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第11話 役者と照明-1

 ミナトがキャメル色のカーディガン、洸太がネイビーのカーディガンを着る時期になると、学校帰りに遊びに行くようになった。近くの公園でしゃべるのはもちろんのこと、本屋に行ったり電車に乗ってクレープを食べに行ったりもした。湊太に「先に帰ってて」「先にご飯食べてて」と伝えることが多くなる。


 机の丸文字も勉強のことは少なくなって、学校帰りに遊べる場所でおすすめはあるかだとか二泊三日のオリエンテーションが楽しそうだとか、ただのおしゃべりが混じるようになった。どうやらこちらが一年生ではないことに気づいたらしく、将来を考えるのは大変かといったことまで聞いてくる。


 家に帰ってからリビングのソファでクレープを持って撮った画像を眺めていると、「なに見てんの」とソファのうしろから湊太が覗き込んできた。


「クレープを食べに行った。初めて食べたけど、おかずクレープもおいしかったよ。ツナマヨにレタス、すごくよかった」


 スマホをそちらに見せると、湊太は「あの金髪プリン君か」と画像を見て頷いた。


「金髪プリン君がチョコバナナって、なんか笑えるぜ。髪の色と一緒」

「甘いのが好きなんだってさ。あと、金髪プリン君の名前は毒島港君ね。下の名前で呼んでほしいらしいよ」

「寄り道するとか、仲良いな。なにつながり?」

「ミナト君は図書委員なんだよ。図書室に通ってたら話すようになった」

「ふうん」


 湊太が意味ありげに相槌を打つので「なに?」とそちらを見る。すると湊太は肩をすくめた。


「彼女ができたのかと思ってた。部活のあともすぐどこか行くしよ」

「そう言うソータは文化祭後にできた彼女とは最近どうなの」

「もうフラれた。演技してるんじゃないかと思うと信じられねえってさ。演劇部なの知ってて告ってきたのに、俺はどうしたらよかったんだよ」


 湊太の不満そうな口調に思わず笑う。演技ができるというのもなかなか大変だ。


「コータ、それより読み合わせに付き合って。稽古してないと不安」

「オッケー」


 ズボンのポケットにスマホをしまうと、ソファから立ち上がる。地区大会まであと二週間ちょっとだ。今は土日も朝から部活をしている。演劇は全員で作るものだが、一番セリフが多く目立つ役の湊太のプレッシャーは他とは違うのだろう。


 ところが、事件は二日後の放課後に起こった。ジャージの部員が集まる第一体育館に、湊太が制服でやって来たからだ。その左足首にテーピングがされていた。


「えっ怪我したの!?」


 舞台監督の女子が大きな声をあげて、湊太は「本当にごめん!」と顔の前で手を合わせた。


「体育の時間に捻っちまった。もう病院に行ってきて、一週間くらいで治るって言われてる。だから大会には出られる」


 自分で立って歩いてはいるが、明らかに左足を庇っている。調光室にした洸太も目が丸くなって、慌てて舞台へ下りて尋ねた。


「大丈夫? すごく痛い?」


 すると湊太は眉尻を下げた。


「痛みは我慢できるけど、みんなに迷惑をかける」


 部員たちも顔を見合わせた。顔が強張って緊張が走る。主役の怪我、しかも足。つまり、舞台に立って演技することができない。ひとりが呟いた。


「え、どうしよう。少なくとも練習中は代役を立てないと。ソータがいるところに誰も立たないで練習するなんて無理だよ。ものを渡す場面もあるし」

「台本持って、誰かが舞台上でソータのセリフを読まないと」

「誰でもいいけど……でも誰がやる?」


 劇を作るとき、役者を決める際は部内でオーディションを行う。自分のやりたい役のセリフを読み込み、演技し、顧問を含めた話し合いで決定する。だが、湊太は子役出身。オーディションをしなくても主役は湊太だというのはほぼ決定事項で、実際オーディションの際に主役にチャレンジした者はいない。


