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第21話 恋愛相談-1

 オリエンテーションから帰ってきたミナトがくれたのは、いちごキャラメルにコーティングされたポップコーンだった。いちごの産地だけの限定品だ。映画を思い出して笑うと、案の定ミナトも「また映画行きましょ」と笑ってくれた。


 いちご味は甘くて心に染みる。ひとり自室でポップコーンを味わい、気分よく翌日古典の授業に行った。だが、机の上の文字を見て息が止まった。


『こないだ好きな人ができた』


 蛍光灯で銀色に光るシャーペンの丸文字が恋を語っている。木目のある机に目が釘付けになって、目が見開く。体がかちんと動かなくなって、その文字から目をそらせない。


 好きな人ができた。好きな人ができた? 佐藤さんを見つけたってこと?


 衝撃に思考が停止して、食い入るように机を見つめるしかできない。教室に入ってきた教師に「寿君?」と不思議そうに声をかけられた。


「どうかした?」

「……いえ、なんでもありません」


 ささっと文字をノートで隠し、ペンケースからシャーペンを取り出す。だが、なんと返事をすればいいのか分からない。


 心臓がどくどくと音を立てて、腹がきゅうっと痛くなる。急に目頭が熱くなって、ハンカチで咳を抑えるふりをして目元を拭った。シャーペンを握る手に力が入らない。教師の言葉なんて右から左で、座っている椅子の冷たさだけがしんしんと体に冷えた。


 ミナト君、佐藤さんに会えたんだ。ってことは、これからその子と一緒に帰ったり、クレープを食べたりするってこと? 映画館でセカンド飲み回しをするのは僕じゃなくて、佐藤さんってこと? 来年の学内公演を一緒に見ながら僕を指さして、「あの先輩と仲良いんだよ」っておしゃべりしたりするってこと? 僕はそんなふたりに「付き合えてよかったね」と笑顔で言わなきゃいけないってこと? ――そんなの、できるわけないじゃないか。


 ギリギリと掴まれたように心臓が痛い。授業は上の空で聞き、チャイムが鳴ってから「おめでとう」と一言書いて終わりにした。


 ところが、次の授業のときには「うんざりされない程度にアプローチするにはどうしたらいい?」と書かれていた。どうやら恋愛の相談相手にされてしまったらしい。ぐっとくちびるを噛みしめる。


 おそらく、オリエンテーションに行って、他クラスや他の科とも交流して佐藤さんを見つけたと言ったところだろう。自分を応援してくれたミナトを突き放すのは心が痛む。ミナトのことは好きだから相談に乗りたい。でもミナトのことが好きだから素っ気ないことしか書けない。しかたなく「一緒に帰ろうって誘ってみたら」とだけ返事をした。


 翌日はミナトの図書当番の日で、部活を終えてから悶々として制服に着替えた。初めての役者は楽しいが、この状態では学校生活の楽しみが半分なくなったも同然だ。いや、半分以上だろう。ブレザーの前を合わせ、ため息をついて昇降口を出ると、いつも通りミナトは校門にもたれて立っていた。校舎からの明かりの中、こちらに気づかずぼんやりと空を眺めている。洸太はそれを足を止めて見つめた。


 いつもはシャツにキャメル色のカーディガンだが、今日は寒かったのか、白のパーカーを中に着たブレザー姿でポケットに手を突っ込んでいた。普段あまり見ない紺色のジャケットがハーフアップの金髪を目立たせている。空を見上げている表情は、誰のことを考えているのか分からない。


 長くなった金髪が翻るといつもよりきらきらして見える。洸太の胸がぎゅっと締めつけられた。


 佐藤さんと結婚するのが将来の夢のミナト君。話が合う佐藤さんを探していたミナト君。そして、念願の好きな人を見つけたミナト君。羨ましい。――僕が佐藤さんになりたい。


「ミナト君、待たせてごめんね」


 勇気を振り絞って名前を呼ぶ。ミナトがぱっと弾けるように顔をこちらに向け、笑って小さく手を振ってきた。かわいい。でも、きっとこれから手を振ってもらえるのは自分ではなくなる。顔に笑みを貼りつけて近づくと、ミナトが校門から背を離す。


「先輩、一緒に帰りましょ」


 こんなふうに誘ってくれて一緒に帰れるのもいつまでかな。そんなことを思いながら「うん」と彼の隣を歩き出そうとした。だが、ミナトは立ち止まったままで、おやと思って顔を見上げる。するとなぜかミナトが緊張した顔をしていた。


「どうかした?」


 思わず尋ねると、ミナトが「イエ」と目をそらす。


「……なんでもないっす……ちょっと、ね」

「そう?」


 特にミナトの言葉が続かなかったので、並んで歩き出した。コツコツと靴が地面を鳴らす。


 どんどん日が短くなって、足元から寒さが這い上がってくる。明日からマフラーを出そうと考えて、もし寒そうにしているミナトがいたら自分のをかけてあげるのにななんて思う。もやもやする気持ちを打ち消すために口火を切る。


「ミナト君さ、理想の佐藤さんってどんな子? 今やってる僕の役、彼女がいる設定なんだけど、どういう子を想定すればいいのか全然分かんなくて。ソータには理想の彼女を考えろ、みたいなことを言われたけど、そんなの考えても分かんないし」


 佐藤さんってどういう子? どういう子なら僕は諦められる? そんな思いで聞くと、ミナトが真剣に「うーん」と腕を組んだ。


「理想の彼女っていうか、好きになった子が理想なんじゃないっすか」

「……そういうもの?」

「好きになってみて、意外とこういう子が好きなんだなって気づくとか、ありそうじゃないっすか」


 ミナトの言葉にリアリティがあったので、ぐっと言葉に詰まる。自分で聞いておきながら、身勝手に傷ついてしまう。だが、ミナトはちょっと笑った。


「先輩が恋バナってちょっとおもしろいっす。弟先輩はしゃべりそうっすけど」


 そうだよね。僕ってそういうタイプに見えないよね。


 内心頷きつつため息を吐くと、「先輩」と急に肩を抱き寄せられた。はっとすると目の前に車が迫っている。ミナトがこちらの肩に手を回したまま端に寄った。


「危ないっす。ちゃんと前見て歩いてくださいよ」


 近い近い近い。体がくっついて、制服越しにミナトの体温が流れ込んでくる。車が通り過ぎるまで口をむずむずさせていたが、車が去るとミナトがぱっと手を離した。笑顔でこちらを見てくる。


「先輩、あったかい。抱き枕サイズのカイロっすね」


 その言葉に恥ずかしくなって、思わずミナトの鼻先を摘まんだ。


「そうやってチビをバカにして」

「チビなんて言ってないっす。てか、先輩そんなにチビじゃないっしょ。あと、暴力反対っす。鼻声、やだ」

「じゃ、次言ったらグータッチね」


 洸太が手を離すと、ミナトは白い歯を見せて「了解!」と破顔した。


 再び歩き出したミナトをちらりと見上げる。今日は言葉一つ、行動一つが胸をちりちりとさせてくる。ゼロ距離でも本音を言えなくて、隣にいるのになんだか悲しい。好きだと思ったら友人の距離では満足できなくて、どんどん欲張りになっていくのが分かる。


 好きになってみて、意外とこういう子が好きなんだなって気づく。


 ミナトの言葉は半分合っていて、半分違う。好きになってみて、意外と自分はこうだったと気づくのだ。

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