部活後、洸太は大急ぎで着替えて校門に向かった。興奮で顔がにやけてしかたない。坂道の下の門に寄りかかっている金髪プリンを見つけ、思わず「ミナト君!」と大きな声を出してしまった。洸太の声に弾けるように反応した彼がこちらを見る。駆け寄って「役もらった!」と息を切らして開口一番に言うと、彼が驚いたように口を小さく開き、黙ったままこちらを見つめた。
あれ、思ってた反応と違うな。
はあはあと息を整えながら、おやと思う。風が吹いて前髪が揺れ、ようやく髪を切ったことを思い出した。役が取れたことに浮かれていて、すっかり忘れていた。急に恥ずかしさに顔から汗が出てきて、手でぱたぱたとあおぐ。
「えっと、今日次の作品のオーディションで。気合い入れて髪切った。眼鏡もとった。っていうか、ソータがフレームを踏んづけて。えっと、どうでしょうか……」
ミナト君としては、なんか違うって感じか。
洸太がそんなふうに思ったとき、突然「うわ」とミナトが顔を手で覆った。そのまま悔しそうに空を仰ぐ。
「オレ、すんごいバカ……髪切ればって言うんじゃなかった……」
「あ、切らないほうがよかった?」
「いや、そうじゃないっす……先輩がイケメンなのはオレと弟先輩たち家族だけ知ってればよかったんすね……作戦失敗……」
またイケメンと言われた。ミナトの言葉はいつもまっすぐだから、本気でそう思われているように感じて顔が熱くなる。自分には縁遠い言葉を彼がなんのてらいもなく口にするから恥ずかしい。ミナトが急に表情をきりりとさせてこちらを見下ろした。
「先輩、オレ、作戦変更を迫られたっす。その顔を隠さないと狙われます。女子スナイパーの目をそらさないと。せめて眼鏡。眼鏡してください」
「眼鏡は壊れちゃってかけられないんだ。ごめん」
「今後、髪は伸ばしますか」
「やっぱり伸ばしたほうがいいの?」
「オレの計算ミスっす。髪がちょっと長めで眼鏡をかけた先輩は小数点以下を切り捨てれば先輩なんですが、今は見た目から整数の先輩になっちゃったんすよ」
「えっと、どういう意味? ごめんね、ちょっと分からない」
そこでミナトは首を振り、ため息をついた。
「オレ、すんごい重い男っすね……改善余地ありですね」
「? 重い? 背が高いからしかたないんじゃない?」
「体重の話じゃないっす。てか、オレ、ひょろいから案外体重軽いっす」
「うん? そっか」
なんだか話が噛み合っていない気がしたが、「それより」ともう一度言った。
「役、もらえた! ミナト君がやりたければやればいいって言ってくれたからだよ。ホントにありがと! すっごく嬉しい! もうやばい、涙出そう」
喋りながら顔がゆるんでしまう。ミナトが「やったっすね」と歯を見せて笑った。
「オレも嬉しいっす! 公園で乾杯しましょ!」
そこへ「おふたりさん、お先にー」とリュックを背負った湊太が横を通り過ぎた。
「俺、先に飯食ってるから。コータの分のから揚げが少なくても文句言うなよ」
うしろ姿のまま手をひらひらさせて帰ろうとしたので「サイテー」と思わず噛みつく。
「こっちの分まで食べるのはずるいだろ。ちゃ・ん・と・取っ・と・い・て」
「俺のほうがコータより背高いんですけどー。俺のほうが一日の消費カロリー高いから食べなきゃいけないんですけどー」
「身長を伸ばすために僕のほうが食べないとダメじゃん! 身長を伸ばすの頑張れって言ったくせに、横取りする気? なんだよ、ケチだな!」
「だったらいちゃいちゃは早めに切り上げて、から揚げがなくならないうちに帰ってこいよ」
「いちゃいちゃとか失礼なこと言うな! ミナト君には佐藤さんっていう将来の彼女がいるんだからな!」
すると湊太はこちらをちらっと見やり、肩をすくめて「はいはい」と切り上げてさっさと帰っていってしまう。まったくとため息をつき、ミナトを見上げた。
「ソータが失礼なこと言ってごめんね?」
ところが、彼はうしろ姿の湊太とこちらを見て「どうしちゃったんすか」と言った。
「めちゃくちゃ仲良くなってるじゃないっすか。なにかあったんすか」
「元々仲良いけど? 普段喧嘩とかしないし」
「いや、そうじゃなくて……」
ミナトがなにか言いたげにし、だが「ま、いっか」と公園へ続く道を指した。今日のミナトは髪を全部下ろしている。
「から揚げが全部なくならないうちに乾杯っす」
ミナトの笑顔につられ、洸太も「そうだね」と笑った。
