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第13話 代役-1

「あー、ミナト君に見られたー!」


 夕食後、湊太の部屋に敷かれたカーペットの上に座って頭をぐしゃぐしゃに掻きむしると、ベッドに腰かけた湊太がははっとおかしそうに笑った。


「コータと仲良いんだろ。いいじゃん」

「いや……あの子、ちょっと変わってるっていうか、こっちが思ってもないことを言うから……明日会うのが怖い。変だったって言われたらどうしよう」

「変じゃなかったけど? やっぱコータもやればいいじゃん。本当はやりたいんじゃねえの。そうじゃなきゃ今日のあの演技はできねえと思うけど」


 そう言われ、赤くなりそうな顔をごまかすために髪を手櫛ですく。


 部活の終わり頃、洸太の演技は湊太のものとは違うものになっていた。今まで湊太と話しながら「自分だったらこうするのに」と思った部分を自分のやりたいようにやったのだ。どうせただの代役、やりたいことをやりたい。そんな思いに突き動かされて、普段なら引っ込んでいる自我が顔を覗かせた。照明係の自分だってきっとすごい。だったら役者としてどこまでできるかやってみたい。


 周りも途中から「ソータに似ている」とか「ソータだったらやらない」といった言葉を口にせず、ごく当たり前のように洸太の演技を呑み込んで一つの舞台を作っていた。あちらはただの代役だからだと思っていたかもしれない。それでも憧れの舞台の上で自分の思いをさらけ出せたことに高揚した。その高揚感をごまかすように息をつく。


「僕はそもそもソータと違って役者として大事なものが欠けてるんだよ。今日はただの代役だからソータを真似してできたことだし」

「欠けてる大事なものって、俺、それがなにか分かるけど」


 湊太の言葉に思わず顔をあげると、湊太は真顔で「本音を出すことじゃん?」と言った。思わず聞き返す。


「どういう意味? 大事なのはどう演技するかでしょ」

「そうか? 普段本音を出せないやつが見ている人に届く演技なんてできんの? その役の感情を表現したり、説得力のある役作りができたりすると思ってる?」


 湊太が左足のテーピングを気にするようにちらりと目線をやりながら言う。


「コータって本当は役者をやりたいんだろ。でも、そういうの言わねえじゃん。双子で比べるなとかも全部黙って呑み込んでるし。俺はサッカーしたいときはやりたいって言ったけど。子役を辞めるなんてもったいないって散々言われたけど、中学でサッカーやってた三年間は楽しかったから無駄だとは思わねえし」


 正論に押し黙ると、湊太は頭を掻いた。


「あのよ、コータの一番近くにいるのは俺だから分かってるんだよ。いくらコータが台本を丸暗記できるって言っても、今日の代役だって役者をやりたくなきゃできねえものだっただろ。多分だけど、みんな分かったと思うぜ。コータ、役者をやりたかったんだ、ってな。照明をバカにしてるとかじゃなくて、なにをやりてえかっていう取捨選択の話」


