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第27話 初恋

 五時からクリスマスツリーの周りでイルミネーションの点灯式があるらしい。四時半にそこへ行くと、てっぺんの白から根元のオレンジへと、グラデーションに枝を染めたツリーが立っていた。シルバーとゴールドのオーナメントがきらきらと光っている。たっぷり二階分はあろうかという高さに、ふたりの口から同時に「おお」と声が出た。側のストリートピアノで男性がきよしこの夜を弾いていて、メロディーが吹き抜けに響いている。


 目配せし、ビニール袋をがさごそ言わせながら端へ寄った。角の店の壁にミナトがもたれ、その隣に立つ。


「すごいっすね。ここのクリスマスツリーってこんなにきれいだったっけ」


 ミナトがツリーを見上げ、目を輝かせて言う。いつも長い前髪に邪魔されがちだったサイドがきれいに切りそろえられていて、ミナトの睫毛が上下するのが見える。そのとき、ミナトが指先をこすり合わせたので、「寒い?」と指を掴んだ。完全に冷え切っていて驚く。


「はい、カイロ。寒かったの気づいてなくてごめんね」


 両手でミナトの手と新しいカイロをサンドイッチにする。手が大きくていいな。そう思っていると、ミナトがこほんと咳払いした。


「先輩、あざっす。もう大丈夫っす」

「ミナト君、手袋しないよね」

「手がでかくて入るサイズがなかなかないんすよ」


 洸太がそれにちょっと笑うと、ミナトも笑った。カイロを挟んだ手に息を吹きかけ、ざわつくモールで輝くツリーを見上げる。


「オレ、昔からサンタはすげえ危険な仕事だと思ってて、小さい頃はサンタが飛行機と事故らないでほしいとか思ってました。うちにプレゼントが置いてあるのを見て、今年も日本には無事に来られたんだと思ったりして」


 サンタの無事を確認してほっとする幼いミナトを想像し、ちょこっと笑う。するとミナトもちらりと歯を見せた。


「オレ、中学で労働基準法を習ったとき、サンタってブラックじゃんって思ったんす。だけど、ブラックっていうと色的に誤解が生まれると思って。人にこのもやもやを説明できなくて。変だと思いません?」

「言われてみればたしかに! 服はレッドとホワイトなのにってなるよね。考えたことなかった」


 洸太が「なんて言えばいいんだろう」と首を傾げると、ミナトが続ける。


「うまい言い方ないかなって思ったんすけど、最終的に厳しい仕事をしているっていう言葉に落ち着いたんす。でも納得いかないって言うか」


 ミナトが腑に落ちないとばかりに腕を組んだので、各店舗の赤や白、緑の飾り付けを見ながら考える。


「ブラック企業って言葉はあるけど……僕が思うに、サンタは企業に勤めてないよね。だって、所属はサンタクロース協会でしょ? 株式会社サンタクロース、とかじゃないし」

「サンタクロース協会って企業じゃないか。協会と企業の違いってなんすか」

「目的が違うんじゃない? 活動することが目的、利益を出すことが目的、みたいな。ちゃんと調べないと分かんないけど」

「うお、マジっすか。先輩マジ頭いいっすね」

「サンタって金銭的利益は求めてないわけじゃない? 子どもたちに希望を与えること、みたいな目標はありそうだけど。そう考えると、サンタが会社員だとは思えないし、会社に所属しているわけじゃないと思うんだよね」

「なるほど、分かった! サンタは労働基準法に当てはまらないんすね! プレゼントを配るのは労働じゃないから!」


 ミナトが長年の謎が解決したと言わんばかりに顔を輝かせてこちらを見た。


「先輩、それ、すんげえ朗報っす! サンタ、ブラックじゃなかったんすね! ガキのオレに教えてあげたい!」


 ミナトの明るい顔を見られると、洸太も嬉しくなって「その通り!」と笑ってしまった。


「サンタはレッドとホワイトでオーケーってことだよ。事件解決、一件落着! 小さいミナト君もこれで安心だね!」


 するとミナトがなにがおかしかったのかふふっと笑った。少し顔を赤くさせて「先輩って優しいっすね」とこちらを見る。


「オレのこんな話を聞いてくれる人、普通いないっすよ。サンタはいない、でおしまいになるっしょ。オレ、本当は気づいてます。自分がちょっと変わってるって。先輩と夏に見に行った映画を見たってクラスメイトがいて、そいつに『洗濯日和だな』って言うシーンがよかったなって言ったら、そんなシーンあったっけって言われたっす。変なこと言っちゃったかなって思ったんすけど、先輩は勉強になるなって言ってましたよね。あれ、すごく嬉しかったっす」


