができた。

「いや、あのさ、さっき由良理が話していたけど、今の僕は過去の記憶を欠落してしまったせいで、佐屋ちゃんがどんな才能を持っているのか忘れているんだ」

「……ということは、あれはただの噂じゃなくて、事実ってことですかね?」

 佐屋の言葉に対し僕は首を縦に振った。ようやく理解してもらえたらしい。

「記憶喪失っすか……なんだか大変そうっすね」

 咲也は言っていた。僕が才能を開花させた五人の女の子たちは、きっと僕の力になってくれるはずだと。その言葉通り、由良理は僕の力になってくれた。もちろん、キスをしなければならないという条件付きだったけど、僕のことを敬愛してくれているのならば、佐屋も開花させた才能を僕のために行使してくれるはずだ。

「別にいいっすよ。琉来先輩のためですからねー。でも、一つだけ条件があるっす」

 しかし才能者というものは一筋縄ではいかない者ばかりらしい。

「条件?」

 佐屋は、今日の由良理と同じ台詞を吐いた。

 才能者というのは、何故お願いを聞く代わりに条件をつけたがるのだろうか。もし、僕が才能を開花させた女の子たちが皆同じような性格をしているのだとすれば、僕はこれから先、あと三度の条件を呑まなければならないことになる。由良理の殺気が限界点を超えて爆発しないよう気をつけよう。

「さっき由良理先輩が言ってましたけど、キス百回の刑に自分も混ぜてください。それがダメなら、自分の才能は披露できませんねー」

 佐屋の台詞を耳にした瞬間、由良理の殺気を肌で感じた。なんという威圧感だ。

「いや、それは……」

 僕は口ごもる。キスをするだけで才能を行使してくれるのならば、僕は喜んでキスをするだろう。但しそれは由良理と出逢う前の僕であればの話だ。今の僕はすでに御剣由良理という女の子と出逢っている。そして心を奪われてしまった。

「無理だよ。ごめん」

 幼なじみだから、というわけではない。御剣由良理という女の子に夢中になってしまった自分がここにいる。それだけの単純な理由だ。だからこそ僕は佐屋とキスすることができないし、由良理を怒らせるようなことはできない。

「そうっすか。いやいや残念っすね」

 あっはっは、と豪快に笑っているので、あまり残念そうに見えない。

「いやー、由良理先輩が羨ましいっすよ。琉来先輩にベタベタできる人なんて、他に誰もいませんからねー」

 そういうものなのだろうか。いや、確かに……神楽坂学院内での僕は、尊敬の対象であり、カリスマを持った存在として注目されているようだ。だからこそ僕に近づこうとする人は滅多にいない。それは今日一日を通して気がついたことだった。

「……」

 僕は学生達に尊敬されていると同時に、恐れられているのではないだろうか。そんな疑問が浮かんでくる。そして僕の不安に拍車を掛けるような台詞を佐屋が口にする。

「今の琉来先輩って、昔の琉来先輩と雰囲気がまったく違いますよねー。なんか、昔は何者にも囚われない空気を身にまとった印象があったっすけど、今の琉来先輩は近寄りやすいっていうか、なんていうか……その、とにかく弄りやすい!」

 それは喜ぶべきことなのかどうか悩むところだが、何はともあれ昔の僕は、あまり人付き合いが良いほうではなかったらしい。そんな僕のことを好きだと言ってくれる由良理には改めて感謝しなければならないな。

「まあ自分の条件が呑めないなら、琉来先輩のお願いを聞くことはできないっすね」

 由良理を怒らせてまで才能を行使してもらうつもりはないので、これはこれで構わないと思っている。佐屋がダメでも、僕が才能を開花させた女の子はまだ三人いる。その三人の中、一人でもいい。僕の記憶を取り戻すことができる才能者がいれば――

「それじゃあ由良理、僕はそろそろ帰るよ」

 僕は佐屋に「ありがとう、佐屋ちゃん」とお礼を言い、由良理に話しかける。

「記憶ば欠落しとって家に帰れると? うちが一緒についてくばい」

 その反応はあながち間違っていない。咲也には先に帰っていてくれと言われたのだが、僕はまだ記憶喪失になってから家と神楽坂学院を往復すらしていない。今朝方に通った通学路も、周囲の学生たちの視線に戸惑いを隠せなかったので、道順など覚えているはずもなかった。