 つまり、本気で主役を演じセリフを言ったことがある者は湊太以外誰もいないのだ。


 みんなが言葉を失って顔を見合わせる。だが、湊太がその沈黙を破った。


「コータ、俺の代わりやれよ」


 突然名指しされ、びくっとした。目を剥いて湊太を見たが、案の定周りも驚いたようにこちらと湊太を見比べてくる。


「でも、コータは役者をしたことがないし……」

「エチュードくらいだよね?」

「オーディションのときはそもそも裏方志望だったよね」


 ざわつくみんなを見回し、湊太は肩をすくめた。


「俺の代わりに誰かが台本持って読むだけだろ? 誰でもいいならコータでいいじゃん。コータは俺のセリフも全部覚えてるし。だろ?」


 湊太が答えを促してきて、思わず「え、うん」と答えてしまう。洸太は毎回台本は全て暗記している。


 湊太が「はい」と自分の台本を差し出してきた。押しつけるように渡されたそれをめくると、どこではけるか、どこに立つか、どんな動きをするかメモが入っている。


「コータ、今すぐ覚えろ。調光室から散々舞台の上は見てるだろ」


 湊太にそう言われ、洪水のように映像が頭の中で溢れかえった。だが、上手かみての調光室から見える舞台は上から斜めに見えているし、舞台にも角度がついている。自分の目で舞台に立ってみなければどこでどう動くのか分からない。


「えっと、じゃあ、コータ、お願いしてもいい?」


 舞台監督の女子がこちらに尋ねてきて、急いで「分かった」と台本の最初から目を通し始めた。舞台の上に立ち、実際にぐるぐると歩きながら位置を確認し、調光室を見て自分が立っている位置が正しいか考える。すると女子ふたりがやって来た。


「コータ、ここから入ってくれる? 台本の十二ページ目」

「その前の場面で私と喧嘩してるからね。でも、棒読みでいいから」

「え、あ、うん、分かった」


 同じ場面に出るふたりは洸太そっちのけでなにか打ち合わせし始め、洸太は必死に台本をめくった。そのセリフを口にする湊太の演技を思い出す。するとライトの下で生き生きと役を演じる湊太の眩しさを思い出した。


――あの弟先輩がかっこよく見えたのは、先輩のおかげってことっすね。

――人を輝かせる照明係ってかっこいいっすね。


 ふと台本から顔をあげると、いつの間に出してきたのか、パイプ椅子に座ってこちらを見ている湊太がいた。ぱちりと目が合うと、にっと歯を見せて笑顔で頷く。


 ずっと小さい頃から湊太の演技を見てきた。同じ部活に入れば、同じ劇に携わることになる。だから、家でも役作りについて話し合い、どんな演技がいいか模索した。この性格ならどんなトーンでセリフを言うのか台本を見ながら考えて、湊太の相手役になって練習に付き合った。


 改めて舞台上の周りを見る。いつも一緒に調光室にいる後輩も含め、みんなが自分の役をこなそうとしていて、誰もこちらを見ていない。大道具係が舞台上を学校の教室のようにセットし始めた。舞台の真上を見る。列をなしたライトが下を向き、ひっそりと洸太を見守っていた。


 あれが僕がいつも操るライト。その熱さを背負って輝いているソータの代わり。きっと誰も僕がそれをできるなんて思っていない。


 台本に目を落とす。頭はクリアだ。全てが鮮明に見通せる。調光室から見た舞台の上の湊太。家で練習したセリフのやり取り。そして今やるべき湊太のセリフと動作のメモ。頭の中で映像をしっかり整理する。


――弟先輩があんだけかっこいいなら先輩もかっこいいっしょ。


 洸太はゆっくりと歩いて、湊太の位置に貼られたバミリの上に立った。上履きの先が黒のテープを軽く踏むと、湊太を見ているときのような胸のざわつきに手先が震える。親指を中にして、それをぎゅっと握り締める。


 やってみたい。演劇を客席や調光室から見るだけで終わるのなんて嫌だ。ソータのように堂々と舞台に立って、そこで作られる世界の住人として振る舞いたい。ライトの中でソータはどう声を張っていた? どう演技していた? 人を魅了するあの仕草を真似するにはどうしたらいい? ボーダーライト、サスペンションライト、フットライト、スポットライト。光の中でソータはどんなふうに振る舞っていただろう。


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