 違うと否定もできず、そうだと肯定もできず、くちびるを噛みしめる。だが、そんなこちらを見て湊太はにやりとして自分の膝に頬杖をついた。


「金髪プリン君と相当仲良いことも分かってるけどな。だから引き止めたんだし。後輩の前でかっこいいところ見せられてよかったじゃん」

「……やっぱりわざと引き止めたんだ」

「我が兄の晴れの舞台を見てもらったほうがいいと思ってさ。あ、金髪プリン君は帰るときに俺に『先輩やっぱかっこいいですね』って言って帰ってったけどな」

「そういう余計なことしなくていいから」


 洸太は咳払いし、「それで?」と台本を広げた。


「今日ダメだったのはどこ? 僕だって他に迷惑をかけたくないんだよ。ちゃんと教えて」


 湊太のアドバイスを聞いて自分の台本に書き込む。自分の部屋に戻ってスマホを見ると、突然手の中で振動し始めた。「ミナト君」の文字と着信を知らせる震えにびくっとする。


「はい、あの、もしもし」

『あ、先輩お疲れっす! 今大丈夫っすか? 今日の感想を言いたくて!』


 ミナトの声は明るかった。早口にしゃべり出す。


『今日はお邪魔しました! 先輩も俺とかクソとか言うんだって、すげえおもしろかったっす!』


 ミナトの言葉に部活中のように汗が噴き出した。カーペットの床にぺたんと座る。


「いや、あの、突然引き止めてごめんね。主役がソータじゃなかったから、見せられるようなものじゃなくて」

『いやいや、先輩すごかったっす! 完全に別人みたいで! あんな大きな声を出してる先輩を初めて見ました! 一気に雰囲気に飲まれたっていうか、勢いに圧倒されちゃって。文化祭では初めて見る演劇全体にすげえって思ったけど、今日は先輩の気持ちが他人事とは思えなかったんす。同じ劇を見るのが二回目だから、そういうところに目が行ったってのもあると思うんすけど。とにかく、ホントすごいっす。ああ、オレ、語彙力足りないな』


 ミナトが興奮気味に続けた。


『臨場感って言うんすか? いつの間にか観客だってことを忘れてて、演劇を見てるって感じじゃなかったっす。うちの学校のあのクラスを覗いちまった、みたいな。どっから演技でどっから本当か分かんなくて、悩む先輩を見ててすげえつらかったっす。クラスメイトが委員長の気持ちが分かんねえの、なんなんすかね。あの話、弟先輩の実体験なんすか? それで先輩も弟先輩の気持ちを知ってて、リアルに演技できたんすか? 今日体育館に忘れものしたオレ、マジでナイス! 先輩、すげえかっこよかったっすよ! 弟先輩みたいにはできないってなんて言ってたから、てっきり演技はしないのかと思ってて。すんげえびっくりしました!』


 ミナトの素直な言葉が胸に広がっていく。不覚にも鼻がつんとした。湊太に比べれば見劣りしているに違いないのに、即興に近い演技が伝わったのだ。


「えっと、ありがとう。あの話はよその学校の演劇部の先生が作った話なんだけどね、裏方もエチュードって言って即興劇をやって練習するんだよ。だから、演技はみんなそれなりにできるんだ。僕がすごいわけじゃないから」

『なんで謙遜すんすか? 他の人ができたとしても、先輩もできるって事実は変わんねえっすよ? 先輩は人を照らす光にもなるけど、自分も光ることができるんすね! 「洸太」って、先輩のためにある名前っすね! 先輩、すっげえきらきらしてました! あんなふうに夢中になれるものがあるって最高っすね!』


 何度もありがとうと言って通話を切った途端、涙が溢れてベッドに突っ伏してしまった。嗚咽を漏らすまいと枕に顔を押しつける。それでも涙が止まらない。人生で初めて当たったスポットライトの眩しさが胸に灯っている。ミナトの目には自分が輝いて見えたのだ。


 演劇を続けてきてよかった。自分にこんな瞬間が訪れるなんて想像もしていなかった。そして、それを見てくれた人の中にミナトがいてよかった。


 コータって本当は役者をやりたいんだろ。


 湊太の言葉を思い出して、よしと切り替えて顔をあげた。袖で涙を拭いて、新しくメモを書き込んだ台本を広げる。


 今求められているのは湊太の足が治るまでの代役だ。洸太だって大会でいい結果を出したい。だったら役に立てることをやるしかない。照明係としてやるべきことをできていたと分かった。代役だって、やるべきことをこなしたい。それに、今日のような夢の時間をもっともっと味わいたい。




 ところが、翌日から失敗のラッシュになった。調光室からの眺めと、実際に舞台に立ったときの距離感が違う。別の役者の子とぶつかったり、脳内の台本の画像がピンボケして一瞬セリフが飛んだり、それに焦ってセリフのトーンを間違えたりした。


 周りは代役と割り切っているのかなにも言わなかったが、洸太は顔から火が出る思いがした。役者をやるのは楽しい。この世界に溶け込みたい。だからもっとうまくやりたい。だが、できていない。やはり湊太には適わない。


 演技を止めて反省や話し合いになると、洸太は手持ち無沙汰になる。その話し合いに主役として参加するのは制服姿の湊太で、舞台に立っている洸太はただ黙ってそれを聞いているだけだ。舞台袖の調光室を見上げ、そこに逃げ込みたい気持ちと必死に戦う。手の内側に掻く汗は暑さからではなく、焦りからの冷や汗だ。


 二日目、三日目、四日目。洸太の演技はどんどん縮こまっていき、役に入り込むことすら恥ずかしくなっていった。

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