彼は再び洸太のカードに目を落とした。
「先輩、名前に光って入ってるし、照明係も似合うっす。名は体を表す、ってことっすか。人を輝かせる照明係ってかっこいいっすね。先輩、めちゃくちゃかっこいいっす」
「……あ、なんか気を遣わせてごめん」
湊太をかっこいいと思ったのに、なんだかこちらを褒めないといけない空気にしてしまった気がした。ミナトがまた湊太が去った方向を見る。
「演劇部ってみんなあんな演技できるんすか。弟先輩、すごく上手かったっす。オーラがあるとか、そういう感じでした」
「ソータは子役出身だからね。僕は役者をやったことがないから、あんなふうにはできないと思うけど」
するとなにを思ったか、彼が突然こちらに大きな手を伸ばしてきた。
「弟先輩があんだけかっこいいなら先輩もかっこいいっしょ。演技する役、やんないんすか」
大きな手が洸太の前髪をうしろへ掻き上げた。そして両手で眼鏡を外す。視界から眼鏡の黒縁が消えて、頭を撫でた手の温かさに体が固まった。ミナトが「やっぱり」と笑顔を咲かせる。
「ほら、先輩もやっぱイケメンっす。眼鏡にかかる前髪、長過ぎっすよ。おでこ出したほうがいいんじゃないっすか」
本音を言ってるとばかりの口調に、顔がかーっと熱くなった。自分が真っ赤になるのが分かる。湊太が万人受けする爽やかな顔をしているのは分かっているが、自分はイケメンだなんて言われたことがない。湊太と比べて地味。そう振る舞ってきたし、それが正しい評価だと思っていた。
――いや、それを正しい評価にしたかった。湊太と比べられることがあのオーディション以来怖かったからだ。
「そう言うミナト君も、目おっきくてイケメンなんじゃない!?」
恥ずかしさに眼鏡をひったくって彼の顔に押しつけた。曲がって眼鏡をかけたミナトが驚いたようにこちらを見下ろす。だが、黒縁の眼鏡が案外似合っていたので、思わず笑顔になってしまった。
「ミナト君、眼鏡が似合うかも。オフの日って雰囲気だね」
するとなにを思ったのか、彼のほうが顔を赤くさせた。そして額を押さえる。
「いや、これ、先輩の眼鏡だし……先輩の眼鏡、かけちゃってるし……なんか微妙に温けえし……」
「ミナト君って裸眼? 僕は裸眼で大丈夫なんだよね。この眼鏡、伊達眼鏡だし。それ、度が入ってないでしょ?」
「オレはコンタクトっす……家では眼鏡っす……てか、伊達眼鏡ってなんすか……」
「えっ、ホント? 眼鏡の写真見せてよ。絶対似合う。伊達眼鏡は、なんとなく。役者が衣装を着るのと同じだよ」
「なんとなくってなんすか……ってか、ホント、先輩、破壊力半端ないっす」
「前も言われたけど、それどういう意味?」
すると彼は黙りこくってしまい、はあと息をついた。そして眼鏡を外し、丁寧に折りたたむ。そして「はい」とこちらに差し出した。急いで眼鏡をかけ、手櫛で前髪を戻す。だが、ミナトは腕を組んでこちらをじろじろ見た。
「先輩、髪切りませんか。少なくともデコは出したほうがいいっす」
「髪型は特にこだわりないけど、顔出すのはちょっと恥ずかしい」
「顔面偏差値が高いのに隠すって意味分かんないっす」
「偏差値が高いか分かんないけど、気が向いたらね」
ミナトは「じゃあ楽しみにしてるっす」と笑った。そして鞄を肩にかけ直し、こちらの背中の真ん中をぽんと叩いた。こちらを押すように歩き出す。
「一緒に帰りましょ。弟先輩もすごかったっすけど、演劇部全体がすごくて楽しかったんす。全体が立体的って言うか、映画のスクリーンを見てるのとは全然違うんだなって。物語を生で見たって感じが強くて、見に行ってよかったなって思ったっす。先輩にそれは言わなきゃと思ってたんすよね」