「お願いしてもいいのか?」

「もっちろんばい!」

 由良理の申し出に僕はホッと一息つく。由良理が案内役を買って出てくれたので、無事に帰ることができそうだ。

「あ、ちょっと待っててくださいよ。自分も琉来先輩の家に遊びに行くっす!」

「佐屋はこんでよか」

 うわ、あからさまな拒絶だ。由良理の嫉妬は異常な域に達している気がする。これも才能者ゆえの性格なのかな。由良理は詰まらなそうな顔で佐屋を一瞥している。色んな表情の由良理を見られるのは僕としては嬉しいことこの上ないのだけれど、それが原因で友達関係に亀裂が入るようであればとめなくてはならないな。もっとも、すでに手遅れのような気がしないでもないが、由良理の不機嫌の原因は僕自身なので、僕がいないところでは由良理と佐屋も仲がいいはずだ。佐屋が由良理のことをからかわなければの話しだけど。

「そんな硬いこと言わないでくださいよ由良理先輩。葵と千歳も呼んできますんで、正門で待っててくださいっす」

 葵と、千歳?

 その名前には聞き覚えがある。

「手妻葵ちゃんと、琴倉千歳ちゃんのこと?」

「んー、昔の琉来先輩と違って、今の琉来先輩って年下の女の子には、ちゃん付けで名前を呼ぶ癖があるみたいっすね」

「そ、そうか……?」

 昔の僕が佐屋たちのことをどんな風に名前を呼んでいたのか知らないから、いまいち理解し難いのだが、佐屋は微笑を浮かべて答える。

「そうっす」

 断言されてしまった。特に意識して呼んでいたつもりはないのだが、言われてみればそのような気がしないでもない。

「琉来先輩から、ちゃん付けで呼ばれる日がくるなんて思ってもみませんでしたよ。葵と千歳も喜ぶと思うっすよ」

 そういうものなのだろうか。僕にはよくわからないが、佐屋が「そういうものっすよ」と付け加えてくれたので、ここは納得すべきなのだろうけど。

「早く呼んでこんね。そいでそんまま戻ってこんでよかけん」

 僕に話しかける佐屋に対して、イライラを隠そうともせず由良理が口を開く。由良理からすれば、現時点での時津佐屋という存在は、邪魔者以外の何者でもないようだ。僕と二人きりでいたときにみせる、甘く囁きかけるような口調からは想像することも困難なほど、佐屋が現れてからの由良理は態度が一変していた。

「厳しい台詞っすねー。由良理先輩は恐いから、琉来先輩にお願いしておくっす。葵と千歳も琉来先輩に会いたがってるはずなんで、絶対に待っててくださいね」

「ああ、わかったよ」

 僕の返事を聞いて安心したのだろう。佐屋は中等部校舎の方へ走り去っていく。

 徐々に小さくなっていく佐屋の背中を眺めていると、隣に立つ由良理が僕の方を振り向くのが視界に映った。

「……どうした? 由良理」

 由良理の表情から険が抜け、佐屋がやってくる前の朗らかな顔つきの由良理がそこにいた。佐屋がいなくなった途端、これだからな。わかりやすい性格をしているよ。

「続きばしよ、サキ」

 近距離から僕の身体に体当たりをかまし、その勢いでしがみつく。周囲の目を気にすることなく抱きつくことができるのは、一種の才能かもしれないな。それはさておき、由良理の言う続きとは、どう考えてもキス百回の刑のことだろう。それ以外に思いつかない。

「でも、正門で待っておかないと佐屋ちゃんたちが来たときにぐっ!?」

 由良理の頭突きが、顎にヒットした。

「つづきっ、つづきっ、サキ、つづきっ!」

「いっ、痛い! ちょっ、痛いから由良理、ジャンプするのはやめてててっ!」

 僕の言葉を遮り、由良理はキス百回の刑の続きを求めて僕を急かす。抱きついた状態で飛び跳ねてくるので、由良理の頭が僕の顎に当たり、さらに飛び跳ねて着地するたびに足を踏まれる。返事をするだけでも一苦労だ。

「わ、わかった! 分かったから離れでっ!」

 顎に決まった由良理の頭突きによって、網膜に星が浮かんだような気がした。膝をつかなかったのは奇跡に近い。……いや、由良理に掴まれていて倒れることもできなかっただけのことか。やれやれ。

「んーっ」

 由良理は飛び跳ねるのをやめると、目蓋を閉じて唇を僕に向ける。準備万端らしい。

「由良理、目を開けて」

「んーっ?」

 由良理が喉を鳴らして返事をする。どうでもいいから早くキスをしろ、と目を瞑ったまま眉根を寄せて訴え掛けている。僕には選択権というものがないようだ。

「……それじゃあ、さっきのが一回目だから、今度は二回目だな」

 そう言って、僕は由良理の口元に顔を近づけた。


     ※


「サキ、早く帰ろ?」

 二回目のキスをした後、惚ける由良理の腕を半ば強引に引っ張り、正門前へと連れてきた。暫くの間夢見心地にあった由良理だったが、僕が正門の前で足をとめると同時に正気に戻り、早く帰ろうと連呼する。

