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五感がなくなる病
夏城燎
文芸・その他純文学
2024年12月08日
公開日
10,212文字
連載中
「あなたは『五感』がなくなる病に罹りました」

奇病を患った主人公の徐々に薄れていく五感と感情。そして最後に何を想うのか。
死ぬ行く人と周りの人間の、短くも儚い愛の話です

五感がなくなる病


 僕はよく「淡泊な人だね」と言われてきた。

 塩顔でアホ毛があって、体形はやせ型の身長も平均より少し低いくらい。

 「あまり喋らないし、感情を表に出さないね」とも言われ傷ついたり、感情の出し方をネットで調べたりと、それなりに不器用に生きてきた一般的な高校生である。



 奇病によって最初に無くなったのは触覚だった。

 ある日、果てしない虚空の中で生きているような感覚で目覚めた。手の感触がなく、両足がどこにも着いていないような浮遊感がとても気持ち悪かった。……でもいくら確認しても瞳に写る景色では、確かに地に足をつけている。すぐさま親と共に病院に向かい、いくつかの精密な検査を行うが進展はなく、医者はお手上げでセカンドオピニオンを受けてみたり、大学病院へ紹介状を貰ったりしてやっと、やさぐれた眼鏡の人に言われたのは、その奇病だった。

 どうやら僕は五感が徐々に無くなっていくらしい。

 五感が無くなるというものの、それには五感以外に『感情』『思考力』も例外ではなく抹消される。そんな奇病だと言われた。

 最初は現実味がなかった。でもいくら触っても、不思議と感覚だけがそこになかった。

 それら五感はどんな順番で消えていくのかもわからないし、どのタイミングで無くなるのかも分からない。あまつさえ治療法も確立されておらず、いくつかの試験薬で対応してみるが、治る見込みは皆無らしい。


 親は家に帰ると僕に泣きながら謝ってきた。

「ごめん」と、泣いた。恐らくそんな体に生んでごめんという意味だろうけど、後天的なのか先天的なのかすら現状判明していなかったため、それははっきり突き放すような言い方をすると、親の悪い『妄想』であった。

 僕は元々感情が希薄なところがあったから、親のそういう態度にあっけらかんとした感じで反応してしまったけど、今思うとそれは『もう感情がない』のではっていう杞憂を親に抱かせる可能性も、思うとありえたから、そうはならなくてよかったと本気で思った。

 その日から僕にとっての日常は変わった。まず、運動はやめた。

 特段運動が得意であるわけでもなかったから、別に困る事はなかった。しばらくの間、触覚がない状況が慣れずによく体調を崩していたけど、ややあってそれに慣れ、僕は普通に学校生活を再開した。それから三カ月もしたときに次の症状が出た。

 次は味覚がなくなった。ご飯が美味しくなくなってしまい、好きだったパスタがのど越しの良いだけのものになったときは、流石に虚しくなった。母がそれで泣き崩れた。毎日ご飯を作ってくれていたからだろう。きっと、それなりに味について悩み、子供の舌に合うように努力した時期があったのだから、余計しんどくなったんだと思う。その時になってお医者さんに一人で呼ばれ、病室に入ると初めて会う大人が椅子に座っていた。

「君はこれから徐々に人間的な機能を失っていく。そのことについて、どう感じる?」

 不思議な人だった。髭が多くて学校の先生にいそうな強面だったけど、問いかけは非常に優しいので何だか拍子抜けだった。

 どう感じると言われても、「そっか」としか分からなかった。

「なるほどね」

 男は一人で重く頷いて、その日は帰らされた。

 後に親に直接連絡があり、僕のこの奇病の始まりは九歳の時で、今の希薄な感情は――奇病のせいであると知った。要は、既に『感情』は失われつつあったのだ。

 たった一つの問いの為に病院に呼び出され、質問に応えるとすぐ終わった面会に釈然としない心持ちだった僕は家に帰宅し、母親に大したことなかったと言った日の、夜に電話があった。

