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第12話 役者と照明-2

「コータ、準備いい?」


 ぽんと肩を叩かれてはっとする。


 いつもソータを輝かせている光が、今、僕に当たる。だったら今、ここで思い切りやろう。


 洸太が頷くと、舞台監督の生徒が手で丸を作った。目を瞑って息を吸う。主役は熱血男子のクラス委員長。普段の自分とはまったく違う。その役に息を吹き込めるか、それは自分次第だ。


 まずはソータの真似を。脳内で湊太の演技を再生し、深呼吸する。


 「始め!」の言葉が空気を切る。次の瞬間、洸太は湊太のメモの通り机にこぶしを叩きつけた。じんと鈍く痛む手に唾を飛ばして腹から叫ぶ。


「『どうして分かってくれねえんだよ! 俺のほうが正しいだろ!』」


 思った通りに声が出た。


 興奮に顔がかあっと熱くなり、すぐに息をついて隣の女子を睨む。彼女は一瞬たじろいだ。だがすぐに言い返してくる。


「『あんな言い方したら誰だって反対するでしょ。言い方よ、言・い・か・た!』」

「『ふたりとも待ってよ。うちらが言い合ってたってしょうがないじゃん』」


 ため息をつきながら「『しょうがないって……』」と、髪をぐしゃぐしゃと掻きむしりながら机の前を歩き、止まる。


「『俺にとってはしょうがなくねーんだよ。明日の話し合い、どうすんだよ』」


 タンタンとリノリウムの床に足音を鳴らすと、こちらを見る彼女が言った。


「『そんなこと言ったって』」


 女子の口調がゆっくりになったので、自分が早口になっていることに気づいた。すぐにその意味を理解して息を呑み込み、湊太の口調を思い出す。「もう一回聞くけど」と人差し指を立てる。


「『俺らのクラスだけ、クラス行事はなんもせずに自宅学習でいいんだな? 他のクラスはウォークラリーや思い出作りをすんのに』」

「『受験勉強をしたいっていう子もいるんだよ』」

「『そうそう。思い出よりも未来が大事って考えてるだけ』」

「『でも行事は高校の行事じゃねーか。クソッ、なんで分かんねーのかな』」


 椅子にどかっと座って頬杖をつく。彼女たちが断固として意見を変えないこちらに呆れ返って顔を見合わせた。


「『もういいよ。アヤ、帰ろ』」

「『意固地になっちゃってバッカみたい!』」


 意固地になっちゃってバッカみたい。突然、そのセリフが自分自身とリンクして頬の産毛がざわっとした。


 どうして最初から裏方をやりたがった? 照明は大切な役割だ。実際ミナトに説明したときは本音でそう言った。でも、自分がやりたかったのは本当にそれなのか? 今やっている役者こそが、本当はやりたかったものなんじゃないのか?


 意固地になっちゃってバッカみたい。


 ソータと違う道を選ぼうとする自分の行動こそ、意固地になっていなかったか?


 女子が去った教室で俯く。


「『……俺が間違ってるって言うのかよ……』」


 洸太のセリフに舞台が暗転した。


 次のシーンへ移って五分ちょっと通して行うと、「そこまで!」の声が入った。みんなが演技を止めて、途端に全身から力が抜ける。思ったより照明の熱が強い。ジャージの下に汗を掻いていて、喉がからからだ。


 だが、心臓は興奮にばくばくと大きな音を立て始めた。顔が火照って熱い。人前でこんなに感情を発露したのは一体どれくらいぶりなのだろう。普段の自分を忘れて、別の世界の住人になった。幼い頃から見ている側だった自分が、こちら側に立てた。たった数分の演技。だが、全力で声を出して全力で演じることができた。それが涙が出そうになるほど嬉しい。


