お母様が亡くなったら、葬儀もろくに出さず、即座に父はあの女と娘を連れてやってきました。
葬儀を出せば祖父母がやってくるからです。
隠し通せるのかって?
そこがあの男のずるいところです。
「妻は老いた両親に心配をかけまいと……」
そう、祖父母は母が亡くなったことを知らされていません。
そんなことができるかって?
できるのだから嫌になります。
そして既にその時点で、使用人も一新されていました。
母はそれも予期していたので、それまでの信用していた彼等彼女等には、あらかじめ退職金を渡していました。
そして、何かあったら私を匿って欲しい、と。
特に執事のスペンサー、メイドのナタリー、庭師のアダムズには念を押していました。
私はそれからというもの、使用人の使う屋根裏に部屋を移されました。
新しい使用人達は、私のことを「母親が死んで行くところが無いから世話してやっている妾の娘」と説明されている様でした。
マニュレットという正式名でなく、使用人達の中では「レッティ」と呼ばれていました。
「マニイ」とは絶対に呼ばせません。あれはお母様や、私を愛してくれた人達の呼び名です。
私はそこから粗末な服を用意され、「お嬢様の世話係」にされました。
ええ、異母妹のアリシアに常に付いて、彼女の言うことを何でも聞く様に、と。
朝は早く起きて、洗面の用意、着替え、食事の間に部屋の片付け、そしてこれだけはありがたい、と思ったのは勉強を共にするということです。
アリシアは私と同じ歳、ただ生まれ月が違うだけです。
だから彼女が受けねばならない勉強は私も受けることができました。
むしろ彼女からしてみれば、私が解いた問題をそのまま先生に渡して自分自身のもの、としていました。
絵なども同じです。
あとは解けない問題があったら代わりに解いて、とか、宿題をやっておいて、というものです。
おかげでこのままでは受けられない、と思っていた学問を身につけることができました。
使用人達は私のこの立場に対し、同情する者も居れば、ろくな女の娘じゃないから、と馬鹿にする者も居ました。
私は無論、それもちゃんと頭の中に叩き込んでおきました。
*
そして八年。
私達姉妹が十六になった時です。
アリシアの社交界へのデビューが近づいていました。
私は彼女のドレスの着付けを手伝っていました。
正式な場へのドレスというものは、普段着の様にぱっと脱ぎ着することができません。
身体にぴったりとさせるために、ある程度着せたところでパーツを取り付けて縫い付けていくことも必要なのです。
私は絹でできた薔薇の造花をドレスの裾近くに取り付けていました。