 それを知った時は衝撃だった。

 その日までの一喜一憂が全て無駄なものに思えて、さすがに病んだ。

 初めて無くなると知らされた時は別にここまで悲しまなかったけど、今回のはよく効いた。

 症状を見ている感じ、感情は『徐々に』消えていくみたいだ。これはとても迷惑な話で、ゆっくりと消えるせいで『感情があるのに感情が薄い自分』が出来上がり、それで思い悩むことになってしまった。要するに、僕はこれからすごく苦労するということだ。

 自分がこれまで悩んできた希薄な感情は、病気のせいだった。

 決して自分が口下手で他人と仲良くなれない人間という訳ではなかったのだ。僕はただ病気の患者だった。自分ばかり責めてきた中で、突如言い訳ができるようになってしまい、何とも言い難い肩透かしが、また余計に心にくる。

 そして今後病が進行していくと感情が完全になくなり、何もかもが水に泡になるようで、それもまあ嫌だった。

 ……まあ、もうどうすることもできない。来るものは来るのだ。なんて下手に納得するしかなかった。どうせ生に絶望したとて自殺する勇気はない。

 ここまでで既に三つの消失が確認された。

 僕は毎週検査を受けることになった。


 *


 次の消失はぐっと離れて十二年後だ。

 齢二十七。会社員として働き、一人暮らししている年末。大学時代からの恋人である彼女と夜景が綺麗な場所でディナーを食べている時に、突然やって来た。彼女には病の事を伝えてはいたけど、彼女はとくに重大に捉え、大きく構えていた訳ではなかった。それは仕方ないことで、だって十二年も次の消失が起こっていなかったから、僕も彼女もすっかり消失への恐怖が、薄れていたのだ。

 加えて十二年経っても『感情』の完全消失にはまだ至っていなかった。それはまあ、彼女が居た事でそれなりに分かると思う。

 無くなったのは聴覚だった。

 彼女の目の前で急に消失し、血の気がひく。――彼女は慌てて肩を揺らしてくれるけど、目の前の人が何を言っているのかが分からなくて、僕は固まった。何を言ってくれてるのか、また、僕がもう彼女の素敵な声を聴けないということを伝えるのが、とても怖くて仕方なかった。

 結局僕は自分のスマホを出して、彼女に聴覚の消失を伝えた。

 彼女は歌が上手な人で、僕はその歌声に惹かれたところがあった。音楽っていうのは素晴らしい物で、感情が希薄になりつつある僕でも感動できる唯一のものだった。曲が聴けないというのは、感情消滅への足掛かりとなった気がする。

 その彼女とは八日後に別れた。「ごめんなさい」と新年早々メッセージで言われた。

 それくらい君に言葉で聴きたかった。情けない僕でごめん。今までありがとう。と僕は返した。

 途方にくれて栄養バーを齧りながら僕は別の県に引っ越した。

 遠い場所に行こうと思った。どう頑張っても僕の世界は静かだし味がないし感覚も無い。そして徐々に薄く引き延ばされていく感情も、いつかはこと切れる。生きるってなんだろう。そう思い始めたとき。僕は一人旅をすることにした。

 一人暮らしを始め、そこから毎月三回は旅をした。

 医療機関から手当(検査・データ)としてもらったお金がそれなりにあるので、それで旅行をした。まだ視覚と嗅覚はあったから、景色だけは楽しむことができ、だいたい四年かけてゆっくりと日本を一周した。


 *


 ここ、はど、こ。あのひとは、だれ。かえ、れなくなった。

 かえる?


