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第9話 文化祭-2

 結果、劇は大成功に終わった。大きな拍手の中のカーテンコールもみんなが笑顔になれたし、ちらりと見ただけだが書いてもらったアンケートもおおむねいい評価が書かれている。


「来月の県大会を通過したら県代表。今年も上のブロックに行くよ!」


 円陣を組み、部長の女子の声にみんなで「おー!」と気合いを入れてハイタッチを鳴らした。音響の子に「お疲れ」と手を出すと、向こうも嬉しそうに「コータもお疲れ」とタッチを返してくれる。弾ける音にようやく緊張が解けた。


 舞台の片づけや反省会は明日になり、まずはクラスへ戻って帰りの会に参加する。それを終えて鞄を持って廊下へ出ると、普通科の教室の前に女子の人だかりができていた。中心にいるのは湊太だ。昨年と同じ光景にくすっと笑う。一年間の中で湊太のモテ期は学内公演後だ。


「ソータ、お先に」


 洸太がそう言って横を通り過ぎると、「コータ! ヘルプ!」と声が飛んでくる。文化祭となるとみんなテンションが高いわけで、そんな女子たちの相手をできるわけがない。洸太は手をひらひらと振って無視し、ぺたぺたとリノリウムの廊下を進んだ。


 秋の日はつるべ落としで、九月も下旬に入ると途端に日が短くなる。夜の迫るオレンジ色の空を見て、洸太は昇降口に向かった。


 昇降口には「ようこそ石見いわみ祭へ!」という飾りつけが残っていて、まだ文化祭の余韻が漂っている。洸太も劇が成功して大満足だ。他の生徒たちもわいわいとしていて、立ち話をしている姿も多い。


 内心鼻歌を歌いながら校門へと坂道を下っていると、遠くから駆ける足音が近づいてきて、「先輩!」とうしろから肩を掴まれた。


 力強さに驚いて振り仰ぐと、そこにいるのは鞄を肩にかけたミナトだった。はあはあと息を切らし、自分を見つけて走ってきたようだった。今日は前髪だけあげて二本のピンでバツ印に留めている。


「あの、今日、演劇部を見たっす!」


 興奮気味に話すミナトの口元が白い歯をほころばせる。あ、見に来てくれてたんだ。洸太の胸が熱くなったが、ミナトは「すごかったっす」と笑顔を咲かせた。


「主役、めちゃくちゃかっこよくて! 先輩、あんなすごいなら先に教えてくださいよ」


――あ、そっか。


 ミナトの言葉に熱くなっていた胸がさっと冷えた。


 洸太はそこで初めてミナトと一緒にいると居心地がよかった理由を理解した。ミナトが湊太の存在を知らなかったからだ。洸太は湊太のことを弟としか表現していないし、一学年違うミナトが科の違うこちらの関係に気づくこともない。洸太は自分が演劇部だということもミナトに言っていなかったから、ミナトはあの机の文字に従って演劇部を見に行き、主役をやっている湊太を見てこちらと間違えたのだろう。


 ふたりでいるといつも華やかなのは湊太で、いつも目立つのが湊太。だからいつもすごいと言われるのも湊太だ。小さい頃からそれが当たり前だった。先ほど廊下で湊太に群がる女子がいたのと同じように、仲良くなったこのミナトだって、湊太の存在を知ったらそちらに目が行く。


 これは、いつものことだ。湊太がすごいのはいつものこと。


 すうっと息を吸って、ミナトに向き直った。にっこりと笑ってみせる。


「本当? ありがとう。ソータにそう言っておくよ」


 案の定、ミナトが戸惑った顔になる。


「ソータに言っておく……? え、先輩の名前って寿 湊太そうたっすよね」

「ううん、僕は寿 洸太こうた。漢字が似てるから間違いやすいけど。いつも見てる図書室のカードにも書いてあるでしょ」


 洸太は財布からカードを取り出し、差し出した。受け取った彼が、洸太の名前の書かれたカードを凝視する。


「ことぶき、こうた……」


 彼が思わずと言ったように言う。


「オレ、演劇部を見に行って、先輩が主役をやってるって思ったんすよ。プログラムの主役のところに寿湊太って書いてあって、寿なんて珍しい名字は先輩だけだろうって思ったから。顔も似てたのに……」


 ミナトがカードを掴む指にぎゅっと力を入れて呟く。


「髪型が違うの、ワックスでもつけてんのかと思った。先輩じゃなかったんだ」

「ソータは弟。弟って言っても双子だから二年生ね。でも、似てるなんて最近は言われないけどな。あっちは眼鏡をかけてないのに、よく気づいたね」


 ミナトが洸太とカードに目を行ったり来たりさせる。そこへ足早に校門に向かうリュックを背負った男子が「あ」と足を止めた。噂をすれば湊太だ。


「コータ、早く帰ろうぜ。今逃げてきたんだよ。なんで助けてくんねえんだよ」

「ソータ。この子、一年生。今日の演劇を見てくれたって。主役かっこよかったって」


 すると湊太が嬉しそうに「マジ?」とミナトを見上げた。


「ていうか一年? でっか。何センチあんの?」

「……あ、一八三です。あの、演劇すごかったっす。演劇って初めて見たんすけど、本当にびっくりしました」


 すると湊太がにかっと歯を見せて「サンキュー」と笑った。


「そんなに身長あるなら舞台で映えそうだな。うちの部に入ってよ」

「いやいや、演技なんてなんも分かんないです!」


 ミナトが慌てたように手を振って、湊太はそれにも笑った。そしてこちらに「早く帰って来いよ」と言い、たたっと坂道を走って下りていく。


「ね、あれが弟のソータで、演劇部の主役。似てないでしょ」


 彼がぽかんとしたように湊太の背を目で追った。


「たしかに、あの人だったかも……雰囲気は全然違うけど。でも、あの人、先輩と顔似てる……」


 ミナトが湊太の背とこちらを見比べる。


「主役が出てきた瞬間、遠目だったけどイケメンだなって思ったんすよ。で、よく見たら顔が先輩だったからめちゃくちゃ驚いて。プログラムの寿って名字を確認して、なんで教えてくれなかったんだろうって思ったんす。あの弟先輩と先輩、そっくりっすよ」


 そこでミナトは怪訝そうにこちらを見た。


「でも、先輩も演劇部っすよね。図書室で演劇関係の本を借りてるなって思ってたんすけど。だから演劇部だろうって思ってたし、主役を先輩だと思い込んだんだし」

「よく覚えてるね。たしかに僕は演劇部だけど、役者をやるわけじゃなくて照明係なんだ」

「照明?」

「劇の最中、ライトの色が変わったりスポットライトがひとりに当たったりしたの覚えてる? 役を演じるのは役者で華やかだし注目されるけど、その役者にライトを当てるのは照明係。見てる人が今誰を見るべきなのか、誰が輝いている瞬間なのか、全体がどんな雰囲気なのかを演出できるんだ。やりがいあるよ。たまにライトが熱くて火傷するけど」

「……なるほど」


 ようやく彼は納得した声を出した。そしてこちらをじっと見下ろす。


「あの弟先輩がかっこよく見えたのは、先輩のおかげってことっすね」


 まっすぐな目とミナトのセリフに思わず言葉に詰まる。照明係と言えば地味。演劇を知らない人からすればどこにいるかすら分からない裏方だ。照明係をそんなふうに評価されたのは初めてだった。

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