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第20話 理想の彼女

 十一月の第二週になると、一年生は県の保有施設へ泊まりのオリエンテーションに行く。その間机の上の落書きは更新されず、夜に「今自由時間なんで」と電話をかけてきたミナトとおしゃべりした。


「そっち、寒くない? 去年、そこ行ったときに風邪引いたんだよね」


 読んでいた台本を伏せ、洸太はスマホをスピーカーにした。自室のカーテンを開けて住宅街の街並みを見ると、スマホの向こうからむくれた声がする。


『寒いっす。こんなの聞いてないっす。オレ、末端冷え性なんすよ。指先冷たくて、ダチの首筋で暖をとろうとしたらすんげえ怒られました』

「特進って男子少ないから、寝る前にみんなで寒い寒いって言いながらちっちゃく輪になってトランプしてたな。隣の子の熱波に助けられた」

『トランプ羨ましっ。こっちはこっそりゲーム機を持ち込んで回して遊んでます。でも、宿泊行事つったらトランプっしょ』

「ゲームしに行かなくていいの? 対戦相手を待たせてない?」

『大丈夫っす。先輩に呼び出し食らったって言っといたっす』

「ええ、ミナト君から電話かけてきたのに」


 くすくす笑うと、スマホの向こうも笑った。改めて住宅街の屋根の上に見える夜空を眺める。冬の近い空は空気が澄んでいて、オリオン座が見えた。


「あ、半月。そっちは天気いい? 見える?」


 ミナトが施設内のどこにいるか分からなかったので聞いたのだが、スマホの向こうが沈黙した。


「……ん? もしもし?」

『先輩はすごいっす……今のが「月がきれいですね」の流れっすね? 先輩、タイミングもさりげなさも完璧! 見習うっす』


 佐藤さんに言うのかな。ちらりとそんなことを思いながら「そんなつもりじゃなかったけど」と言っておく。


「それ、『ずっと前から月はきれいだよ』って返してもらえたらいいね」

『どういう意味っすか』

「ずっと前からあなたが好きでしたって意味になるんじゃない?」

『うわ、国語、ムズいっす。きれいが形容詞か形容動詞か分かってないオレには鬼ハードっす。この話題を出したオレ、反省案件っす』

「『きれいだ』は形容動詞。はい、古文の形容動詞の活用の種類は?」

『ナリ活用、タリ活用!』


 洸太が「正解!」と拍手をすると、向こうから「やった」と明るい声がした。


 最近のミナトは文系の勉強も楽しくなってきたと言っていて、進学先をどうしようかななんて発言もしている。ふたりで将来の話をしていると楽しい。過去に囚われていた自分が消えていく気がするのだ。ミナトは大学の友だちと舞台を見に行きますねなんて言ってくれる。


『先輩、冬休みも宿題教えてくださいよ。もっとできるようになりたいっす。そろそろ漢文がキャパオーバーなんすよ。外国語は英語で精一杯なのに、なんで昔の中国語?』

「中国語というか……まあいいや、またファミレス勉強ね」


 冬休みもミナトとふたりで話せる。それに喜んでいる自分がいる。にやけそうになる口元を押さえ、「お風呂に呼ばれたから」と理由をつけて通話を終えた。だが、ブラックアウトしたスマホの画面を見ても、口元がふふとほころんでしまう。


 スマホのフォルダをタップして、ミナトと撮った公園の写真とミナトの中三のときの画像を呼び出す。前にクレープを食べに行ったときに撮ったなと思ってそちらも見てみる。すると、クレープを持つミナトの手が大きくて、手首の骨がごつごつと出ていた。


 この手で佐藤さんと手をつないだりするのかな。


 想像してはあとため息をつく。なんだかこの間から佐藤さんのことを考えると胸がちりちりするのだ。むかむかする気持ちを抑えて台本を掴み、湊太の部屋をノックした。


「なに、どうかした?」


 ベッドにうつ伏せになって音楽を聴いていたらしい湊太が、白のヘッドホンをずらしてこちらを見る。だが、湊太の目の前にも台本が広げてあった。


「ソータさ、前回の劇でヒロイン役の橋本さんに片思いしてる設定だったよね」

「それがどうした?」

「今回の僕の役、彼女がいるんだよ。ソータはどうやって気持ちを作ってた?」


 湊太はヘッドホンを首にかけ、「うーん」と首を傾げた。


「この間は、マンガに出てくるヒロインがイメージにぴったりだったから、マンガを読んで橋本さんに重ねてた。好きになりかけたぜ? 橋本さんが他の男子としゃべってるとむかついたりしてさ。劇が終わった今は好きでも嫌いでもねえけど」