 ……。

 意識があるうちにすぐ四国から家にとんで帰り、医療機関に連絡した。

 『思考力』の消失が始まった。

 といっても劇的に無くなる訳ではなく、これも感情と同じように徐々に消えていくようで、時たま頭が馬鹿になると、すぐいつも通りに戻った。こればかりは凄く気持ちが悪く、とても慣れるような事ではなかったから、僕は入院することになった。

 久しぶりに会った母親はやさぐれていた。一人息子がこんなありさまで、加えて父親は事故死。母も母で苦労を重ね、そしてその末に僕の拒絶を選んだ。あの母が、僕に会いに来た。

「元気?」とモニターに打ち込まれた文章が写る。

 まあまあだと打ち返した。

「そっか。最近ね、お母さんは川辺の掃除を趣味でしているんだけどね」

 母はそう語り出し、川辺の掃除で人から感謝されるというエピソードを教えてくれた。いい事をしているんだね。と応えると母ははにかんだ。嬉しそうだった。

 母が去ったあと、僕の元には二人の人物が訪れた。

 まず四年前に別れた彼女がやってきた。どこから聞きつけたのか、僕が病院で床に臥せっていることを知り、心配になって来てしまったという。自分でも無責任というか、行動に一貫性がなくてごめん。当時は色々と衝撃があって、自分がどうするべきが分からなくなってしまって、あなたというものを抱えるのには時間が必要だった。と説明してくれた。

 僕はそうだったんだねと言って、負担をかけてごめんと付け加えた。

 彼女は涙目になって僕に抱き着いた。とてつもない負担をかけていたんだと、僕は激しく後悔した。彼女とは確か、交際は五年くらいだったと思う。結婚も話に出ていたときだったし、関係はずっと良好だった。そんな時に耳が聞こえなくなって、僕と彼女の関係は破綻した。

 そこで彼女は文字を打ち込むのではなく、何故かノートを取り出してボールペンで文字を書いた。その手つきは見ている感じ、とても緊張して震えている様だった。

『あの日ほんとうは結婚しよって言おうとしていたの。勇気を出して、人に相談したりして、指輪を買って用意してたんだ。遅くなっちゃったし、もうそんな資格がないのは分かり切ってるけど。私は、無責任な女だけど。私はずっと、あなたが好きみたいです』

 彼女はそう書いた紙をくれて、四年も経ったのに汚れ一つないリングケースをそっと出した。

 僕はノートを受け取り、自らもボールペンで返事をした。こんな僕がまだ好きなの? と。

 彼女はわざわざ文字に書き起こさず、堪えるように頷いた。久しぶりに他人と文字ではなく心で通じ合った気がして、僕は激しく泣いてしまった。


 *


 もう一人は僕のことを初めて奇病であると診断した、あのやさぐれた眼鏡の医者だ。彼は部屋に入ってくると右手で「やあ」とジェスチャーして、雑に椅子に座り体を崩して見せる。そしてモニターではなく、彼もコピー用紙にボールペンで文字を書き起こした。

『こんにちは。私の事は覚えているかな』

 頷いた。

『それは嬉しいな。ま、まるで見た目は変わっていないからね』

 それに笑みを返すと、彼も下手な笑みを浮かべる。

『まず今日来たのには目的がある。一つ、君に会いたかったから。君は私に会いたかったかな?』

 そうでもないですけど、あなたは別に嫌いではないですよ。と僕もコピー用紙に書き込んだ。

『冗談いうくらいの感性が健在のようで安心した』と書かれた用紙を見せながら彼は悪戯に言って、右手で頭の裏を掻いた。

『んで、二つ目は君の精神状態の確認だ。今現状、君は『触覚』『味覚』『聴覚』の三つが完全になくなり、『感情』と『思考力』が徐々に薄まってきている状況だよね?』

 僕は頷いた。

『そうか。じゃあさぞかし辛いと思う。私達のような普通の人間だと、到底理解ができないような症状だ。君には同情するけど……共感ができない。これは我々も同じく、辛い。でも君には仲間がいるよ。私は今日から君の担当医になる。よろしく』

