私と妹は、彼女が生まれて以来ずっと比較されてきた。
もうそれは、本当に彼女が生まれたその時からだった。
「まあ何って可愛いお嬢様なんでしょう!」
取り上げた医師と産婆が揃ってそう言ったくらいだった。
産褥の床にあった母は見た途端、うっとりとしたそうだ。
それ以来、三歳の私の側には父母は殆ど近寄らなくなった。
私の世話は乳母のフィリア、少し大きくなってからは寄宿学校へ行くまでの間の家庭教師のシャリレージュ先生の二人、そして遊ぶのは乳姉妹であるメイド見習いのポーレ。
その三人だけが私の世界だった。
うちの館はお客様を迎える本館と、東西の対に分かれている。
私は長女として西の対に、妹は次女として東の対に住む様になった。
後々学校に行く様になって知ったことだが、姉妹がそこまで離されて育てられることはないという。
私からしたら当たり前のことだったが、なるほどそれでフィリアは泣き、ポーレは怒り、シャリレージュ先生は「色々あるのですね」と悲しそうな顔をしていた訳だ。
朝食と正餐は本館で家族揃って摂ることになっていたが、それ以外は自室で身近な者達と共にしていた。
と言うのも、私のお茶や正餐でない食事は西の対の台所でフィリアとポーレが用意するものだった。
他のメイド達は西の対の使われていない他の部屋の掃除には来るが、それ以外に顔を見せることは無かった。
そもそも西の対自体、妹が生まれるまでは殆ど客人のための場所で、使われていない部屋ばかりだったのだ。
広い部屋や、図書室、現在飾られていない美術品などを納めた部屋。
夜になると、風の音も東の対より激しく、シャリレージュ先生は当初怖かったらしい。
妹と私とは違う生活をしているらしい、と気付いたのは、六歳の時だった。
庭の花が大好きだったので、何かと私はフィリアと一緒に外に出ては庭師につきまとい、この花は何あの木の実は何、と聞きまくっていた。
そしてこの年頃の子供の常として、体力は無尽蔵だった。
さすがにフィリアも自分だけで追いかけるのは何だ、と思ったのだろう。
乳母、というだけあって彼女の乳がよく出た原因、私のほんの少し前に生まれたポーレを家から連れて来た。
「そのうちメイド見習いにさせてもらうつもりですが、テンダーお嬢様が学校に行く様になるまでは遊び相手として呼び寄せました」
私はポーレとすぐに仲良くなった。
「テンダーおじょうさま?」
「なまえでよんで」
「テンダーさま」
それはずっと続いている。