 それを聞いて額をこんこんと叩く。


「僕の役、彼女がいる設定なだけで出てこないんだよなあ。どうすればいいと思う?」

「コータの理想の彼女を思い浮かべてみればいいんじゃねえ?」


 湊太が簡単にそう言ったので肩を落とす。彼女いない暦イコール年齢の自分に難しいことを言ってくれる。


「誰なの、理想の彼女って……」

「髪が長いかとか、背は小さいかとか、そういうのあんだろ。好きな女性俳優とか」


 うーんと唸ると、湊太が「そうだ」と言った。


「それで思い出したけど、ミナト君の将来の彼女ってなに? 前に言ってただろ?」


 あの大きな手で手をつなぐ女の子。その映像を頭から追い出し「佐藤さんね」と言う。


「詳しいことは省くけど、ミナト君、佐藤って名字の人と結婚したいんだって。名字を佐藤に変えたくて。だから、話の合う佐藤さんっていう彼女候補を探してるってわけ」


 すると湊太が「え」と目を見開いた。


「ミナト君、マジで変わってんな……なんだそれ」

「僕も最初聞いたときはなんだそれと思ったけどさ、本人がそう言ってたし」

「外見でもなく中身でもなく名字? しかも結婚相手? 俺らより年下なのに。高一ってそういう夢見るもん? 高校で初めて付き合った彼女と結婚したい、みたいな」

「そりゃあひとり目で結婚できるのがいいって思うのが普通じゃない?」


 多分、ミナト君の初めての彼女は二週間でフッた子なんだろうけど。その言葉は呑み込んで肩をすくめると、湊太が「そうか?」と怪訝そうな声を出した。


「俺はひとり目よりふたり目がいい。ふたり目のほうが絶対に気が合うじゃん。だから付き合ってるわけだろ? 断然ふたり目だろ」


 初めて聞く湊太の恋愛観に驚く。


「え? そういう考え方もあるの……? ひとり目の子のほうが、やること全部が初めてで、どこにデートに行っても初めての場所になるから嬉しくない?」


 ところが、湊太は「ふうん?」と懐疑的な目つきで見てくる。その左手が台本を閉じた。


「行くとしたらコータはどこにデートに行きたいんだよ?」

「まずは映画かな? 僕が半券を集めてるのを見てても、気持ち悪いとか言わない人だといい。テーマパークとかよりも、寄り道で行ける場所を楽しんでくれるような子。学校帰りのデートとか楽しそうじゃん。部活の疲れを忘れられそう」

「じゃあ年は? ひとり目なら何歳でもいいってわけじゃないだろ」

「えっと……年上よりは年下かな。年上だと振り回されそうで怖い。ソータはバラエティ豊かだよね。先輩とも後輩とも付き合ってたことあるし。あ、この間の元カノは同学年か」


 すると湊太は軽く咳払いをした。


「俺のことは置いといて。性格は? 元気な子なのか大人しい子なのかでも全然違えだろ」

「うーん、元気な子のほうが明るくて気分がいい気がする。こっちも楽しくなりそう」

「でも見た目だって大事じゃねえ? きれい系かかわいい系かどっちだよ?」

「見た目……? クジャクよりひよこを見てたいから、かわいい系かも」


 こちらのセリフに湊太がぷはっと吹き出した。


「その考え方はおもしれえけど、つまり、コータの理想の彼女はこうよ。初めてできた彼女で、初デートは映画。こっちの趣味を打ち明けても、いいですねって言ってくれる。次は制服デートの近所なんだけど、ふたりで会えればどこでもいいですって喜んでくれる。年下だけど、明るい性格にこっちが元気をもらえるような存在。服装はゴテゴテしてなくて目がくりっとしたかわいい系。さあ、どうだ」

