結局お盆休みに三回会って勉強し、夏休み最後の週に映画を見に行った。
「ミナト君!」
待ち合わせの駅の改札で手をあげると、改札から出てきたミナトが笑顔になって駆け寄ってきた。今日は薄いピンクのTシャツにまたジーパン。スタイルがいいからなのか、特に派手なおしゃれをしているわけではないのにかっこいい。そう思った洸太に対し、ハーフアップのミナトはこちらをじろじろと見下ろした。
「先輩、そのボタンシャツ、おっきくないっすか。おしゃれですけど」
「これ、弟の。朝、着る予定だった服にお茶をこぼしちゃって」
「弟さん、でかいっすか」
「いや、そこまでじゃないよ。でも僕より五、六センチ大きいかな」
ミナトは簡単に「そすか」と頷き、映画館のほうを指して「行きましょ」と歩き出す。
夏の雑踏は蝉の音と人の声、車のブレーキ音などで騒がしかった。だが、なんとなくミナトの隣を歩いていると周りが勝手によけてくれる感覚がある。そっと斜め上を見ると、「暑ち……」と手の甲で顎を拭っていた。暑さが不快なのか、目蓋が重ための目が目つきが悪く見える。
この長身金髪プリンが高校一年生だなんて思わないんだろうな。隣を歩いている地味男子の僕とどういう関係に見えるんだろう。
佐藤さんと結婚することが将来の夢だなんて誰も想像もできないよな。洸太はそう思い、ちょっと笑った。日差しの強さとじわりと浮かぶ肌の汗に駆け足になって映画館に滑り込み、スマホのQRコードで機械から吐き出されたチケットを手にする。
ちらっとミナトを見上げると、ミナトもちらりと見下ろしてきた。
「この半券が先輩のコレクションに加わるんすね?」
「二十を厳選して財布に入れてるから、家に留守番になるか持ち歩きになるかは作品の出来次第」
「激戦なんすね。じゃ、今日の映画には頑張ってもらいましょ」
館内に入るとパンフレットを買い、フードメニューのところへ行った。夏休みだからか、自分と同じくらいの学生が多い。ポップコーンの弾ける音やコーラを一つと注文する人の声が反響してざわざわしている。
「先輩に宿題教えてもらったお礼っす。飲みものをおごります」
「気にしないでいいのに。でもお互い宿題終わってよかったねって乾杯しよ。僕はレモンジンジャーかな」
「オレはオレンジジュース。ポップコーンも食いたいっす」
「大きいの一つ買って分け合おうよ」
「無難に塩味でいいっすか」
「オッケー」
ミナトが山盛りのポップコーンとジュースのカップがはまるトレイをもらい、洸太は自分のレモンジンジャーを手にした。氷の入ったひんやりとしたカップを手にすると、ミナトと顔を見合わせてちょっと笑った。宿題が終わったご褒美感がふたりのテンションをあげてくる。
シアター内の座席を見つけて隣に座ると、ミナトがふたりの間の肘掛けにトレイをはめて座席に固定した。席はクッションが効いていてふわふわする。ミナトは一度座り、自分の身長が気になったのかうしろの席をちらりと見た。
「パンフレットまで買うってマジで好きなんすね。オレ、そういうの買ったことないっす」
「結構おもしろいよ。監督のインタビューが載ってたり、裏話も知れたりするし」
洸太はそう言ってパンフレットをめくった。片手でずずっとストローを吸うと、ジンジャーのすっきりさとレモンの爽やかさが口内に広がる。ミナトの手がポップコーンへ伸びた。さくっと軽い音が弾け、彼の大きな手が洸太の開いたパンフレットを指す。
「そういうのも覚えるんすか」
「覚えちゃうっていうのが正しいかも。自分では取捨選択できないから。特に思い出したくないことを思い出すこともある。忘れることも取捨選択できないって感じ」
洸太はそう言いながらレモンジンジャーをミナトのほうへ差し出した。そしてポップコーンの隣にあるジュースのカップを指さす。
「飲む? 僕もオレンジジュース一口ちょうだい」
