そして数日。
「すみません~マゴベイド男爵家からの者ですが」
顔を知っているフットマンがやってきたので、慌てて私は私室に飛び込みました。
そして扉の陰からそぉっとのぞくと。
「あれ、どうしたんですか? 今月は。いつもなら男爵自らやってくるでしょうに。大事な資料だ! とか」
「いや、それがですね、うちの旦那様今大変なんですよ」
思わずギルバート様もフレクハイトさんも手を止めた様です。
「またどうして」
「顔がすっごいことになっちゃって!」
「顔」
「いやー、今もう医者が出入りしっぱなし。ともかくかゆいかゆい、で。かきむしりすぎて血が出るから、って一応かゆみ止めの薬塗って、包帯まいているですけどねえ、全然じっとできないみたいで」
「そりゃまあ…… 大変ですねえ……」
書類を受け取ったスペンサーはそう言うしかないのでしょう。
かゆみでどうの、というのは傍から聞く分には、あまり深刻さが無いものですから。
変な話ですが、痔もそうです。
当人にはもの凄く辛いことでも、場所が場所だけに、笑い話に近くなってしまうという悲しさがあります。
「それで、原因は何なんだい?」
「それが判らないんですよ。ある朝顔を洗ったら、途端に大変なことに。その時洗面器をひっくりかえしてしまって、またそれをすぐにメイドが片付けて洗ってしまったから、原因もわからずじまいで」
「そりゃまあお気の毒に。まあ仕事は預かっておくから、お大事にとお伝え下さいな」
どうも、と言ってフットマンは帰って行きました。
私は彼が階段を下りて、外に出るのを見計らってから思いっきり親指を立てました。
「そういうことかい!」
くくく、とギルバート様は私に向かって笑いかけました。
「で、ちなみに治るもんなんですか?」
スペンサーも聞いてきます。
「ええ、元々の薬品はありますので、対処法はあると思います。けどまあ、言う義理は無いですし。基本はただのかゆみで、ばい菌とかではないですから、お医者様の治療に我慢すれば治りますよ」
「しかしお嬢さん、かゆみとはまた、ある意味滅茶苦茶辛い拷問だなあ」
ふふ、と私は笑いました。
「だって、草むしりをさせられていた時、草で足元を切るより、ヤブ蚊に刺された跡の方が延々辛いでしょう?」
「うわあ、なかなか君、怖いねえ」
「色々昔から、考えてはきたんです。簡単で、できるだけ効果がある方法。どうせいつかはあの家を出てもらおうかとは思いますが、その前にひとつあの家に無関心だったことの怖さ思い知らせておきたいと思いますわ。お母様が大好きで、私を守ってくれたお家ですもの」
「成る程。では次の算段は?」
ギルバート様は楽しんでいますね。いいんでしょうか。
「やっぱり後妻が怖がるものというのは…… じゃないですか?」