ブレザーに臙脂のネクタイを締めた正装で終業式に参加する。式典が終われば午後いっぱい部活だ。久しぶりに全員で長く時間がとれるので、通しでやることになった。役者に関しては褒められることが増えた。照明係のときの感覚で、照明がどう表現したいのか分かるし、照明と連携を取る音響係がどんなことを意識しているのかも分かる。役者をやるには遠回りだったかもしれないが、経験はしっかりと根付いている。
「じゃあ二十分休憩ね」
顧問のぱんぱんと手を打ち鳴らす音で休憩に入る。自分の鞄に飲みものを取りに行って、スポーツドリンクのペットボトルが空になっていることに気づいた。しかたなく体育館を出て水道場まで水を飲みに行く。
暖房の効いた体育館から廊下に出ると、一気に空気が冷たくなる。半袖ハーフパンツのジャージ姿だった洸太は、上着を持ってくればよかったなと身震いした。五メートルほどの外廊下を通って水道場に行き蛇口を捻って水を飲む。
濡れた顎を袖で拭っていると、「コータ、演劇やりてえの」という声がきんと冷えた空気を裂いた。そちらを見れば体育館からやって来た湊太が険しい顔でこちらを見ている。体育館前のリノリウムの廊下からコンクリートに切り替わるその境で、まるで返事を聞くまで体育館に帰すものかと言わんばかりに仁王立ちだった。
担任や顧問を通じて湊太の耳に入ったのは本当だったようだ。洸太はそんな素振りを見せなかったから、先生も慌てて湊太に確認したのだろう。洸太はもう一度顎を拭くと「やりたい」と言った。
「舞台俳優を目指そうと思ってる」
はっきり言うと、眉根を寄せた湊太は台本を持ったまま左手でこちらを指さした。
「その世界に入ったら、コータはもっと俺と比べられるようになるぞ。先輩や後輩の上手い役者とだって競争になる。もっと年下の子役だっている」
「分かってるよ」
「俺と比べられて落ち込んでたやつにできると思ってんのかよ」
「今ソータと同じ舞台で稽古してるけど。比べて落ち込んでるように見える?」
「俺の半分以下のセリフで満足してるようじゃやってけない世界なんだよ」
「そんなふうに僕を試すようなことを言わなくても大丈夫だよ。僕、案外諦めが悪いんだよ。演劇のことも、他のことも」
すると湊太がいつも通りの表情に戻った。そしていつかのように眉尻を下げて「そっか」と小さく笑う。
「じゃ、応援する」
ありがとと笑うと、湊太は照れたように頭を掻いた。
「で、コータの他に諦めたくないことってなに?」
「今いろいろ悩んでるんだよ。進路とか勉強のこととかね」
「……ミナト君じゃなくて?」
突然湊太がそう言ったので、思わず手が止まって目が丸くなった。
「ミナト君?」
「いや、よく分かんねえけど……コータは普段人と距離を置くのにすげえ仲良いみたいだし、なんていうか……表現が合ってるか分かんねえけど、好きなのかな、って、思って」
最後のほう、俯いて小さくなった声に、双子はこういうのも気づくのかななどと思う。兄弟間の距離が縮まったから余計にそう感じるのかもしれない。一方で、湊太に彼女ができても言われるまで気づかない鈍感な自分に笑ってしまった。
「そりゃ好きだよ。すごくいい子だし。明日一緒にミナト君のデートの下見に行くんだ。わざわざ下見に行くとか、ミナト君は真面目だよね」
「……デートの下見?」
湊太が怪訝そうに顔をあげて、洸太は意味もなくまた蛇口を捻って冷たい水で手を洗った。冷えた腹の底から気がそれる。
「佐藤さんとクリスマスデートに行くらしいよ。僕と出かける日の日程を全部決めるって言ってたから、デートがうまくいくかどうか確認したいんじゃない?」
すると湊太が「え?」と戸惑った顔になった。考えるようにくちびるの下を触る。
「俺、ミナト君からコータと遊びに行くってことは聞いたけど、佐藤さんの話は聞いてねえぞ?」
「ソータ、ミナト君から佐藤さんと結婚したいって聞いてないんじゃないの」
「あ、そっか。たしかに佐藤さんの件はコータから聞いただけだ」
だが、湊太は「ん?」となにやら考え込む。
「変だな。俺、てっきりふたりでクリスマスを楽しむのかと思ってたんだけど?」
「二十五日のクリスマスは我が演劇部の部活があるでしょ。僕がミナト君と出かけるのは明日のクリスマスイブ。なに早とちりしてんの」
洸太は話を切り上げるため、ダッと湊太に近寄って「つーかまえた!」と濡れた手で両腕をがしっと掴んだ。にやっとしたこちらに対し、湊太が「冷てっ!」と嫌そうな顔で手を振りほどく。
「コータ、最ッ悪! ハンカチ貸せよ!」
「はい、どうぞ。こんな寒いところで話してたら風邪引くじゃん。早く体育館に戻ろうよ」
タオルハンカチを渡して先を歩き出したが、湊太はうしろで「おっかしいな」などとぶつぶつ呟いている。
ミナトが自分と出かけることを湊太に話してくれているのは嬉しい。クリスマスデートのことを自分だけに、正確に言えば、机の落書きの文通相手にだけに言っているのもちょっとだけ嬉しい。
クリスマスイブはミナトを独り占めできる最後の日かもしれない。そう考えると目蓋の裏が熱くなる。それでも、精一杯その日を楽しく過ごしたかった。