コップを押しつけてオレンジジュースを飲むと、パンフレットの文字を読み出した。だが、急に隣が大人しくなったので洸太は顔をあげた。するとミナトがレモンジンジャーを飲み、はあと息をついたところだった。片方の手が目のところを押さえていて、耳がちょっと赤い。口がなにか言いたげだったので、洸太ははっとした。
「あっ、ごめん! 弟とよくやるからつい回し飲みしちゃった!」
「……いや、大丈夫っす……」
「いやいや本当にごめん」
ミナトはそこで口元を隠し、「イエ」とカタコトで目をそらした。
「オレひとりっ子なんで……そういう習慣ないから、ちょっとびっくりしただけっす。不愉快とかじゃないんで」
ミナトははあと息をつき、「先輩ってホント破壊力半端ないっすね」と頭を掻いた。
「オレ、こういうの、カップルがやると思ってたっす……」
「あっ、そうか、佐藤さんとやりたかったよね。ごめんね、僕がミナト君のファースト回し飲みを奪っちゃった」
するとミナトが肘をついて手で目元を隠した。まだ耳が赤い。
「……なんすか、ファースト回し飲みって……」
「いや、なんて言えばいいか分かんないけど、ファーストキス的な。ミナト君は佐藤さんとしたかったんだもんね?」
「したかったとかじゃないんすけど……いや、うん、あの、もう大丈夫っす」
くちびるをきゅっとさせたミナトからレモンジンジャーが返ってきたので、「ならいいけど」とストローに口をつける。そのままパンフレットに没頭すると、隣でしゃくりしゃくりとポップコーンを噛みしめる音がした。
映画はおもしろかった。主人公が困難にぶち当たったときはうるうるしたし、ぶつかりつつもそれを乗り越えた仲間たちとの友情にはほろりとした。原作と違うところもあったが、ハッピーエンドで終わったので満足感に浸れる。家に帰ったら、半券たちを並べてトーナメントを開かなければならない。
映画を終えてご飯を食べようとファーストフード店へ行くと、向かいでハンバーガーにかぶりついたミナトが「主人公、よかったすね」と言った。
「どこがよかった? 原作と違うイメージの俳優さんだったけど、じわじわ迫力が増すって感じですごかったなあ。お茶目な演技、うまかったよね」
「オレは空見て『洗濯日和だ』って言ってるシーンがよかったっす」
予想外のミナトの言葉に思わずハンバーガーを持つ手を止めた。ミナトが思い出すように上を見ながら考えるように言う。
「天気の日に洗濯物のことを考えるの、まめに布団を干す家庭なのかなって思いました。布団干す人に悪い人はいねえっす」
「友情に感動しなかった? 主人公と同級生が大喧嘩になったのに仲直りしたシーン、胸がじーんとしたな」
「浜辺で抱き合ってるところはよかったっすね。満潮か干潮か気になりました」
ストーリーとはまったく関係ないところを話すミナトに洸太は驚いた。ずいぶん変わった見方をしている。
「えっと、映画はおもしろかった?」
「そりゃおもしろかったっす。やっぱり主人公がかっこいいで終わるのがいいっすよね」
「大団円を迎えるって感じだったよね」
「だいだ……なんすか、それ」
「全てめでたしめでたし、ハッピーエンド、みたいな」
「だいだんえん。覚えたっす。頭のランクがレベル1上がった気がします」
レタスのはみ出るハンバーガーを持つミナトがにっと笑った。その口元にマヨネーズがついていたので、身を乗り出して紙ナプキンで拭いた。自分も改めてハンバーガーにかぶりつく。
「ミナト君の見方、勉強になるなあ。たしかに洗濯日和だって言うだけでキャラクターの性格が分かるもんね。そういうところでキャラづけをするってことか。家に帰ったら半券見てもう一回思い出してみようかな」
昔は苦手だったハンバーガーのトマトが最近はおいしく感じる。こぼれ落ちそうになったベーコンをパンの間に戻したところで、向かいに座るミナトから返事がないことに気づいた。おやと思って顔をあげると、ハンバーガー両手に顔を赤くさせて俯いている。俯いても背が高いので見えてしまうのだ。
