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第28話 文通相手

 洸太はそこではっとした。ミナトは机の落書きの文通相手が誰だか知らないのだ。ミナトにとっては佐藤さんを見つけたことも、クリスマスデートをすることも、洸太は知らないことになっている。ミナトが口にしなかった秘密を裏で暴いていたようで、顔からさあっと血の気が引いた。


「……あ、えっと」


 洸太は胸の前でぎゅっと手を握った。まるで騙してしまったようで心が痛む。


「ごめん……ミナト君、国語で特別教室に行ったとき、机に落書きを書いてるでしょ。古文の活用ってなに、とか。実はあれに返事してるの、僕なんだ。ずっと言わなくてごめん」


 するとミナトが「へ!?」と変な声を出して口を開けた。ぽかんとしてこちらを見る。


「えっマジで言ってる?」

「うん。内緒にして返事を書いてた」


 するとミナトが「いやいや」と手を振る。


「オレは先輩が書いてるって気づいてたよ? 先輩がオレだって気づいてるとは思ってなかったから、それにびっくりしてんだけど」


 それにはこちらが驚く番だった。思わず「なんで僕だって分かったの?」と聞いてしまう。するとミナトは「だって先輩の字だったし」と口をへの字にした。


「先輩、毎月図書室の本の購入希望用紙を提出してるっしょ。図書委員になってすぐそれをまとめる作業をやったけど、他の人はタイトルと作者しか書いてないのに、一人だけ出版社とか第何版とか細かくて。匿名でも目立ってたから字を覚えた。図書室にある辞書が購入希望になってて変だなと思って先生に聞いたら、『この子は版で内容が変わるのを知ってて、違うのが読みたいんだよ』って笑ってて。そんな人がいるのかって驚いたら、先生が今カウンターで本を借りようとしてる子だよって先輩を指さして教えてくれたんだよね。先輩が図書室を出てってから履歴を確認して、先輩の名字を覚えたわけ。寿なんてすげえ名字だ、めでたいなって」


 そこでミナトが指を一本ずつ出しながら「字、顔、名字、これを四月に覚えた」と言う。まさか教師と新入生の間でそんな会話があったとは思わず、恥ずかしさに顔から変な汗が出てきた。ぱたぱたと手であおぐ。


「僕、図書室に置いてほしい本を見つけると、最後の奥付のページを見て覚えるんだよ。それを思い出しながら購入希望用紙を書いちゃうから、出版社とか書いたほうがいいよなって思って書いちゃうんだよね。他の人がシンプルに書いてるって知らなかった。匿名なのにバレバレで恥ずかしい」

「別に悪いことじゃないっしょ。だから、最初に落書きの返事が来たときに図書室で見かけた人だなって思った。そのあと実際にしゃべるようになったけど、先輩が気づくまで相手がオレだっていうのは黙っとこって思ってた。あとから驚かせようと思って」

「ソータの字かもとは思わなかった?」

「先輩が双子だって知ったときは一瞬思ったけど、弟先輩、左利きじゃん。右利きの先輩とは字は違うはずだと思って、部活中に邪魔しちゃったときに漢字を聞くふりして弟先輩に字を書いてもらったわけ。やっぱり全然違った。双子で利き腕が違うこともあるっていうのは知らなかったけど、まあ別人だもんなって思った」

「ああ、なるほどね。ソータはあんまり図書室に行かないしね」

「先輩はなんでオレだって気づいたわけ」

「夏休みにファミレスで一緒に勉強したから。向かいでミナト君が字を書くのを見て気づいた」

「あっそうか……オレは先輩だって始めから分かってたから、その可能性には気づかなかった……え、バレバレじゃん」


 ミナトが呆然とした口調で言い、沈黙が下りた。だが、すぐにお互い赤面する。洸太は自分が机に書いた書き込みを思い出し、思わず目線をそらした。


「僕、恥ずかし……演劇部なの知られてたのに、文化祭で演劇部を見に行くといいよって書いたのを読まれてたわけでしょ? ドヤ顔で部活自慢してて恥ずかしすぎる」

「オレのほうがキツい……最近のオレの書き込みがバレバレとか、マジで最悪……」


 お互いそっぽを向いて頭を抱え込み、洸太が先に咳払いをした。


「クリスマスツリーの前で男子ふたりが悩んでてもおかしいだけだよ。ミナト君、次どこへ行く予定なの。明日の下見を最後までしないと」


 するとミナトがぱっと顔をあげた。


「それ。その明日ってなに? オレ、明日はバイトだけど。サンタの帽子被ってケーキ売る。寒い外で道を通る人に呼びかけて売るから、環境はブラックかも。カイロ手当って出ねえかな? 首、背中、腰、両足、両手用にポケットに貼らないカイロ、どう見積もっても五個は使うんだけど」

「え、過酷そう。クリスマスケーキか。うちは毎年アイスケーキだから、いちごのショートケーキは食べないんだよね」

「先輩ん家はそうなんだ。で、明日ってなんのこと?」

「ミナト君、明日デートなんじゃないの?」

「え、なんで?」

「なんでって、机にクリスマスデートがどうたらって書いたでしょ?」

「それは……書いたけど……でもなんで明日?」

「だってクリスマスは明日でしょ? 明日行くでしょ、クリスマスデート」


 すると怪訝そうだったミナトが次第に顔を赤らめ、「ああー!」と再び頭を抱え込んだ。


「そういうことか……日本語激ムズ! 先輩との意思疎通が難しい……いや、オレが悪いのか……」


 ミナトは悔しそうにぶつぶつと呟き、額を押さえてはあとため息をついた。そしてぴんと背を伸ばす。


「先輩、本日最後は学校側の公園の予定っす。寒いけど二十分の予定なんでどうですか。そんくらいで六時くらいになると思うんで、帰るのにちょうどいい時間っしょ? いつもしゃべってるあの公園に行きたいんす。話の続きはそっちでしましょ」


 急にミナトがしゃんとした。ダウンジャケットのポケットにミナト用の新しいカイロはある。いいよと同意すると、ミナトがぴっと駅の方向を指さして「行きましょ」と先をすたすた歩き出した。コートの背中が前を歩きながら左右に不規則に揺れる。「恥っず」「バレてたし」「いやバレてないのか」「ややこしい」となにか独りごちている。


 その呟きはよく分からなかったが、あの文通相手が自分だと見破られていたことがとんでもなく恥ずかしい。汗がだらだら出てきて、暑さにコートを脱ぎたいくらいだ。だが、最後の問いに返事を書かなかったことが悔やまれて、ちりっと胸が痛んだ。金髪の残る後頭部を見る。うなじが覗く黒髪の襟足はきれいで、少しだけ寒そうだった。

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