翌朝、湊太のあとに家を出た。
眼鏡なしで登校する通学路はなんとなく視界が広かった。いつも黒い縁が少しだけ世界を狭めていたことに気づく。花壇の植え込みに寄せられた
昇降口で既に登校している湊太の靴を見つつ、上履きに履き替える。そのすのこの音もいつもより半音高い気がする。足取り軽く、内心鼻歌を歌いながら普通科の教室前を通り過ぎて、特進科の教室前へ行く。すると、廊下にあるロッカーから教科書を取り出すクラスメイトを見つけた。
「おはよ」
洸太が声をかけると、彼は驚いた顔をし、辺りをきょろきょろ見回した。
「どうかした? 兄貴はまだ来てねえと思うけど」
クラスメイトの言葉に洸太はぽかんとして彼を見た。クラスメイトが訝しげにこちらを見ているので、湊太と間違えているのだと気づく。
本当にソータに間違えられた。驚きに思わず教室を指す。
「僕、コータだけど。ここ、僕の教室」
洸太が教室を指さすと、彼は目を丸くして「ええ!?」と叫んだ。
「髪切ったのか? てか、髪切るとそんなに似てんのかよ?」
彼の大声に教室からなんだなんだと人が出てきた。クラスメイトたちがこちらを見て、考えるようにしてから目を見開く。
「ええ、コータ!?」
「眼鏡はどうした?」
「ホント最悪。眼鏡はソータが踏んづけてフレームが割れたんだよ」
「あ、話し方はコータだ。でも、すげえ似てる」
そこへ「やってるやってる」と声がして、普通科のほうから湊太がにやにやしながらやって来た。
「ドッキリ成功した?」
するとクラスメイトのひとりが「あ」とこちらを見比べた。
「並ぶと雰囲気違うな。ソータのほうが焼けてるし。身長も違うじゃん」
湊太がふふんと満足げにこちらを見下ろしてきたので、むっとして睨み返した。
「僕はこれから伸びるから。ソータが先に伸びただけ。僕は遅咲きなタイプなの!」
すると湊太が「ふーん?」と笑って頭のてっぺんをぽすぽすとタップしてくる。
「頑張って追いつけよ。俺はまだ伸びてるからスピードアップしねえと追いつけねえぞ。知ってるか? 男子の成長期はだいたい十七で終わりなんだぜ」
「じゃあ自分だって止まるじゃん! そのセリフ、矛盾だらけなんだけど」
「俺は去年三センチ伸びた。コータは何センチ伸びたんだよ」
「もう、うるさいな! 夕飯にから揚げが出たら、一個多く食べてやるから覚えとけ!」
自分の頭にのった手をばしっと振り払うと、湊太はははっと笑い、「じゃあなー」と自教室のほうへ去っていく。教室に入りながら「あいつホント腹立つ」と愚痴ったが、クラスメイトたちはへえというようにこちらを見てくる。
朝の会から話題は自分が髪を切ったことで持ちきりになり、一時間目にやって来た湊太も教えている教師には「びっくりした」と驚かれた。その中でも洸太は「そんなに似てるかな」と笑顔で答えることができた。髪を切って前の自分とは別れられたような、さっぱりとした気分だ。
二時間目、古典で教室を移動すると、机にミナトの丸文字が書いてある。
『十月考査のテスト返ってきた。点数あがった。ありがと』
ふふっと笑い、どういたしましてと書き込む。そこでちょっと思いついた。これまでミナトから質問されたことに答えるだけで、自分からは聞いたことがない。「身長ってまだ伸びてる?」と書く。
放課後の掃除が終わると、いそいそとジャージに着替えてトイレで鏡を見た。口角が上がっている自分を見て、くせっ毛の髪を手ですき、よしと気合いを入れる。今日は次の劇のオーディションだ。そしてミナトが図書当番の日。つまり、一緒に帰る日だ。今日会ったときに「役をもらえたよ」と笑顔で報告したい。
部活ではやはり部員に顔が似ていることに驚かれたが、洸太も湊太も「そう?」とだけ答え、体育館の床に座ってお互い台本を読むことに集中した。
演劇部では配役を決めるとき、各自でやりたい役のセリフを読んでオーディションを行う。今回も主役にチャレンジするのは湊太だけだろう。だが、自分が狙うのは脇役で、何人か狙っている部員がいてもおかしくない。
絶対に役を取られたくない。洸太はそっと部員を見回した。
本当に舞台役者になるとしたら、オーディションなんて毎回のこと。その中で自分の役を取りにいかなければならない。今日、役を勝ち取って、幼い頃の嫌な思い出を払拭したい。ちらりと湊太を見れば真剣な表情をしている。ほぼ主役が決まっている湊太もオーディションで本気を出す。だったら自分はもっと頑張らなければならない。昨晩湊太と話しながら書き込んだ鉛筆のメモを見て、セリフを小さく呟く。
「はい、みんな揃ってるね」
体育館の扉がガチャと開いて、顧問がやって来る。その手にまだ新しい台本が握られている。裏方しかやってこなかった自分が役を取れるかどうか、これは自分との戦いだ。
「じゃあオーディションを始めようか」
顧問の声にみんなが「はい!」と立ち上がる。上履きがキュッと音を立てた。