「どうだって、なに?」

「イメージできたか?」


 洸太はそれを聞いてため息をついた。


「そんな都合のいい子がいるわけないでしょ。まあもうちょっと考えるよ」


 なんだよ、真剣に考えたのに。むくれた湊太の言葉を背にドアを閉めて、自分の部屋に戻る。台本を放り出してぼふっとベッドに転がった。湊太の言葉を反芻しながらスマホをタップすると、先ほどまで見ていたクレープ画像が浮かび上がる。そこではっとしてがばっと起き上がった。


 あれ、ミナト君、結構当てはまってない?


 頭の中で湊太の挙げていた言葉を思い出していく。


 ミナト君と学校帰りの寄り道や勉強以外で楽しめる場所に行ったのは映画だった。半券の件にはちょっと驚いてたっぽかったけど、そのあと笑っていたから多分受け入れてくれた。年下だし、天然っぽい明るさにこちらも笑顔になれる。私服姿もすっきりしてた。顔はイケメンだけど、童顔でどちらかというとかわいい系だ。言動もかわいいから全体的にかわいく見える。


 スマホをタップし、先ほども見た公園でミナトと撮った画像を見る。何度も撮り直した写真はもうポーズを撮っていなくて、自然な笑顔だ。写真に収まるようにと抱き寄せられたから、肩がぶつかっている。そのときの温かさを思い出して笑顔を見つめていたら、急に顔が熱くなってきた。


 え、さっきのソータの質問に無意識にミナト君のことを連想しちゃってた? 恋愛の意味でミナト君を好きになってるってこと……?


 いやいやいや。誰がいるわけでもないのに手を振って赤くなっているに違いない顔を隠す。ちらりとスマホのふたりを見た。


 ミナト君、男子だけど? 僕より背が高くて、明らかに男子って感じの子だけど? でもすごくいい子だしな。しゃべってて楽しいし。冬休みにファミレスで宿題するって約束しちゃったけど、これがデートだったら……やばい、結構嬉しいかも。


 口元を手で覆い、ミナトからもらった学ランの黒髪の画像を見た。


 僕だったら二週間なんかでフッたりしないけどな。中身に幻滅とか、思ってたのと違うとか、ありえない。最初から優しかったしおもしろい子だったし。これまでミナト君に告白してた女子、見る目なさすぎだろ。ミナト君のなにを見てたんだ? こんないい子、他にいないじゃん。


 ベッドに膝を立ててそこに腕を組み、顔をのせてため息をついた。もう一度公園で撮った写真を眺める。


 一緒に帰りたいし、しゃべってると楽しいし、机の上の文通はまだ相手に気づいてくれてないけど嬉しいし、冬休みだって会いたい。でも、これは恋なんだろうか。男子が男子に好きと思ってもいいんだろうか。僕はまた「ダメ」なことをしていないだろうか。


 目を瞑ってじっくり考えようとする。だが、視界が遮られると目蓋の裏に浮かぶのはミナトの顔だ。


 先輩はかっこいいっす。オレの前で演技しなくていいよ。先輩の初公演のチケットをください。


 ミナトの言葉を思い出していると顔が熱くなってきた。膝を抱え込み、再びミナトのことを思い浮かべる。


 湊太と比べず自分を見てくれる人。湊太を知っても態度を変えない人。誰にも言えなかったことを話せた初めての人。一緒にいて一番居心地がいい人、それがミナトだ。そして、将来自分の舞台のチケットを最初に渡す人でもある。


 ミナト君が僕の将来に期待してくれているなら、頑張れる気がする。


 洸太は顔をあげて台本を広げた。青ペンの書き込みを見ながら脳内で舞台に立つ。リノリウムの床を踏む音、上から熱してくる照明の温度、喉の奥から出す声と額から出る汗。自分が夢見てきた世界に導いてくれたのはミナトだ。


 この気持ちが恋なのかはもう少しゆっくり考えればいい。肝心なことがあと回しになっても、今はふたりで笑っておしゃべりができる関係でいたいんだ。

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