 そうなんですね。よろしくお願いします。と僕は書き加える。

『よろしく』彼もささっと書き加えた。

『とにもかくにも、恐らく君は常に苦しいと思う。まだ感情が完全に消えていないということは、なおさら消え入る感覚に気が滅入るだろう。だから我々は出来る限りのケアを行う。君が何かを望めば与えるし、君が空をみたいとか、あの場所へ行きたいと言えば付き合う。何も心配することはないよ? これはね、経費なんだ。素晴らしいぞ。京都とか行く気にならないかね?』

 悪用ですか? と訊くと、バレたかと白々しい顔をした。

『まあそういうことだ。私は今日から担当医になり、君のお世話をすることになった。早速何か欲しい物があるかい?』

 彼がそう訊いたので、僕は小説を数冊と美術館に行ってみたいと告げた。

 次の月に彼女と彼を連れて美術館に出向き、そこで様々な絵を観察する。たまに思考力が抜け莫迦になるが、その時は彼と彼女がサポートしてくれた。確かに、いい仲間をもったと思った。あと、別に自分が行きたいような場所はあの一人旅の四年間で一通り回ってしまったため、僕は医者の彼が行きたいなーと言っていた場所に行くことにした。

「――――」

 皆でご飯を食べ、皆で笑い、皆で景色をみた。

 触覚も聴覚も味覚もないのに、僕はその旅が、たまらなく楽しかった。


 *


 その日、雪落ちる静かなある日。

 赤い色のマフラーにクリーム色に染めた長髪に赤い丸渕メガネをかけた彼女が、病室の引き戸をあけて顔を出す。僕が微笑むと、彼女は荷物を仕舞って服を脱ぎながら手を振ってくれた。そんな彼女にもう一度笑いかける。

 そしていつも通りノートを取り出して書き始める。

『今日はどう?』

 元気だよと書いた。

『それはよかったよ。オススメしたい本があるんだけどどうかな?』

 と言い彼女は二冊の本を取り出した。僕は基本、小説と他人との触れ合いしか娯楽がないから二人はよく小説を買い与えてくれる。だからそれなりに、感覚が欠けていても感性は衰えずにいれられるのだけれど、何だか二人のことだから気を遣って本を選びそうだから、僕はよく『僕の五感の事とか気にしないで、オススメしたい物を僕に勧めてほしいな』と伝えているので、彼らはよく頻繁に本をくれる。

 ありがとうという意で微笑する。

 すると彼女はふと表情が曇った。そしていいずらそういしながr、カリカリとノートに文字を書き始めた。

『ねえ、聞いていいのかわからないけど』

 差し出されたノートを読むと、やけにまとまりなく文章が綴られていた。

『あなたは、今ってどういう感じなの? 元気とはいうけど、さっぱりほら、『触覚』と『味覚』と『聴覚』がないっていうのが想像できなくて。気持ちが分からなくてね。あなたの事を知りたいから、もしよければ教えてくれない?』

 僕はその文を読み終え彼女を見ると、両目を細めて申し訳なさそうにする。

 なるほど。と僕はボールペンを走らせた。

『僕はいまとても幸せだよ。確かに、ひよっとするとね。人によって僕の状態はすごく絶望的で悲観的になることなのかもしれないけど。……やっぱり感情が減ってるせいかな、酷い気持ちというわけではないんだ。君ら普通の人にはきっと分からないことだけど。(他意はないよ)意外と僕は悲観的ではないし絶望していないんだ。なんせ、君たちが居てくれるからね。僕は君たちに返しきれない恩があると思うんだ』

 思い返してみると、一人ではない、というのが一番大きいことだと感じる。僕が見ている世界、感じている世界はひたすら孤独だけど、僕の周りにいる優しい人たちのおかげで、僕は一人だと思えない。孤独だけど、孤独だと感じない。

