夜の公園。そのベンチにドカッと腰を下ろすと発泡酒を開ける一人のサラリーマン。このくたびれたサラリーマンは
村瀬は仕事帰りにこうやって、そばのコンビニで買った安い発泡酒を1本だけ飲んでいくのがいつしか日課になっていた。社畜と言うにはぬるいかもしれない……が、ホワイトとはとても言い難い会社のサラリーマンで、趣味も日々の楽しみもないと言ってもいいくらいの日々を送っている。
村瀬の人生はそれほど良いものではなかった。そもそも子供の頃に両親が離婚……DVな父親から逃げて母親に引き取られたはいいが、数年後にはその母親も村瀬を残して男と蒸発。村瀬は親戚に引き取られることもなく施設に入って育った。そこの職員もそこまでいい人たちでもなく、村瀬は見事に自己評価の低い卑屈な人間に成長した。
以前同期だった男に「パワハラなんかしてくるやつはその辺を見抜いている、だからアンタは標的になりやすいのだ」と言われたことがあるくらい、他人から見ても自己評価の低さは顕著なようだ。その同期は唯一とも言える友人であったが、この会社にはさっさと見切りをつけてホワイトな会社に転職していった。
「ぷはっ……こんな安物の発泡酒が唯一の贅沢とかね……」
ベンチにだらしなく脚を投げ出して座り、夜空を仰げばチラチラと星が見える。だからといってロマンチックな気分になるほど村瀬の心は潤っていない。
飲み終わったら帰宅してシャワーも浴びずに寝落ちして、朝は無理やり起きて熱いシャワーで目を覚ます。そして、またパワハラまみれのあの仕事に行くのだ。
なんてつまらない人生だ……と思いはするものの、その環境を変えようとすら思えないほど、村瀬の心は擦り切れて疲れた状態になっていた。不摂生な生活をしているはずなのに病気にもなれず、いっそ通勤途中で事故にでも遭わないかななどとも思う毎日。
――ううう……――
何か聞こえたか? そう思って村瀬は振り返るが、夜の公園の茂みには何も見えない。でも確かに何か聞こえるようなとスマホのライトをつけて植木の根本を覗き込めば、そこには腹を怪我した野良猫がいた。血の滲んだ腹を隠すように小さくうずくまったまま、時々唸り声をあげているようだ。
「おいおい、怪我してるのか。大丈夫か?」
村瀬は言葉が通じるわけもないのに声をかけ、怖がらせないようにゆっくりと手を伸ばす。まずはゆっくり人差し指を一本。耳を後ろに倒しながらもスンスンと匂いを嗅ぐ仕草をした猫は、なかなかに鋭い目つきをしている。けれど、意外にも威嚇してくることもなく村瀬に捕獲されてくれた。
それだけ弱っているということだろうか……と村瀬は少しばかり心配になる。
「夜間開いてる動物病院……検索して、この近くにあるといいけどな」
検索してみると、幸いなことに歩いていける範囲に評判の良さそうな動物病院を見つけた。本来は閉院している時間だが、一報いれれば開けてくれるらしい。
急いで連絡を入れ、村瀬が動物病院に野良猫を抱えて連れて行くと、腹の怪我は見た目より傷は浅くて、骨折なんかもないとのことだった。感じのいい動物病院の先生は疲れ切った村瀬の心配もしてくれつつ、「この子は一応一泊は病院で様子をみますね」と言う。猫のことは病院に任せたら安心かと思い、村瀬は連絡先を書いて帰ってきた。
「すっかり酔いが醒めちゃったなぁ……でもアイツが無事だったからいいか。私の飼い猫って訳じゃないけど放置するのも寝覚めが悪いし」
村瀬はボロアパートに帰ってきてベッドにひっくり返ると1人天井に向かって呟く。一人でも『私』と言ってしまうのはもはや癖だ。何も考えずに反射で話しても相手に失礼にならないようにしていたのが染み付いてしまったのと、気安い友人もいないせいで切り替えることがなかったせいだろう。
――猫……猫か。動物なんて久しぶりに触った気がする。そんな余裕全然なかったからな。私も小さい頃は動物が好きだったんだ。飼育係なんかにもなったりして……。ああ、それから、裏の……林で……――
いつものように村瀬は疲労で寝落ちする。酔いは醒めてはいたが、動物病院に行っていつもより歩いたし時間も遅くなっていたので目を閉じたと思ったら寝入るのはあっという間だった。
村瀬はもう何年も自宅でゆっくり食事をしたり自分の時間を持ったりなどしていない。そんなことはわかっているのだが、日々の生活ではそんなことすら考える余裕がなかった。