 すごい。やっぱり演劇は楽しい。役者ができたなんて、夢みたいだ。もっともっとやりたい。


 胸の興奮を抑えようと額の汗を拭う洸太に対して拍手に湧き、「コータすごいじゃん!」と部員にわっと囲まれた。


「ソータと演技がすごく似てた! いや、口調が似てたって感じかな」

「台本マジで覚えてんの? すげえスムーズだった」

「こんなに上手いなら役者やればいいのに」


 周りの歓声に顔が赤くなるのが分かった。前髪で眼鏡を隠し「いやいや」と手を振ってうしろへ下がる。


「ソータを真似すればいいんだなって思っただけ! ホント、それだけ!」

「でも、ソータができるまでコータが役をやってよ。ソータを再現できるなら周りもそれが一番いいし」

「十五ページのところ、はけるのがちょっと早かった。ソータに聞いて調整して」

「十二ページのセリフ、走りがちだからもう少しゆっくりしゃべってほしい」


 代役が決定事項のように次々とアドバイスされ、普段黙々と作業をしがちな洸太の背から汗が噴き出す。


「あのー……」


 そこへ一つの声が割って入ってきて、みんなが一斉に声のする舞台下を見た。洸太は驚いた。キャメル色のカーディガンの肩に鞄をかけたミナトが、金髪プリンの頭を掻いている。


「部活中にすんません。体育の時間にジャージの上着をここに置き忘れちゃったんですけど、赤ジャージの上着、ありませんでしたか」

「あ、毒島君、あったよ。胸に名前の刺繍が入ってたから分かった」


 一年女子が舞台袖からきちんとたたまれたジャージを持ってきた。舞台の上からミナトに「はい」と渡す。ミナトは顔見知りらしき彼女に「サンキュ」と言ったあと、舞台上の洸太とパイプ椅子に座る湊太に目線を行ったり来たりさせた。そして湊太のほうへ尋ねる。


「弟先輩があの役ですよね。椅子に座ってどうしちゃったんですか」

「体育の時間に足を捻挫しちゃったんだよ。だから代わりをコータに任せた」

「マジすか。お大事にしてください。それで双子入れ替わりの術をやってんすか?」

「うーん、そんな感じ? だって、コータ、俺のセリフを全部暗記してるから。コータなら俺の役をできるし」


 湊太のセリフに彼はふうんと言ってこちらを見た。その目線にどきっとする。


「先輩、眼鏡外して髪型を変えたらいいんじゃないっすか。より弟先輩に近づくっしょ」

「ソータのセリフを言う人が必要ってだけだから、そこまで真似しなくても」

「あ、そうなんすか。弟先輩を真似するって言ったから、そういうことなのかと思ったっす。失礼なこと言ってすんません」


 彼はぺこりと頭を下げると、「じゃ」と言って体育館を出ていこうとした。そこへ湊太が「あ! 君!」と呼び止める。


「演劇部に興味ない? 文化祭ですごかったって言ってくれたじゃん。見学してかねえ?」


 すると先ほどジャージを渡した子が「そうだ」と頷いた。


「毒島君、部活は入ってなかったよね。演劇部、男子は少ないの。背景のパネルとか、生徒で作ってるんだよ。毒島君なら体も大きいし、大道具を作るの得意そう」


 するとミナトは今度は湊太とその子に視線を行ったり来たりさせた。


「オレ、すごい不器用。針に糸を通せないし、みかんの筋をきれいにとれない人だけど」


 そう言ってから、ミナトの大きな目がびっとこちらを見た。


「でも、先輩の劇、おもしろそうっすね」


 彼はそう言うとその場にすとんと座り、長い足の膝を抱えた。


「見学してくっす。バイトまで時間あるし」


 驚く洸太の前で、湊太が「あそこに椅子あるぜ」と壁に立てかけてあるパイプ椅子を左手で指さした。ミナトがパイプ椅子を持ってきて湊太の隣に置き、腰かけて足の上にこぶしを置く。


「コータせんぱーい」


 調光室から一年生が声をかけてきた。


「サスのとき、ちょっと前に出すぎてますよ。ライトとズレます」

「え? あ、そうか! いつも僕がやってるところなのにごめん!」


 洸太が慌てて自分の照明用の台本を思い出すと、後輩が笑顔で親指を立てた。


「今日先輩を輝かせるのはこっちの仕事なので! 任せてください!」

「照明はオーケー? それで、十六ページのシーンだけど」


 ひとりの言葉にみんながようやく意識を劇に戻した。役者の子と打ち合わせしながら、洸太の意識の一部がミナトへと向けられている。部活仲間に演技を見られるのも緊張するが、彼に見られるのだと思うと一層緊張してくる。


 その後、最後まで湊太の代わりを演じ、照明係は後輩に任せた。ライトが当たると、その熱にいつも湊太はこんな熱気を浴びているのかと思う。きっと、照明をやっている自分の思いを受け取ってくれているだろう。


 役者の立場になって、照明のすごさが実感できる。自分に自信の持てない洸太にとって、自分を認められる初めての瞬間だった。

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