『君たちの優しさが暖かいんだ。心臓がむねうつくらい、それに助けられてる。いつもありがとうね』

 そう言うと彼女は嬉しそうにして、ちょっぴり涙を流してくれた。

 そして彼女はノートにこう書いた。

『実は私、歌手になれたんだ。あなたが私の歌を褒めてくれたのが嬉しくて、歌手になろうって思って始めたんだけど、それでちょっとずつ忙しくなると思う。いいかな?』

 僕は、

『そうなの⁉ おめでとう! 誇りに思う。忙しくなるのは構わないよ。君が幸せになるのなら、僕はなんだっていいさ。なんせ恩があるからね』

 と書くと、彼女は首を二度横に振って、

『恩を売りに来ているんじゃないよ? 私はあなたが好きだから』

 僕はたまらなく嬉しくなって彼女に抱き着いた。

『ありがとう』と頑張って口を動かす。

 彼女は背中をさすってくれた。

 気が付くと僕は泣いていた。ぼろぼろと涙が溢れて、顔面をぐちゃぐちゃにしていた。熱くて、暖かくて、嬉しくて。まるで僕は、四年前までよく訊いていた彼女の歌声が、激しく心に反響した気がした。

『君の歌はまだ思い出すことができるよ』

 僕はそう書いて微笑んだ。


 そして一つの遺言を残すことを決め、誰もいない部屋でそれを綴り始めた。


 *


 それから六年間は何もなかった。

 六年後になって、とうとう視覚が消えた。

 齢三十六になり、僕は世界が暗闇に包まれた。それと同時に僕は孤独になった。


 感情はもうほとんどなく、だから悲しさも覚えなかった。

 たまに思う。今も僕の横に誰かが座っているのだろうかと。彼女が座っているのかと。彼が様子を見に来ているのかと。でももう何も分からなかった。分かるのは、匂いだけだった。匂いがしてやっと、彼女が横に座っている事に気が付く。匂いがしてやっと彼が胸に聴診器をあてていると気が付く。

 彼女の匂いはすぐわかった。変わらない香水の匂いは、いつも僕の意識に安らぎを与えた。

 彼の匂いもすぐわかった。変わらない加齢臭に、いつも僕は微笑んだ。もうその頃になると思考力がなくなる頻度も増え、まるで時間が途切れて感じるようになってしまっていた。ぱた、かち、ぱた、かち、テレビのスイッチが切れたり入ったりする感覚だけが、いつもあった。

 僕はひたすらに、二人の事が気掛かりだった。

 二人には幸せになってほしかった。僕なんて人は正直、気にかけてほしくなかった。彼女もそろそろ三十四歳。そんな年齢になってまで、いつか消えて死ぬ僕の面倒をみさせるのは申し訳なかった。だから何とかそれを伝えようと、手を動かしたり口で喋って見たりするけど、一向に二人の匂いは離れなかった。点字の勉強をしておけばよかったと本当に後悔した。



 でもある日を境に、彼女の匂いが消えた。


 ……。

 そこから意識は激しく細切れになった。







 ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、懐かしい匂いがしました。母の匂いな気がする。かち、ぱた、かち、ぱた、かち、どれだけ老けたんだろう。母は。ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、あれからどれくらいの時間が経ったか分からない。彼女の身に何があったのかすら分からない。生きて、幸せになっていれば、いいのだが。ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、ぱた、かち、

 久しぶりに彼女の匂いがした。僕は微笑んだ。

 でもその日から、医者の彼の匂いがなくなり、知らない人の体臭がするようになった。もしかしたら僕は別の病院に移送され、違う医師に診てもらっているのかもしれない。そんなことはもうどうでもよかった。感情はほとんどなかった。