 ミナトはそう言ってまたツリーを見た。なにかを思い出すように目を細める。


「先輩は弟先輩と比べて悩んでたと思うっすけど、オレは周りと話が合わないなって思ってたんすよね。ほら、告白されても二週間でフラれるって言ったっしょ? あれ、オレが気づかないうちに変なことを言うからだと思うんすよ。オレが思ったことを言うと、普通はそんなこと考えないとか言われるんす。だから、オリエンテーションの自由時間も、同じ学年のやつらとしゃべるより先輩と話してるほうがずっと楽しかったっす。さっきもトランプしようって言ってくれましたよね。そういうこと、覚えててくれるの、すごく嬉しい……そうやって細かいことも覚えるから、オレが炭酸飲めないって気づいたんですもんね。先輩みたいな人をかっこいいって言うんすよ」


 ミナトの寂しそうな横顔に胸が詰まった。見た目やしゃべり方から想像するよりずっと繊細な子だとは思っていた。だが、ミナトがそこまで悩んでいたことは知らなかった。自分の悩みばかり明かせたことを喜んで、ミナトのそういったことに気づいていなかった。自分はミナトのことがなにも見えていなかったのだろう。


 体がひやりとして、温かさを求めてクリスマスツリーを見上げた。だが、さっき見たよりも光の色が切ない気がする。


 僕にはミナト君を好きでいる資格なんかないんだな。ミナト君にとって、佐藤さんは僕よりも自分のことを分かってくれるって思える人だったんだ。


 ぐっとくちびるを噛みしめる。だが、自分にミナトがいてくれたように、ミナトに佐藤さんがいてくれたらいい。そう思ったら、ミナトのダッフルコートの袖を掴んでいた。


「ミナト君、大丈夫だよ」


 ぐいと引っ張ると、少し驚いたようにミナトがこちらを見下ろした。笑顔を作って頷く。


「ミナト君の感性は魅力的だよ。明日は自信を持って佐藤さんと会って。クリスマスデートは絶対うまくいくから!」


 ミナト君、なにも気づいてあげられなくてごめんね。今日からちゃんとミナト君を応援するよ。僕にはそれしかできない。


 洸太はビニール袋をがさがささせながら右のこぶしをぐっと握ってみせた。


「大丈夫、ミナト君は優しい人だから、佐藤さんも絶対に好きになってくれるって!」


 ミナトが目を見開いた。「え?」となにか言いかけたとき、突然モール内の明かりがフッと暗くなった。目の前のクリスマスツリーだけが明るく浮かび上がる。いつの間にかきよしこの夜は消えていて、シャラララとガラスの破片が飛ぶような音が広がった。行き交う人々も足を止め、なにが起こるのかといったようにざわざわとする。


 ツリーの背面の真っ白な壁に、きらきらと雪が降るようなプロジェクションマッピングが映し出された。その中央に30の白い数字が表れて、誰かが「カウントダウンだ!」と言う。


「すごいね! きれい!」


 思わず声が出て浮かび上がる数字を指さした。誰ともなくそこにいる人々が数字を声に出してカウントし始める。


「20! 19! 18!」


 数字とともに立ち止まった人々の声が何重にも重なり、10から数字も大きくなって天井からふわりふわりと雪が落ちる。雪の中に立つクリスマスツリーは本当にきれいだった。


 明日、ツリーの前で微笑むミナトの目線の先には、佐藤さんがいるかもしれない。だが、今日言ってくれたことと今日のミナトが自分を見ててくれたことで充分だ。自分の初恋は今日で終わる。カウントダウンとともに消えていく。悔しいけれど、ミナトに幸せになってほしい。


 どうか、ミナト君が笑顔で過ごせますように。どうか、ミナト君が悩みを忘れられる時間が訪れますように。カウントダウンはミナト君の幸せの時間の合図だ。


「5、4、3、2、1!」


 ゼロの瞬間、柱や二階以上の手すりに巻かれていた電飾が一斉にゴールドの明かりを灯した。やわらかい光にふわっと優しく周りが包まれたようで、みんなが穏やかな笑みで笑い合って拍手をする。ジングル・ベルの音楽が響き渡り、モール内がポップな雰囲気に変わった。


 ぱらぱらと拍手がやむと、ツリーを見ていた人もぞろぞろと移動し始める。洸太の脳内ではまだプロジェクションマッピングの雪がひらひらと舞っていたが、突然「ねえ」と肩をぐいと引っ張られた。はっと我に返ると、ミナトがなぜか焦った顔でこちらを見てくる。


「先輩、今のどういうこと?」

「え?」

「クリスマスデートって? 佐藤さんってどういうこと?」

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