「まだダメだよ。佐屋ちゃんたちがくるのを待たないと」

 才能者を宥めるのも、僕の役目かな。咲也に言われたからというわけではないけど、才能を持つ人間というのは、一癖ある者ばかりだ。

 僕が望まなくとも才能者の方から近づいてくる。そして僕はいつの間にか巻き込まれる。

 いずれにせよ、僕が何らかの意思表示を示さなければ、僕に近づいてくる才能者たちはお互いに衝突し合うことになる可能性が高い。その点に関してだけは注意しておかなければならない。

「待たんでよか。うちがおれば家に帰れるもん」

「いや、そういう問題じゃなくてだな……あっ」

「? どしたと、サキ」

「僕たち、鞄を持ってないぞ」

「……あにゃ」

 僕に言われて気づいたのか、由良理は自分の手元を見る。僕と由良理は、鞄を持っていない。二人で校舎裏に向かったときには、すでに持っていなかった。ということはつまり、教室に置き忘れているということになる。

「由良理、ちょっとここで待っていてくれ」

「鞄ば取りに行くとならうちもついてく」

「いや、由良理がついてきたら後からやってくる佐屋ちゃんたちが困るだろ? だから由良理にはここで待っていてほしいんだ。由良理の鞄も一緒に持ってくるからさ」

「……早く戻ってこんば怒るけんね」

「ああ、もちろん。すぐに戻ってくるよ」

 由良理の頭に手を置き、ぐしゃぐしゃと撫でてやる。由良理は目を瞑り、くすぐったそうに身体を捻らせている。可愛いヤツだ。由良理の笑顔を見ているだけで、幸せな気分になる。退屈させないためにも、早く鞄を取ってこよう。

 由良理を一人正門に残した僕は、急ぎ足で高等部校舎へと向かった。


     ※


 下駄箱で上履きに履き替え、階段を二段飛ばしで上っていく。二階の廊下に出ると、そのまま歩き進む。放課後ということもあり、校舎内に残っている学生の数は少ない。だけど僕の存在自体が周囲の目を引くので、学生の数が多かろうが少なかろうがあまり代わり映えすることはないな。視線が向けられているのを肌で感じつつ、それに気づかぬ振りをして四組の教室を目指した。

「あれ……?」

 他のクラスとは異なり、四組の教室内は閑散としている。

 そんな中、教室内に見知った顔を見つけた。

「……阿栖葉さん?」

 僕の声に気づき、彼女は緩慢な動作で僕の方を振り向く。彼女は僕の席に座っているみたいだ。いったい何をしていたのだろうか。

「あら、あら、咲崎さん?」

 彼女はゆったりとした口調で僕の名前を呼んだ。

「阿栖葉さんは三組だよね? 四組の教室で……それも僕の席で、何をしてるの?」

「何を、しているのか、ですか? ふふっ、惚けないでくださいよ」

 クスクスと笑みを零し、椅子を引いて席を立つ。彼女はこんな奇妙な笑い方をするような人には見えなかったのだが。

「ついさっき、わたしの相手をしてくれたじゃないですか。もしかして、忘れちゃったんですか?」

「……僕が、キミの相手を?」

 首をかしげて反問した。彼女に会ったのは昼休みに廊下でぶつかった時だけだ。それをついさっきとは言いがたい。他の誰かと勘違いしているのではないだろうか。

 彼女は僕の疑問に答えるつもりはないらしく、口元に笑みを張り付けているだけ。

「わたし、今、すごく気分がいいんですよ。身体が熱くて、溶けてしまいそうです」

 ゆっくりと近づいてくる彼女から、僕は危機感のようなものを覚えた。

 何かがおかしい。どこか重要なネジが外れてしまっているような、そんな空気がこの場を支配している感覚に陥ってしまう。

「ふふふ、普通じゃなくなるのって、こんなにも素晴らしく気持ちのいいことだったんですね。わたし、感動しました」

 僕の目の前で立ち止まると、ゆっくりゆっくりと顔を近づける。この瞬間、今までとは異なる疑問が沸いた。それは単純な違和だ。

「阿栖葉さん……いや、キミは誰だ?」

 常識的に考えれば、それは失礼な質問なのかもしれない。しかしだ、今の彼女にはその台詞がもっとも相応しい気がした。僕は彼女から一歩下がり、違和の元となっている疑問を口にした。頭に引っ掛かっている謎のせいで、もはや彼女の名前を呼ぶことすらできなくなりそうだ。