ミナトは心の底からそう思っているようで、洸太の口元がほころんだ。演劇を知らない子にもあの世界を見てもらえた。それが分かると普段の練習や苦労が報われる気がする。
「それならよかった。来月に大会があるから頑張らなきゃいけなくて。同じ劇を繰り返して上を目指してくんだよ」
「大会なんてあるんすか。オレは詳しいことは分かんないっすけど、今日の話はおもしろかったっす。ザ・青春っすね。黒板に貼ってあるプリントが曲がってる感じがめちゃくちゃリアルで、オレのクラスがモデルかもと思って思わず席の数数えたっす」
相変わらずの独特な見方に思わず笑ってしまう。だが、そのプリントを作り、斜めに貼るというのを考えたのは演劇部だ。ミナトの目線は細部に注意を払ったこちらの意図まで指の先ですくうように汲み取っていく。照明係というものにさっきのような感想を持てるのも、ミナトの細やかな感性ゆえだろう。ミナトのおしゃべりが続く。
「オレ、中学のとき陸上部だったんすよ。全然筋肉つかなくて弱かったっす。先輩、半袖のときに見たら腕とかめっちゃ筋肉ついててびっくりしました」「裏方って肉体労働なんだよ。筋トレするから腹筋が割れるし」
「マジか。オレ、体質なのか筋肉つかなくてぺらぺらなんすよね。背高いのはオレっすけど、男らしいのは先輩っす。羨ましいっす」
それ以降、ミナトは湊太のことを一度も口にしなかった。ミナトが図書室の本で紹介していた本に触れると、「先輩に読まれるのは緊張するっす」と笑う。ミナトに主役のことを言われたときに冷えた心の底がだんだんと温まっていって、「じゃあまた」と笑顔で駅のほうへ消えていくミナトの背中を見つめた。地平線に近づいた太陽がミナトの金髪を明るく照らしていて、毛先が翻るときらきらと光る。
そのきらきらしたミナトの笑顔が脳に貼りついている。まるで劇が終わった直後のように胸が熱い。
――あの弟先輩がかっこよく見えたのは、先輩のおかげってことっすね。
――人を輝かせる照明係ってかっこいいっすね。
思わず口元を手で押さえていた。初めてだった。湊太のことを知った上で自分のことをまっすぐに見てくれた人は。小学校入学前から自分は双子の片割れで、「ダメ」な子だった。
舞台で役者の立ち位置に印をつけることをバミると言う。洸太のバミリはいつも湊太の影にあって、表立って評価されることはなかった。演劇が好きだ。だから「ダメ」な自分は関われるだけで充分すごい。
それでいいと思っていた。それしかないと思っていた。それなのに、ミナトは洸太を見つけ出した。
忘れたくても忘れられない幼い日の映像と「あの子はダメだね」の言葉。自分の記憶力ではきっと一生忘れられないと思っていたあの夏の光景を、植えつけられてからずっと払拭しきれなかった劣等感を、ミナトは太陽の笑顔で白い光の中に薄めていく。
――夏休みなにしてた? こっちはバイトと宿題。
バイトのあとに声をかけてくれて、一緒に宿題をやった。机の文通もミナトは気づいていないがふたりでやっている。ミナトは湊太のいない空間で自分をさらけ出せた初めての相手だったのかもしれない。
急いでスマホのスケジュールアプリを見る。ミナトの図書当番の日をメモしてある。あさってが一緒に帰れる日だ。ミナトと話したい。ミナトといると自然体の自分でいられる。ミナトといるとなにも気にせず笑って過ごせる。
――人を輝かせる照明係ってかっこいいっすね。
どこからか金木犀の香りがする。秋が来た。梅雨の季節にミナトと話して一つの季節が過ぎた。
家に向かって歩き出すと、次第に早足になって気づくと走り出していた。夕日が目に染みる。目が熱くてしかたなかった。