ポーレは元々上に三人きょうだいが居る。
だからきょうだいというものがどういう関係なのか知っていた。
両親というものが、それぞれの仕事をしていても、自分のことは気に掛けている。
彼女はそれを既に実感していた。
だからその時ポーレは怒った。
「なんでテンダーさま、だいじょうぶなの!」
「これ」
「おとうさんとおかあさんが、いもうとにばかりくっついてるんだよ! なんでそれでいいの?!」
私は彼女の言っている意味が判らなかった。
「それにあのおじょうさまのふく……」
そう、ポーレが私にすぐに親近感を持てて、ここで怒っている理由だった。
私の服は、決して可愛いものではなかった。
いや、正直言ってこの頃の私の服は「貴族のほんの小さな娘」のそれでは到底なかった。
すっきりしている、動きやすい、洗濯が簡単、……だがそれは、この時期の貴族の令嬢の子供服ではない。
何と言っても「地味」だった。
色も生成りやくすんだ灰青。
何の飾りも無い、綿や麻。
それは庶民の子供のそれに近かった。
作りは良い。
沢山替えはある。
だがそれだけだった。
周囲の大人が喜ぶ様な絹のリボンやレースのフリルなどは全く無かった。
それに対しては、翌年から来た家庭教師のヘザー・シャリレージ先生も同意見だった。
彼女は私の勉強やマナーを七歳から十三歳までの六年間を見てくれた。
ちなみに向こうは向こうで、別の家庭教師が来た。
当座は勉強部屋を本棟に移して、二人ともシャルレージ先生に見てもらおうと両親は思ったらしい。
だが七歳のアンジーはすぐに先生の厳しさにぐずりだし、別の人にして欲しい、と言い出した。
この頃十一歳。
既に三年気の合う先生と過ごしてきたので、さすがに替えさせることは考えられなかった。
――結局、両親は妹に別の家庭教師を雇った。
その方がアンジーを先生に馴染ませるより楽だったのだろう。
解雇の不安を感じていた先生は「あと三年一緒に居られそうですね」とほっとしていた。
だが本来は、私の後三年も妹につくはずのところを、三年分減らしてしまったのかもしれない。
「今ここで解雇されるよりはずっと良いです」
先生は私にきっぱりそう言っていた。
黒髪を後ろできっちり結ってまとめていた先生は、フィリアとポーレ同様、私の真の味方だった。
使用人は大半が中立か、東寄りだった。
それは仕方が無い。
私はともかく「手のかからない子供」だったので、西では最低限の使用人以外必要とされなかったのだ。
そう、東の対勤めのメイドの中には私の顔を知らない者すら居た。
だから私が庭園でポーレと遊んでいたり、庭師に花を教わっていると「何処の子です!」と声を上げられることもあった。
大概少しして古参がやってきて「あれもお嬢様よ、西の」と囁いて騒ぎがおさまる。
私はいつものことだ、と思っていたが、ポーレや庭師は不満そうな顔をしていた。