「くふっ、咲崎さんはおかしな方ですね。今、わたしのことを阿栖葉と呼んでくれたじゃないですか。それとも、わたしが秋十重阿栖葉ではないとでも?」

「……確認の意味を込めて聞いただけだ。気分を害したのなら、謝るよ」

「そんなことないです。むしろ、嬉しくて嬉しくて嬉しくて……キスしたくなっちゃいました。……ねえ、してもいいですか?」

「……」

 決定。今現在、僕の目の前に佇んでいるのは秋十重阿栖葉ではない。否、正確に言い表すのであれば、それは僕の知っている彼女ではないということだ。僕は彼女の横をすり抜け、自分の机の横に掛けられている鞄と由良理の鞄を手に取ると、踵を返すように教室から退出しようと試みる。しかし彼女が入り口に立ち塞がり進路を妨害されてしまった。

「……そこ、退けてくれないか?」

「嫌です、と言ったらどうしますか? ふふっ」

 昼休みに会ったときとは別人のようだ。これ以上関わり合いになるのは御免だ。彼女が塞いでいるのとは別の入り口を目指し、僕は駆け出そうとした。しかしそれを防ぐべく彼女は僕の腕を掴む。

「離してくれ」

「記憶が、ほしいんです。咲崎さんの記憶が」

「……記憶だと?」

 彼女の表情を窺う。秋十重阿栖葉の顔をした彼女は恍惚とした笑みを浮かべている。

「それはどういう意味……っ!?」

 彼女に質問をぶつけようと思ったのだが、第三者の登場により僕の台詞は中断されてしまった。僕の腕を掴む彼女の手を払いのけた人物、それは咲也だ。

「さ、咲也? どうしてここに……」

「羅衣音を捜していたのさ。そしたらキミがまだ教室にいたから、寄ってみた」

 言って咲也は、視線を僕から彼女へと移した。目が、笑っていない。

「さて……、何の用か知らないが、一般人が咲崎琉来に関わるな」

 冷たい言葉を浴びせる咲也は、今までの彼から感じる雰囲気を逸脱していた。彼女を前にして、咲也は何かを焦っているようにも見える。

「わたしは、普通じゃない、です。だって……咲崎さんから、素晴らしいプレゼントを頂きました、から」

「お前、少し黙れよ」

 咲也がぽつりと漏らす。

「咲也?」

 彼女に向けて手を翳し、ゆっくりと口元を動かす。何かを呟いているようだが、声が小さすぎて聞き取れない。やがて呟くのをやめると、咲也は身体を反転させた。

「さあ、行こうか」

「……え?」

「阿栖葉のことなら気にするな。君は過去の記憶がないから忘れているみたいだが、こいつは普段から頭がおかしいのさ。放っておけば、すぐにいつもの調子に戻る」

 そう言われても今の彼女の状態を見て放っておくことなどできようものか。僕自身、彼女に対して危機感を感じ取っていたが、しかしこのままにしておくのも気が引ける。

「でも」

「由良理を待たせているんだろう? 早くしないと怒られるぞ」

 シニカルに笑い、咲也が僕を急かす。

 確かに遅くなればなるほど由良理の機嫌は悪くなり、怒りが爆発しそうだ。佐屋たちも正門に集まっている頃だろう。早く駆けつけた方が良さそうだ。

「そ、そうだな」

 僕が頷くのを確認してから、咲也は彼女の横をすり抜け、教室の外に出る。僕も同じようにして彼女の横を通り抜けた。彼女は放心状態にあるかのような虚ろな目をしていた。咲也が何をしたのか、僕にはわからない。ただ一つだけわかることがあるとすれば、咲也が何か特別なことをしたということくらいだ。

 僕の予想が正しければ、それは恐らく、才能の行使――

「なあ、咲也」

「うん? どうした、琉来」

 手を翳しただけで、彼女は喋るのをやめた。

 思考が停止してしまったような表情で、真っ直ぐ前を見つめ続けている。僕たちがそばにいることにさえ、気づいていないのではないだろうか。

「……いや、何でもない」

 咲也は言っていた。僕が才能を開花させたのは、五人の女の子だと。しかしそれは嘘のような気がする。僕が才能を開花させたのが五人だけならば、咲也は何故、才能を持っているのか。そして先ほどの秋十重阿栖葉の言動。何かが引っ掛かる。僕の感じている違和は徐々に大きさを増していく。

「さあ、急ごうか」

 咲也の声に続き、僕は正門へと向かった。


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