 次の日くらいに、嗅覚はいつの間にか無くなっていた。

 ぱた、かち、

 眠くなってきた。

 ぱた、かち、

 嗅覚が無くなってからしばらくしたとき、ふとそう思った。あとは意識が消えるだけ。何も考えず、何も想わず、無になるだけ。

 ぱた、かち、

 皆さんは幸せになったんでしょうか。

 ぱた、かち、

 僕はとても幸せだったと思います。

 ぱた、かち、

 未練はありません。それは、母親と、彼女と、医者の彼のおかげでした。

 最後に、ありがとうを肉声で伝えられなかったことが、唯一の心残りです。

 ぱた、かち、

 ああ、意識が、深海に沈む。

 ぱた、かち、かち、かち、かち、

 愛しているくらい、肉声で言いたかったな。

 かち、かち、かち、かち、かちかちかちかちかちかちかちかち

 さようならくらい、伝えたかったな。

 かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち――――――――、


 心なしか、両手に温もりを感じて、最後は息を忘れました。


 *


『愛って暖かいものだよね。僕は最後まで、きっと『ひとり』の人間として生きれたと思う。

 一人で歩いて一人で調べて、一人で笑って一人で空を見た。でもそれら当たり前は、僕にとっては色のない景色で、心が枯れるほど侘しいものだった。

 あれはクリスマスの夜だった。あの夜、君も指輪を渡そうとしてくれたみたいだけど、実は僕も秘密で『指輪』を隠し持っていたんだ。それがあの結果に終わってしまって、僕はとても悲しかった。もちろん責めているわけじゃないよ。君は普通の感性を持った普通の人だ。君に僕の病を押し付けるのは申し訳ない。でもだからといって、好きなものは好きだ。君と一緒になりたかった。だから指輪を用意した。でもあの夜あんなことがあって、僕は自身の無力感にずたぼろにされてしまった。帰り道はひどいものだった。そこで思わず悲しみに身を任せて、水路に指輪を捨ててしまったんだ。

 僕にはそれしか手段がなかった。悲しさが限界だった。

 でも君は違った。僕は耐え切れなくて投げ捨ててしまった恋心を、まるで君は拾い綺麗にして持ってきてくれたように思えた。あの日、どれだけ一人で泣いただろうか。

 本当にありがとう。

 歌手おめでとう。僕がもし何も感じない肉塊になってしまったら、君は次の人を探してほしい。これは僕を諦めろと無情に言っているつもりはない。ただ、君には幸せになってほしい。僕が幸せにできないのは、きっと閻魔様がひどく叱責してくださる。君を幸せにできなかった罪は地獄で償うよ。だからどうか、君には幸せになってほしいんだ。

 長くなってごめんね。ここまで読んでくれてありがと。君を愛しています』


 *


『先生。僕の症状を見つけ、そして担当医を引き受けてくれてありがとうござました。

 気が付いていたんです。僕の担当医はみんなそろって僕の扱いに困っていました。きっと僕の見えない場所で、みんなが僕との関わり方で酷く困っていたと思います。そんな中、あなたが居てくれて本当によかった。

 経費で行った京都どうでしたか? 僕はとても楽しかったです。写真見せてくれてありがとう。思い出です。

 先生が持ってくる小説、最初むずかしいものばかりだったけど、でも慣れてからは面白かったです。知らない世界の本で知識を蓄えたりするのが癖になり、僕も普通に生まれたらきっと、医者になりたかったと思った事でしょう。

 いつもいつも、ありがとうございました。先生。

 最後に、母へのメッセージを届けてくれませんか? お手数おかけしますが、最後の我儘と思って聞いてくれると、嬉しいです』


 *


『長々と言いたい事とかあった気がしますが、沢山書いても仕方ないと思うので、一番伝わりやすいように、短く、すまそうとおもいます。

 お母さん。生んでくれてありがとう。僕は幸せだったよ。健康に生きてね』


 *


 あれが愛という物なのかはわからないけど。

 僕はあれらこそが、愛だと思います。人は生きるなかで一喜一憂して、喜怒哀楽を嗜んで、最後に大好きなひとの胸で笑うんです。それが人の幸せのはずなんです。

 幸せはどんな人間にも享受されるべきなんです。

 どれだけの不幸が積もるとしても、人は愛され、幸せになるべきなんです。



「――――」

 僕の最後は孤独だったけど、

 僕は最後まで寂しくはなかった。


 来世があれば、僕は誰かを、幸せにしようとおもう。




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