真っ暗な世界に二人だけ。そこにいるのは僕と彼女の二人だけ。
『――ねえ、サキ。才能の開花ってなんね?』
方言混じりの喋り方をする彼女は、僕に質問を投げかける。
『才能を開花させたい人間の脳をぐちゃぐちゃに掻き混ぜればいいのさ』
彼女の問いかけに、僕は口元を歪めてひどく楽しそうに言葉を返した。
『脳ば、まぜまぜ……?』
眠たそうな眼を開くと、彼女は両手を広げてみる。そんな彼女の姿を視界にとらえつつ、僕は内心、彼女のことを嘲笑する。そんなことをしてみせて、僕の興味を得られるとでも思っているのだろうか。彼女は才能を持っていないのだから、その行動に意味が伴うことはない。それすらも理解できないほどバカなのか。
――真っ暗な世界で彼女からサキと呼ばれているのは僕だ。表面上、彼女に優しく接しているように見えるけど、本当は道端に転がっている小石でも見ているかのように興味なさげだった。考えるのをやめようとしても、僕は彼女に対して冷たい感情を抱くのをやめようとはしない。その感情が彼女に届くのであればまだ、救いようはある。しかしそれは僕が心の中で考えていることなので、彼女が他人の思考を読み取るようなことができない限り、決して知りようのないものだ。
『そいはさ、どげんすればできるようになると?』
無知を相手にするのは疲れが溜まる。糧になる結果を見出せない。才能を開花させる話をしたところで彼女の記憶には何も残ることはないだろう。単純なヤツだからな。
――心の中で呟く僕の瞳は薄汚れていた。
『この才能はね、才能を持つ者に選ばれた者にしか扱うことのできない特権のようなものなのさ。才能を持つ者に選ばれなかった人間がどれほど努力したとしても、扱えるようにはならないんだよ』
『とっけん? サキはなんでそいばできっとね?』
ただひたすらに首をかしげ続ける彼女は、侮蔑の対象でしかない。それでも僕は彼女の相手をする。暇を持て余していた僕にとって好都合でもあるし、それ以外の理由など何一つとして存在しない。本来ならば向かい合って喋るだけでも虫唾が走る。
――辛辣な言葉を一切口にすることなく、丁重に言葉を選んで返事をする僕に対し、僕は嫌悪感を覚えた。それは形容しがたいものであり、自身が嫌悪の対象になってしまったことへの落胆を表していたのかもしれない。
『才能を持った人間の中でも……僕は唯一、神様に選ばれし存在だからかな』
唯一無二の存在であることを宣言するが、彼女は首をかしげることしか芸がないようだ。
『サキ……言っとることの意味がようわからんばい』
凡人は天才の発言を理解することができない。それを承知で説明を続けなければならない僕の身にもなってほしいものだ。バカを相手にするのは退屈しないから構わないが、それが僕の興味に転化するようなことなど先ずありえないだろう。
『大丈夫さ、由良理(ゆらり)。……今はまだ、わからなくてもいいんだよ。キミには才能の開花など必要ないからね』
僕は彼女のことを由良理と呼んだ。それが彼女の名前だからだ。
『そうなん? うちには必要なかと?』
――由良理には才能を開花する必要はない。しかしそれは嘘だ。真っ暗な世界に佇む僕は嘘をついている。僕は僕に口出しすることができないけれど、僕と僕の思考は繋がっているから何を考えているのか理解することができる。
そう、僕は退屈しのぎに由良理の脳を弄り、才能を開花させようと企んでいた。
『……さあ、そろそろ帰ろうか』
振り向いてみれば、木製のドアが僕と由良理の前に現れていた。どうやらここはなんでもありの世界のようだ。この世界ならばきっと、僕は退屈することもない。しかし由良理と二人だけ、というのは苦痛だ。早くこの世界から抜け出すことにしよう。
『うん! それじゃあ……手ば、繋いでもよか?』
由良理は上目づかいに僕を見つめる。
『もちろんだよ』
わざと恥ずかしそうに手を差し出し、本心を隠した笑みを作り上げてみせる。由良理はバカだから僕の演技に気づかない。由良理は僕の手を握り、馴れ馴れしくも肩をぶつけてくる。鬱陶しいことこの上ないヤツだ。いっそのこと、本音を打ち明けてしまおうか。
それもいい。由良理の哀しむ顔は僕を退屈から解き放ってくれるはずだ。
でも、少しだけ我慢することにしよう。僕の計画はまだ始まったばかりだからね。現段階で破綻させる気など毛頭ない。もっと、もっと楽しませてくれ。他人の才能を開花することのできる才能を得た僕に、脳髄を潤してくれるような充足感を与えてほしい。
だから僕は嘘をつく。由良理、キミは必ず才能を開花するだろう。そして僕を楽しませるため、人間から出来損ないの人形に成り下がることを約束しようじゃないか。
――真っ暗な世界の僕は、どこまでも狂っていた。