「どうかした? 暑い?」
「……いや、暑くは……夏だから暑いけど……そうじゃなくて……」
彼は大きなため息をついて「先輩って天然っすね」と言った。
「天然なのは僕じゃなくてミナト君でしょ?」
「よく言われますけど……先輩、女の子と映画とかご飯とか行かないほうがいいっすよ」
「なんで? まあ予定はないけど」
「なんでもっす。行くならオレとにしてください……」
「もしかして映画気に入ってくれた!? また誘ってもいい!? クラスメイト、映画好きって子、あんまりいなくて! 終わったあとにおもしろかったねって感想を言い合いたいんだよね!」
洸太の勢いにミナトはそこでようやく顔をあげ、最後の一口まで食べた。紙ナプキンで丁寧に口を拭い、空咳をする。
「次行きたい映画あったら誘ってください。で、セカンド回し飲みしましょ」
その言い回しに思わず笑うと、ミナトもようやく自然な笑みを見せてくれた。
「もう夏休みが終わるね」
夕方、家へ向かう電車内でつり革に掴まりながらそう言った。ミナトが窓の外を見て「っすね」と同意する。
流れていく景色は夕方でも明るかったが、どことなく寂しい。それは私服で会うのが今日で最後だからなのかもしれない。特進の夏休みはとにかく勉強尽くしなのだが、今年はミナトがいたことで楽しい時間が持てた。それが終わってしまうのが惜しい気がする。
「新学期に入ったら一年生は一番楽しい時期だと思うよ。九月の連休に文化祭があるし、宿泊行事もあったよね」
「先輩はきっと進路とかあるんすよね。二年って大変そうっす。入学したばっかだと思ってたけど、高校ってすぐ終わりそうっす。ダチとわいわいバカやってんのが楽しいんすけどね」
つり革でなく、つり革のついた棒に掴まるミナトがそう相槌を打つ。そうやって話していると、なんとなく一年の差が大きく感じられた。
一年の男子集団とミナトが一緒にいたときのことを思い出す。ミナト自身に自覚があるかはともかく、みんなミナトを「おもしろい子」と認識しているふうだった。みんながミナトに惹かれるのが分かる気がする。ミナトには裏表がなさそうだし、素直でいい子だ。自分の知らないところでミナトが男子や女子に囲まれているところを想像するとなんだかもやもやする。ミナトがクラスメイトだったらきっと日々の楽しさも違っただろう。
でも九月からは部活が始まるから、ちょっとは楽しいこともできるしな。
洸太はちらりとミナトを見上げた。
「ミナト君、九月からも図書当番の日はよろしくね」
するとミナトは思いついたように「そうだ」と人差し指をぴんと立てた。
「オレが図書当番が終わる時間と、先輩の部活が終わる時間って同じっしょ。図書当番の日、一緒に帰りません? つっても分かれ道までのちょっとの間なんすけど」
するとミナトはためらったように「ほら、佐藤さんの報告もしたいし?」と小さく付け加える。
「あ、そうだね。ちゃんと進捗を聞かなきゃ」
「じゃ、またあの公園でおしゃべりしましょ」
それじゃあ学校で。笑顔で先に電車から降りたミナトの背中を電車内から追いかける。外ハネの髪が暑かったのか、一度立ち止まってうなじをタオルハンカチで拭いた。
本を拭いてくれたハンカチを思い出し、怖そうなヤンキーに見えたミナトとポップコーンを食べていたミナトを比べて小さく笑った。人の第一印象は大事だと言われるが、ミナトはいい意味で裏切ってくる。思いがけない出会いから始まった日々は楽しいことばかりだ。肩の力を抜いて一緒にいられる。久しぶりに仲の良い友人ができた。
ポケットのスマホが振動する。湊太だ。
『どこいんの?』
『もうすぐ駅。すぐ帰る』
『夕飯キーマカレー。家までダッシュ』
湊太のメッセージに「OK」と返信を打ち込み、駅の近づく外の景色を眺める。ブレーキがかかって揺れる車内に足を踏ん張った。