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第51話 姉の優しさ

 再び脱衣所に戻った幽霊を、ちょこんと椅子に座らせてすみれはその髪にドライヤーをかける。


 いつもはタオルである程度拭いてから自然乾燥、とのことだが、女の子がそんなことではいけないと彼女が問いただしたのだ。そもそもすみれに言わせれば、そんな雑な髪の毛の扱い方をしていながら何故ここまで美しい黒髪を維持できるのか、不思議でならなかった。


「あぁあ〜。あったかい風が気持ちいいです〜」


「全く、結局私にとことん甘え尽くしたな。まさか太一にも、いつもこんな感じなのか?」


「流石にそれはないですよぉ。太一さんは、男性ですから」


 じゃあ女性が相手なら誰でもこういうことをしてしまうのか。そうすみれが聞こうとした瞬間、幽霊が先に口を開いて言葉を続ける。


「あっ。言っておきますが、私は誰にでもこうではありせんからね! すみれさんは初対面でいきなり抱きついてきて少し怖い人かと思いましたが……やっぱり、流石は太一さんのお姉さんです。根はとっても優しい人でした!」


「私が、優しい?」


「はい! だから、甘えちゃうんです……」


 可愛い、なんだこの生き物は。すみれは幽霊の眩しい天使のような笑顔に蒸発しそうになりながら、手の中の黒髪を丁寧にほぐし、乾かしていく。


(優しい、か)


 幽霊の中の優しい人の基準が、いまいち分からない。すみれは性格が甘いわけでもないし、優しさばかりを振りまくような人間ではないということを自覚している。


 太一にだってそうだ。幼少期からよくいじり倒して、ちょっかいを出して楽しんでいた。弟から見れば、あまりいい姉ではなかっただろう。


「すみれさん、私、実は普段からいつも実体があるわけではないんですよ。特に、人と接する時は」


「え?」


「太一さんが見つけてくれたんですが、私が人と触れ合えるかどうかは、私自身がその人に触れられてもいいと思えるかどうかで決まるそうなんです。太一さんと初めて会った時は、私は太一さんに触られることなく逃げ出しましたし」


 実体? そうだ、幽霊は幽霊なのだ。当たり前のように触れてきていたが、よく考えれば抱きしめたりできている今の状況の方が圧倒的に不自然。でも、何故今その話を────


「でも、すみれさんとは初めて会った瞬間から触れ合うことができました。それはきっと、私の直感が『この人は優しい人だ、信頼できる』と言っていたからだと思うんです」


 初めて会って一目見た時から信頼していた? 簡単に言っているが、とても容易なことではない。長年付き合いのある友達や人生を共にしている家族相手にだって、百パーセントの信頼なんてそう簡単に築けやしないものだ。


 この子は、純粋すぎる。


「えへへ……。変ですかね?」


「ふふっ、変だよ。幽霊ちゃんの″太一への信頼″は、凄すぎる」


「へっ!? な、なんで太一さんの話に!?」


「さあ? なんでだろうな」


 初対面の時。幽霊は太一から姉が来ると知らされていた。そして家のチャイムが鳴り、目の前に現れた人物を太一が″姉ちゃん″と呼んだことで、すみれがその人だと認識したわけだ。


 そしてその数秒後にはもう、彼女は幽霊に飛びついて触れていたわけで。幽霊の中の本心は分からないが、確かなことが一つある。


 それはすみれが彼女に触ることができた大きな原因の一つに、「太一の姉だから」という前提が存在していたということだ。


 つまり、幽霊はそれだけ太一を信頼していた。信頼している太一の姉だから優しい人のはず。その気持ちが、触れ合いを可能にした。


 これがすみれの脳内で立てられた、ほぼ確信に近い推測だ。


「むっ、すみれさんが何やら変なことを考えている気がします」


「気のせい気のせい。まあでも、私は優しい人らしいからな。太一とのことで相談があるなら、今日の深夜にでもじっくり聞こうじゃないか」


「だからなんで太一さんの話なんですかぁ!! あ、ニヤニヤしないでください!!」


「いやぁ、太一の話をすると急に顔が赤くなり始めて面白いね。……あ、言っておくけどさっきのは本気だからな。どうせ今日はちょっと仕事が残ってるから夜にパソコンと睨めっこする時間がある。その後、太一が寝ている間にこっそりと、な。本当にないか? 弟とのことで、私に聞いておきたいことは」


「太一さんとの、こと……」


「まあ、今すぐに答える必要はない。深夜、本当に聞きたいことがあれば私のところに来てくれればそれでいい」


「…………」


 縮こまって何やら考えこみながら下を向く幽霊に、すみれは姉心を全開にして頭を撫でる。




 将来義妹になるかもしれない彼女の頭はとても小さくて。でも……とても撫で心地のいい、そんな頭だった。

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