全裸の男がにぱっと笑い、小さな牙が覗く。そしてそっと村瀬の背中に腕を回してきた。
「一緒に暮らせたらずっと大事にしてくれるんだよね? あのとき約束したよね? 俺はタカオを追っかけて何年もかけてフジサワまで来て、たくさんの地元猫にタカオのこと聞いて回ったんだよ。猫のネットワークはすごいんだから。それこそ、ネコマタが猫のふりして紛れてるから何十年も前のことだってわかるし。特にエノシマってすごいね……ネコマタの聖地だった」
「いやいや! チビといたのは二十年以上前だぞ!?」
「だーかーらー、俺は執念でネコマタになったんだってば。ネコマタに歳は関係ないんだよ?」
男……というかチビは、村瀬にポツポツと今までのことを話し出す。
チビは幼い村瀬が引っ越してしまってから、何度も死にかけていた。そんなとき走馬灯のように頭に思い浮かぶのは、村瀬と過ごした幸せな日々と最後に舐めた涙の味。またタカオと一緒に過ごしたい、その思いだけでギリギリのところをなんとか生き延びてきたという。
猫にはネコマタになれる血筋とそうでない血筋があって、ネコマタになれる血筋だとしても、かなりの執念がないとなれないのだという。まずは生まれてから十年以内に、こっそりと人語を喋れるようになっていないといけないとか、やや二日酔いの残る村瀬の理解の範疇を超えた話をされた。
「俺は小さいときにタカオに救われて一緒に過ごして、タカオの『ずっと大事にしてくれる』という約束だけを頼りに生き抜いてきたんだから」
「で、でも……それを言ったら、私はチビを捨てたことに……」
「ん……最初は俺も泣いたよ。『引っ越す』というのがわかってなくて、毎日泣きながらタカオを探した。ずっと一緒にいるって約束したのになんでってちょっと恨んだ。でも成長するにしたがって知ったんだ。あのときタカオは俺と同じ子どもだった。人間の子どもはかなりの年数、自分で行動を選べない無力な存在なんだってね。だから……タカオのせいじゃない」
そんな話をチビから聞いて村瀬は涙が止まらなかった。自分は誰からも求められていない、親からも大事にされないし自分にはなんの価値もないと思って諦めていた。それなのに、あんな昔の幼い自分の言葉を大事にして、チビは自分を追いかけてきてくれたのだと思うと、勝手に涙が溢れてきて止まらなかった。
猫の身で何百キロの道のりは、どれだけ危険と隣り合わせだっただろう。きっとチビの言う何度も死にかけたというのは誇張でもなんでもないのだと思って更に涙が出てくる。いいオッサンが号泣するなんてと頭ではわかっているのに、目の前のチビが自分を子どもの頃の自分に戻してしまったから止められなかった。
泣き続ける村瀬をずっと抱きしめていたチビが、人間よりも少しざらつく舌でその涙を舐め取って、「前より苦い……」と呟く。
「俺、ずっとタカオと一緒にいたい。そのために探してたんだから」
「でも、私は貧乏でうだつのあがらないサラリーマンで……チビを幸せにしてあげることなんか……」
「タカオと一緒にいることが幸せだもん。タカオがずっと大事にしてくれるって俺に言ったように、俺だってタカオをずっと大事にする。最初に出会った時に俺はタカオに魂を渡していたんだもん。だから俺を捨てないで? 離れて行かないで? 俺、タカオに二回も捨てられたら今度こそ本当に死んじゃうよ? …………それに絶対あの先生には渡せない……」
チビの最後の言葉は聞こえていないようで、泣きながら何度も何度も頷く村瀬はハッと顔をあげると「大家さん、どうしよう……」と言った。
ペット不可であるが、同居人に関する規定は特になかった。とはいえ、施設を出た直後からの自分を知っている大家に、どう説明したらいいのかこれっぽっちも思い浮かばない。村瀬は天涯孤独の身となんら変わらないのだから、兄弟親戚はおかしいし、おそらく親しい友人などいないのもバレているだろう。
「猫じゃないならいいんじゃ?」
「それはそうなんだけど……人間同士でも関係性を説明しなきゃいけないものなんだよ」
「人間って面倒くさいね。関係は番? あ、人間はパートナーって言うんだったよね」
「は、はぁ?」
どうやってごまかそうかと考えていた村瀬は聞き慣れない単語に驚く。そんな村瀬の様子を見てチビはふぅとため息をこぼして「まだそこまでじゃないか……まあ、これからだよね」と小さく呟くのだった。