十一月の公園は空気が乾燥していた。車止めを通り過ぎ、落ち葉と土のにおいの中を東屋のほうへ進む。外灯が自販機横のイチョウの木を黄色に彩る。自販機でレモンティーとピーチティーを買い、東屋のベンチに座ってペットボトルをぼんっとぶつけて乾杯した。夜のにおいが混じる秋風が爽やかに吹き抜けていく。
「先輩が演じる劇って、オレが見られるチャンスってあるんすか」
ミナトがピーチティーの口を開けながら尋ねてくる。
「年明けに学内公演があるから、よかったら見に来てよ。まあほとんどがソータの活躍なんだけど」
「弟先輩が主役なんすね。文化祭が終わってから、一年生の間でも弟先輩が噂になってるっす。子役だったかっこいい二年生がいるって」
そこでペットボトルに口をつけたミナトがふふっと小さく笑った。
「先輩が弟先輩じゃなくてよかったっす。じゃなきゃ女子に先輩を紹介しろとか言われたかもしれないっすよね」
そこできゅっと口角を上げてこちらを見た。くちびるの前に人差し指を当てる。
「先輩、先輩がかっこいいの、バレないようにしてくださいね。隠密行動っす。
再びペットボトルに口をつける横顔を見て、この子はどうして自分をかっこいいと言うのだろうと突然気になった。顔が似てる似てないは別として、演劇で脇役より主役が目立つのは当然のことだ。だからこそ最初ミナトがかっこいいと褒めたのも、主役をやっている湊太だった。
そこからなぜか照明係をやっていることがかっこいいという話になり、髪を切ったらイケメンになるという話になり、好きなものを好きって言えるのがかっこいいという話になり、髪を切って脇役で喜んでいる程度の洸太がかっこいいという話になっている。親はさておき、こんなに手放しで褒められたのは初めてだ。
「あの……嬉しいことを言ってくれてありがたいんだけど、僕そんなかっこよくない……というか、ダメなところたくさんあるけど……」
自分で言いながら部屋の惨状を思い出してため息をついた。
「ミナト君が僕の部屋を見たらげんなりするよ。ソータの部屋は整理整頓されててきれいだけど、僕の部屋ってめちゃくちゃだし」
「先輩、片づけられない人っすか」
「片づけられないって言うか、片づけたくないって言うか」
「それ、片づけられない人の言葉っすね。場所が移動すると分からなくなるからそこに置いとくんでしょ」
「そう! この本をここまで読んで、でもこっちの本の内容を思い出したいからここに置いておいて、それを読んで思い出したけどあの本にこんなシーンがあったなって引っ張り出して、みたいなことをしてると床に本が散らばる」
レモンティーを口にすると冷たく甘い紅茶が喉を潤していく。はあとため息をつき、自分の部屋の映像を思い起こした。鞄を太ももの上にのせて、もう一口飲む。
「前に言ったけど、僕って不完全カメラアイだから、覚えたものをきちんと思い出せないときがあるんだよね。それでふと気になってその本を探しちゃうってことが起こるわけ。だから何冊も並行して読んでる状態になっちゃう。できればリラックスしてベッドに寝転がりながら読みたいから、ベッドから手が届くところに全部置きたいじゃん? そうするとさらに本が散らかるわけ」
ピーチティーを飲んでいたミナトがいつかのようにちょっとドン引きした顔をした。
「……なんかすごそうっすね……すげえ意外……」
「ソータにも本を片づけろって言われる。でも、ベッドから届く範囲に置きたいんだよ。映画のパンフレットも同じね。映画のサントラ聴きながらパンフレットを見てるといろんなシーンを思い出せて楽しいんだけど、今日はこの映画、明日はあの映画って手を出すと、それもベッドの側に散らばる。どれを優先して片づければいいか分かんないんだよ」
「いや、昨日のを片づければいいんすよ」
「数日後に『あそこになんて書いてあったけな』って思うかもしれないじゃん。未来の僕がそこに置いておけって言うんだよ」
「それ、未来の先輩じゃなくて今日の先輩っすよ」
呆れた口調でミナトはそう言い、すぐにからっと笑った。
「ウケる。先輩の意外なところを知ったっす。よく言うと本の虫で映画好き。悪く言うと、うーん、言わないでおきます」
あまり褒められたことではないことは分かっているので、そこは流した。そこで洸太はミナトの風に揺れる髪を見た。ずっと切っていないのか、もう一番長い部分は背中についているし、キャラメルの部分もかなり長くなってきている。